ハリポタ最終巻発売 書店に列
http://mainichi.jp/photo/news/20080723k0000e040023000c.html

世界67カ国の言語に翻訳され、累計4億部を超えるベストセラー小説「ハリー・ポッター」シリーズの最終第7巻「ハリー・ポッターと死の秘宝」(J・K・ローリング著、松岡佑子訳、静山社、上下セット3990円)が、23日発売された。初版は180万部。開店時間を早めた書店には早朝から熱心なファンが詰めかけた。

 日本では99年の第1巻以降の6巻で計2247万部を販売。主人公ハリーの運命が明かされる最終巻は、ファンの関心も特に高い。

 東京都八王子市のくまざわ書店八王子店は発売解禁時刻の午前5時に開店。168人が列を作り、発売を待ちわびた。

 開店前には翻訳者の松岡さんが魔女のコスプレで登場し、「今までで一番おもしろい本がみなさんのもとに届きます。一日で読んでしまわないでね」とメッセージ。ファンと一緒のカウントダウンのあと、1セットずつ手渡した。

 22日正午ごろから並んだ東京都葛飾区の会社員、青木千晶さん(29)は「一気に魔法の世界に運んでくれるハリー・ポッターが大好き。少しでも早く読みたくて並びました。物語が終わってしまうのはさびしい」。胸のうちは複雑なようだ。

 国内最多の販売部数が予想されるツタヤは、予約が過去の約2倍になったことから過去最大の14万部を仕入れた。


mixi日記等を眺めていると、ぼくみたいないやらしいタイプの人間はいやらしいことを書いているので、同様にぼくもいやらしく書くのだけど、もうとっくに原書で読んだよ☆

邦訳版は、文章がカビ臭いので、もう読めない。5巻までは喜んで読んでいましたが。
翻訳の人が税金でトラブル起こしたアレもあるから、あんまり買いたくないし。
装丁や絵もダサいし(英語版のアダルトエディションみたいなやつは、かなりマシな装丁)。
ハリポタなればこそみんな買っているけど、今後あの出版社が何か別の翻訳モノでも出したとき、買う人なんているんだろうか(まあ、本来こういう本の出版を手がける会社じゃなかったと思いますが)。
しかもあの訳のわりに、結構強気なお値段!

ということもあり、買わない。


英語の方は、原書といっても、わざわざ原書なんて畏まるようなものでもなく、中2くらいのレベルの英語なんだけど(たとえば受験生が長文読解の力をつけようと思って手にとっても逆効果なくらい生ぬるい。いや、あたいは大学受験のとき、某流行哲学乙女小説の英語版を手に取りましたけど)、たぶん毎回第一章があんまり盛り上がらない、というか暗いところからはじまる(ハリーとか出てこない)ので、そこで面倒くさくなって読むのをやめる人が多いことで有名(うそですが。ぼくが勝手に言っているだけですが)な英語版ハリポタ。そこだけ超えれば楽なんだけどね…という話を誰かにしたいしたいと思っていたのだけど、どうもまわりにハリポタ読んでいる人がいなくて、全然できなかったー。
誰が死んで誰がアレするのか、6巻最後のアレは実はアレだったとか、死の秘宝ってタイトルどうかと思うよね、とか、もうこれって映画の原作であることを念頭に置きすぎじゃね?とか、オールスター総出演魔法使い大進撃ですね、とか、アンブリッジが出てきて安心したとか、そもそもの前提となる話を共有できない以上誰にもできなかったし、「うわーネタバレすんな殺す」的なやり取りすらできなかった。

べつに、面白さを誰かと共有したいわけじゃない。
人より多少先んじて知ってしまったことをペラペラ話して嫌われるという、あの快感を、まったく味わうことができないまま、この日がやってきてしまったことが切ない。

もうね、発売前の書店の行列に並んで、ぶつぶつ話そうかと思ったもの。双子のアレがアレしてアレはアレするとか、マッドアイムーディはアレするんだけどそのアレがアレにアレでとか、杖を名前を言っちゃいけないアレがアレするんだけど実はアレでとか、ハリポタの杖のレプリカ売ってるけど、今は全然売れていないであろうあのキャラの杖がそのうち品薄になるんじゃね?とか(このへんの杖の行き来に関するあたりは、本当に面白かった)。杖といえば、この話のオチというか、エピローグに入る前のラストシーンは、とても気持ちよく読めて、本当によかったよかっためでたしめでたしと。
なんか途中から感想になったけど、まあいいや。


ちゅーか、書店に並んだ人たち、並ぶのはいいけどよく1年も待てたなと。その堪え性は見習いたい。コスプレ準備して買いに来る気力を、一日一ページでも既に出ている本を読み進めることに向けなかったその努力の無駄遣いは、嫌いじゃない。少しでも早く読みたくて並んだ29歳の会社員も、買いに来るほど仕事が暇なら、その仕事中にでも読んどきゃよかったのに。

と、なんかもう楽しみなことがあると全然我慢できなくてうずうずしてしまい、たとえばフラゲできるCDがあれば迷わず前日にCD屋に行くような、なかなか楽しみを後に取っておけない愚かで情けないぼくは、そう思ってしまいます。


ちゅーか、本はさておき、これは本当に、たとえば2章か3章あたりでハリーのおじさんの家を出て行くシーンの仕掛けにはじまり映像になったときにニヤリと楽しめる要素が大きいと思うので、べつに本読まなくても映画見ればいいと思うし、むしろ、映画見てこその完結だとは思いますよ。ほんとに。
まあ、あの、キャラてんこもり総出演な感じは、たとえば年末に第九の演奏会でボーナスをアレするような、まあ、そういう感じの何かで、それはそれで、好きですが。ファンとしても、「アンブリッジが出なかった!」とか激昂することなく気持ちよく終われますしね。


追伸
本の中に登場する"The Tales of Beedle the Bard"(アマゾンが高値で落札したアレ)、つい最近まで"Beedle the Bird"と、何かの鳥が語った話という設定なのかと勘違いしておりました。
バカですみません。ちゅーか気づきもしなかったけど、気づいてもBard=吟遊詩人なんて知らね。

と、こういう話も誰にもできなかった。
本当に、売れているんだろうか、ハリポタって。


ちゅーか、いい年してハリーのビルドゥングスロマン的な何かに共感できるというのは、現実にはダメな人間の要素が強いぼくみたいな男に特有の情けなさの象徴であり、そう考えると、まあ、あんまり読んでる人いないのかもねー。
邦人落書きの処分 伊では驚き
http://mainichi.jp/photo/news/20080702k0000m040123000c.html
「教員、大聖堂に落書きで解任の危機」−−。イタリア・フィレンツェの大聖堂に落書きをした日本人が、日本国内で停学や務めていた野球部監督の解任など厳しい処分を受けていることに対し、イタリアでは「わが国ではあり得ない厳罰」との驚きが広がっている。

 イタリアの新聞各紙は1日、1面でカラー写真などを使い一斉に報道。メッサジェロ紙は「集団責任を重んじる日本社会の『げんこつ』はあまりに硬く、若い学生も容赦しなかった」と報じる。

 フィレンツェに限らず、イタリアでは古代遺跡はスプレーにまみれ、アルプスの山々には石を組んだ文字があふれる。その大半がイタリア人によるものだ。同紙は「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と、日本人の措置の厳しさに疑問を投げ掛けた。コリエレ・デラ・セラ紙も「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」と論評した。


落書きの件、前の日記とその前の日記に書いた通り、そのへんの大聖堂(世界遺産クラス)なんて落書きだらけで、実際わざわざ日本の新聞様がニュースとして取り上げるのも異常。これ言うの3回目ですけど。
イタリア落書きの件
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-197.html再びイタリア落書きの件
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-199.html

で、2回目の日記にも書いた通り、
「良い悪いでいえばもちろん悪い方に振り切れた行為とはいえ、やっぱりいまさらニュースにすることではないし、なんだろう、なんというか、得体の知れない気持ち悪さがある。 最初に短大生の落書きをみつけて大学に文句つけたのが、たとえば左よりの新聞記者かその身内だったんじゃないかとか、なんかそういう、気持ち悪さ。 」
という、むにゅむにゅした感触が、その後の野球部の監督が落書きで解任とかいうヒステリックな対応を見てもそうなんだけど、どうしてもつきまとう。

今回の記事を見ても
 「わが国ではあり得ない厳罰
 「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」
 「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」
というイタリア側の論調も、ごく当然で(まあ、そういう気風が落書きだらけの状況を生んだといえばそれまでですが。でも落書きだらけは、べつにイタリアだけではない)、たとえば犬が人間を噛んでもニュースにはならないが、人間が犬を噛めばニュースになるというたとえを持ち出すとき、フィレンツェの落書きなんて犬が人間を噛む側の情報で、むしろ、それをわざわざ新聞沙汰にしてしまったことこそ、人間が犬を噛んだような話。まさに過剰。
(今回のニュースは海外ニュース扱いだから、国内での報道とはちょっと趣旨が違うけど、にしてもこれだってマッチポンプといえばマッチポンプだなあ)

やはり、最初の短大の時点で抗議した日本人観光客というのが、前述の妄想のように、たとえば左寄りの新聞記者だったり、あるいはプロ市民とまではいかなくても、セミプロ(?)級の「市民」じゃないか、とか、そういう、ザワザワした感じをどうしても抜け出せない。まあ、状況は既にその個人のヒステリーを離れて一人歩きしていますが。
しかし、今はきっと、そのヒステリックに抗議した「市民」は、ニヤニヤしてるんだろうなーと思うと、非常に気分が悪い。
こうなると、最初の短大への抗議の後、いったいどういう経緯で新聞沙汰になってしまったのか、ちょっと気になる。

========

たとえば、おなじみ「ちびくろサンボ」が一時期書店や図書館から消えたのは(今でこそようやく並ぶようになりましたけど)、家族三人だけで作ったような「団体」の「活動」によるものだったりするのだけど、なんちゅーか、そういう、ヒステリックな「団体(というかむしろ個人)」の、無茶とも取れるような「要求」が、憎まれっ子世にはばかるとはよく申しますが、実は意外と世の中で存在感を持って受け入れられやすい。

無理が通れば道理ひっこむ。いや、この場合、何が道理で何が無理なのかは微妙なところだけど、たしかに道理ではあっても、それって無理だよね、的な感覚。
たしかに黒人差別はよくないという道理はわかるけど、いきなり抗議をはじめて、たいした議論もないまま、無理を押し通したりしやがって。ひっこめた側(出版社や図書館)もひっこめた側なんですが、そういう、道理なんだか無理なんだかわからない何か。

結構、この国では(いや、実はこの国に限らないんですけど)、少数派の意見もちゃんと聞いてくれる、というか、むしろ、少数派が少数派であることを盾にして無理を通せば道理をひっこめることがあるようですね。
まあ、そんなんだからモンスターなんちゃらだっていくらでも出てくる。

今回の落書きも、たしかに落書きは良くないことなんだけど、短大や何かに抗議して、はては処分を求める風潮を作り出し(それはもう個人のことではなく、世の中全体の動きに対してだけど)、実際に停学や解任と言った状況に追い込んでしまうというのは、果たしてどうなのか。それって正義なのか。それが正義なら、無法でたくさんだ。(←図書館の話を出したので、突然言いたくなった)


まあ、最初に書いた日記で、実は(どこの誰だかわからないまま)個人名を晒しているぼくが言うことではないですけど。

========
よく、人生においては決して勝ち組とはいえないタイプの人たちの中で海外に強い憧れを持ったタイプの面々が「世界ではこうなのに日本人はこうだから、お前ら日本人は(言ってる本人も日本人ですけど)世界の田舎者ってばかにされるんだ」と、日本で田舎者とバカにされた悔しさをバネに、おかしなことばかり言っていることがあるんですが(国内における負けの構造を、セカイという別のワクを持ってくることで逆転させようという行為に駆り立てる渇望は決してバカに出来ないものですが)、まあ、それと同様に、こういう風に世界遺産なんて落書きだらけで…って書くと(ぼくに限らず同じようなことを言っている人ってたくさんいるようですけど)、「なにお前アキバ系のくせに知ったかぶりしてるの?」という感じなんでしょうけど、まあ、それは承知で、今日もつまらないものを書いてしまった。


========
ちなみに、ちびくろサンボを追い詰めた家族団体は、サンボ活動しか知らなかったんだけど、調べてみたらかなりいろいろやっていたんですね。

黒人差別をなくす会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%82%92%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%99%E4%BC%9A


なんとなく、前の日記の日本記念日虚業会(http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-200.html)にも通じるような、ついうっかりちゃんとした団体かと勘違いしてしまうけど、実は個人や家族の無理がいつのまにか道理になってしまっている状況(世の中が、いつの間にか個人の無理を認め受け入れてしまっている状況)って、意外と少なくない。

そういえば、ウルトラセブンの「ひばく宇宙人・スペル星人」に抗議したのも、そういう家族レベルじゃなかったっけ。まあ、昔からモンスターなんちゃら的なのっていたんですね。むしろ、今のモンスターなんちゃらが私的領域に閉じすぎているだけで、かつてのモンスターなんちゃらは、もっと手広くやっておったような。
イタリア世界遺産落書き:京産大生も名前落書き−−同じ聖堂
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080626dde041040005000c.html

京都産業大(京都市北区)2年の男子学生3人が今年3月、世界文化遺産に登録されている地区にあるイタリアのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の石柱に氏名や大学名を油性ペンで落書きしていたことが分かった。大学は26日にも処分を決める。聖堂では岐阜市立女子短大の学生の落書きが発覚したばかり。大学によると「あこがれの場所で興奮していた。他に落書きがたくさんあり、ついやってしまった」と話しているという。



(画像は世界遺産のある大聖堂の落書きです)
koln3今日も大して海外なんて行ったことがないぼくが、昨日の実名入り日記(写真オリジナルに修正しました)に引き続きまた何か書いてしまうんですけど、「他に落書きがたくさんあり、ついやってしまった」と今回の学生も言っているとおり、教会とか大聖堂の落書きって、本当に多い。


koln2もちろん、だから落書きしてもいいってことではなくて、ただ、わざわざニュースというか新聞沙汰にするほどのものでもないだろうと。

画像も、上に書いたとおり世界遺産の大聖堂のてっぺんで撮ってきたものなんですけど、ほんとにひどい。360度全方位に落書きだらけで、しかもそれは、ひとつの大聖堂に限ったことじゃなく、他の地域でも同レベルに乱れたものはたくさんあるわけで。


koln1ちなみに、画像の中にはD大の銘入りのものもありますけど、露骨に自らの所属を明らかにしているものもやはり少なからずあって、まあ、教養が足りないんだとは思いますけど(とはいえミクシィやブログで恥ずかしげもなく日記を衆目にさらすのとどちらが教養がないかといえば、大差ない気もしますが)、でも、良い悪いでいえばもちろん悪いの方に振り切れた行為とはいえ、やっぱりいまさらニュースにすることではないし、なんだろう、なんというか、得体の知れない気持ち悪さがある。

最初に短大生の落書きをみつけて大学に文句つけたのが、たとえば左寄りの新聞記者かその身内だったんじゃないかとか、なんかそういう、気持ち悪さ。

=============


koln4ちなみに、このニュースを見て日本の恥とか日本人はそういうものに対する意識が云々とか書いているニュース日記が多いようだけど、落書きってどう見ても日本人だけじゃないというか、まだ日本人は比較的マシな方だし(むしろ、美意識的なものより、そもそも現地に落書きが多いことで自分も…的なちっぽけな根性とか、みんなで渡れば怖くない的ないやらしさの方が揶揄の対象としては適切じゃないでしょうか。いや、ぼくはそんな変なこと言いませんけど、敢えて言うならば)、なんだろう、何かあると日本人は日本人は…って言う人は、なんか小さいなあと、もっと小さいぼくが言ってしまいます。

まあ、一昔前は「これが日本人の悪いところ」「だから日本人はだめなんだ」なんてことを平気で言うというか、むしろそういうことを言うことが賢いと思っている恥知らずがたくさんいて(今もごく稀にいるけど)、その頃と比べれば、多少はましだろうとは思いますけど。

あと、普通に他の国でもやってることを、「○○は日本だけだ」とかいう言葉をいい意味でも悪い意味でも使う人たちも、いまだに時々発見することがあって、なんかがっかりしますね。いや、これは身内の話なんですけど。


昨日の日記はこっち
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-197.html
ピサ落書き


■岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080624-OYT1T00570.htm

 岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。


 同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。

 発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30センチ、横約20センチにわたって、日付や自分の名前、短大名などを油性フェルトペンで落書きした。 同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。

 同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。

 大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられている。

(2008年6月24日21時05分 読売新聞)



ぼくもそんなに海外とか行ったことないんだけど、数少ない経験で回ったヨーロッパでも(今回のニュースの舞台フィレンツェを含め)、そのへんの道端はもちろん、歴史的な建物(それこそ世界遺産級)でも、かなり落書きってされていて、もちろん日本人の落書きも相当な数があるけど、中国人のも結構ひどいし、ハングルも目立つし、それ以上にアルファベット(もう何語か判別つかない)のものも、かなりの数があるわけで。

特に、古い塔を上る階段の内壁とか、その塔の頂上とか、落書き天国って感じで。
ぼくも何とかと煙は高いところが好きな、その何とかの方なのでよく螺旋階段を登って塔や大聖堂のてっぺんを目指したりしがちなんだけど(人生においては一度もてっぺんをめざしたことなんてないくせに)、ひどいところは本当にひどい。なぜか白マジック(修正液?)で書かれまくっていたりするし。そんな、白マジックなんて、落書き目的以外日常的に持ち歩かないだろ、みたいな。

このニュースのやつらも、各地で落書きの数々を見て、調子に乗って熱に浮かされたように書いたくらいのことで、何もないところに突然思い立って書き残すほどの気概とか心意気(悪い意味で)があったわけでもないでしょう。もちろん、やったことは言うまでもなくひどいことなんだけど、まあ、小さい小さい。大聖堂側だって、べつに謝罪だけでいいよって言うわ。


ちゅーか、わずかな個人的経験の中で一番ひどいなーと思っているのが、今回のニュースネタと同じくイタリアなんだけど、ピサの斜塔の上のほうの柱に書いてあった日本人名の落書き(画像参照)。
字を見る限り、そのへんの小僧のものとは思えない書体なのだけど、かなり気合いが入っている落書き。しかも塔の性質上(ダラダラ登るわけではなく、時間入替制)か、落書きなんてほとんどないところに突然の連名落書き。日本の恥とか国辱とかいうのは、こういうときになら使ってもいいのかな、と思う。

中西渉と廣井利光。

たぶん教養が著しく欠如しているんだろうけど、いったいどこのどいつかと。

ずっと気になっていたんだけど、こういうタイミングでもないと言う機会もないので、画像つきでのせてみた。


ちなみに、今手元にあったのがこれだけなんだけど、他にも関西のD大(カンカンドウリツの中のD大)の名前入りのやつとか、べつに岐阜の短大生に限らずみんな教養がアレという画像も持っていたりします。
こないだNHKを見ていたら、しょこたんが出てたんですよ。
「通(つう)」

そしたらなんか焼肉の「通」の極意に迫るとかいう番組で、ちゅーか、ぼくって肉は好きだけど、焼肉としゃぶしゃぶとステーキはあんまり好きじゃないと公言して憚らない野暮な男なので、いくらしょこたんが出ているとはいえ、心中苦虫を噛み潰しながら見ていたのですが、焼肉というものや、それにこだわりを見出す人々への疑問については既に何度も飯のアレに書いたので今更どうこう言うまでもないのですが、そんなことより、最近、通とか粋とか、そういう言葉が流行ってますよね。

流行っているというか、安易に使われすぎているような気がする。
更新を重ねるたびにアクセス数が減って行くおかしなサイトへようこそ。
(↑と、こんなことを言っている時点で時代遅れの前世紀のダメな遺物なのですがそれについては後述、するかもしれない。)
=====

以前、なかなかよそのサイトやブログを他人様には紹介しないこのぼくが、いろんな意味で大絶賛した「僕の離婚バトル〜仁義無き戦い〜」が、ついに(ひとまずは)完結したようです。


まあ、読めば読むほどかつて一世を風靡した堕落誌のヒカル先生にしか見えないんですけどね。真偽はさておき。
最近突然リニューアルをはじめたようで、一部読めなくなったテキストもあるけど、http://ameblo.jp/kindannoai/とか、どう見ても同じ人が書いた文章にしか見えない。真偽はさておき。

以前も同じようなことを書いたけど…
「…」ではなく「・・・」を異常に多用し(「・・・」が多いというのはどこかのコメント欄でも言っている人がいました。ちなみにぼくじゃないです。あと、最近の更新では突然「。。。」が飛び出したりしていますが)、必要以上の行間(改行)と、昨日今日はじめたような人間には真似できない、品を落とさない程度の適度なフォントいじり。
続き物としての焦らし方のうまさ、というかやりすぎ感すら漂うアレ。
かなり前の記憶を呼び起こしている割に、かなり細かいセリフの描写。
そして物語を進めるのは、どう見ても同じ人間の考えにしか見えない、モノローグ。

そんな数々の記号もそうだけど、それが全体的に醸し出す空気。
記号的な「・・・」や小説家志望の人が書きそうなセリフのスタイルは、真似しようと思えばいくらでもできるけど、多少でもいろんな人の書いたものを読んだことがある人間なら、その共通する空気に気付くんじゃないかしら。
2ちゃんでも、自作自演とかやってるやつがいると、文体とか全体的なスタイルで大体わかりますよね。
それと同じような感じ。

といっても、R25とか地下鉄のフリーペーパーに書いてるライターさんの文章の7割くらいが同じスタイルにしか見えないぼくの言うことなので、あてにはなりませんけどね。

  
最近、ちょっと翳りは見えつつあるとはいえ、やっぱり韓流の勢いってすごいですよね。

こないだあっちの四天王か何かが兵役でどうのこうのというニュースを見ていて思い出したんですが、ほんの数年前までは、日本におけるアジアンポップカルチャーの勢いとしては、香港や台湾の方が遥かに上を行っていたんですよ。ほんとに。アジアンポップカルチャー専門誌のようなものも昔からあったんですが、中を見るとそのほとんどが、香港系の記事で占められていました。ほんとに。韓国の記事なんて、5%もなかったかもしれない。いや、ほんとに。今では完全に逆転していますが。

そんな記事の中に、各国のポップカルチャー状況を俯瞰したようなものがありました。当時のその文章の中で言われていたのが、「韓国では兵役があって、いい感じの若い男性アイドルも大事な時期にいなくなってしまうので、人気も実力も育ちにくく、いまいち」という話。うーん、なるほど、と当時は納得していました。しかし、気づいてみるとその地位は完全に逆転し(ただし四天王のうち三人は兵役に行っていないんですが)、日本に流入するアジアンポップカルチャーは、ほとんどが韓流、申し訳程度に香港台湾がちょこんと顔を出している程度、という現実。

それはもう仕方ないのだけど、なぜここまで中華圏のカルチャーが圧迫されてしまったのかを、なんとなく、考えてみようと思います。
ここだけの話、ともだちコードは
3307-7617-2783
であります。

かいじゅう村
はじめ

=====
場合によっては管理者にしか見えない形でコメントするといいと思います。
ハニーがオタク世界にちょっと興味が湧いたようだったのでとりあえずガンダムを見るようにすすめてみました。うちにビデオもあるので。

とはいえ、これまでは、決して、ガンダムを無理矢理見せようとしたことはないんですよ。一度香港映画の「金枝玉葉」を見せようとした時の全然興味がない姿を見て以来、そのへんの無理強いはしていないはずです。

ただ、仮面ライダー響鬼を見ているうちに、なんだかひねくれた見方がしたいようなことを言っていたので、あんまり変な見方をするのはおすすめできないけど、どうしてもというのなら、と、入口として、必修科目としてのガンダム視聴をすすめたわけです。
最近浅ヲタのガンダムファンが増えているとはいえ、未だそのアウラは消失していないと、ぼくは思うわけです。

と、そんなことを言っていたら。

彼女は突然態度を硬化させ、「将来やっていける自信がない」「なんで今まで気付かなかったんだろう」「もう別れよう」な〜んてことを言われてしまいました☆

豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまおうかと思いました。
(本来もうちょっと長々と書くつもりだった話なのですが、とりあえず覚え書きの断章をつなぎあわせた感じで公開しておきます。そのうちまたいろいろまとめて書く予定です。時間があれば。ちゅーか、長くてアレなんですが追記もあります。念のため。)
=====
日本社会が高収入と低収入の人種に別れて、階層が云々とかいうちょっと前から出ていた話に紛れて、「オタク文化の普及」とその階層化を結びつける話を、最近見かけることがあります。(ARTIFACT:オタク趣味は金をかけなくてもできるようになった

たしかにそれはある意味おっしゃる通りで、もちろん「低収入の層がオタクカルチャーに手を出しやすいから分化するんだ」と言われただけでは、「乱暴な話だなぁちゅーかべつに階層化関係ないじゃん」と思ってしまうわけですが、たしかに収入の二極化と趣味の二極化が、いかにも関係あるように見える事象が、オタクの一般化以外にも見受けられます。

その一つの事例が、メトロセクシャルに代表される小金持ちの動きなのかもしれません。
◆二極化した別の層は?
下流社会がオタク化する一方で、上流となりつつある層は、どこへ向かうのか。あるいは、どのような言葉で規定される存在になろうとしているのか。
すごくマイナーな、メトロセクシャル的なムーブメント(http://www.metro-sexual.jp/あるいはhttp://blog.livedoor.jp/metrosexual/)に、その答えがあるのかもしれません。

たぶん「メトロセクシャル?はぁ?そんなのはじめて聞いたぜ」というご意見も多いというか、ほぼ100%ではないかと思いますが、ひとまず続けます。

それなりにいい服を着てそれなりにジムで身体を鍛えてそれなりに雑誌とかテレビに出ているような店で高い飯喰って…それなりに都会生活者としての享楽を分かりやすい形で愉しむメトロセクシャル的ライフスタイル。わかりやすく言えば、それはオタク的なぼくらが手に入れられないそれなりに裕福な都市生活者のステイタス。

自分磨きがどうこうとか自分大好きのような精神的な部分はさておき、その基盤にあるのは、それなりに生活に(資金面でも時間の面でも)余裕ができ、あるいは物理的にそういった「場」が近くにあること。ツメを磨いたりメンズエステに行ったり、トータルワークアウトがどうのこうの、なんてことは、下流の人間にも、地方在住の人間にも、ちょっと軽い気分では真似できない。

オタクカルチャーの低価格化と、ネットの普及や流通の変化による地方格差の解消が生み出した多数の下流オタクとは、まさに好対照となるメトロセクシャル。

とはいえ、そんなメトセク的なあり方って、実はそんなに底が深いものではなくて。オタク(本来的な意味での)的な「深さ」というのは、そこには必要ない、なんとなくそれっぽい表層をなぞっただけで成立することは、前述のサイトを見てもわかる通りです。

たとえば彼らが憧れる雑誌「LEON」の見出しや、そのへんの本屋の店頭をちょいと見てみればわかることですが、「ちょい不良(わる)」だとか「ちょいモテ」的な「ちょい」の広がりは、最早誰もが知るところでしょう。
その「ちょい」は、手軽さと同時に、表層の問題、底の浅さ、軽さにつながることも、見逃す事はできません。
(余談ですが、その浅さは、前々から「3cm」とぼくは形容していて、広く浅く3cm掘り下げたらそれ以上掘ることはなく、そこで満足する。というよりむしろ3cm以上の深さはそもそも必要ないという彼らのスタンスへのアレなんですが、今回はそういう印象の話は置いておきます。)

果たして本人たちは、その浅さ・薄さを認識した上でメトロ活動を続けているのか、あるいはそれにすら気付かないものなのか。

ただ、それは、べつにメトセクがどうという話しではなく、むしろ東京(あるいは大都市)の現代を見る上での一つのキーワードなのかもしれません。

◆じゃあオタクは深いのか?
そもそもオタクって何だったんでしょうか。
その答えってとても説明が難しいものだと思うし、おそらく時期によって、その定義は大きく変わってきている気がしますが、少なくとも、アニメがちょっと好きだとか、フィギュアをたくさん持っているだとか、そういうものでもオタクと呼ばれるようになったのはつい最近のこと。かつては、ファンだとかマニアだとか浅ヲタだとか呼ばれていたような存在だったのではないでしょうか。
(※これを書いている途中で知ったんですが、奇しくも「ちょいオタ」だか「ちょいヲタ」だかいう言葉があるらしいですよ。)

とはいえ、ここで問題になるのは、オタクの定義の問題ではなく、現在「オタク的と称される人々」がたくさんいて、その「オタク的活動」にかかるコスト、あるいは地理的な格差も小さくなることで、都市生活者や富裕層でなくても、それなりに「オタク的活動」が可能になり、また事実下流の文化として、それが認識されつつある、ということです。

あらためて考えるまでもなく、オタク文化が広まったように見えるというのは、オタクになる人間が増えたというより、オタクの基準そのものの敷居が、限りなく低くなった、というだけのこと。
人間なんて本質的にはなかなか変わらない。ただ環境の変化がその定義を変えてしまう中で、オタクがより一般的になりました。それでは、上述のメトロさんたちも、結局そういうことではないのかな?

◆浅さの共通性
オタクになり、あるいはメトロになるためのインフラが存在しない時代には、それは「ただの人」だったのかもしれません。しかし、いろんなものの敷居が低くなる事により、「オタク」あるいは「メトロ」のような何かにカテゴライズされることが簡単になってきているのではないでしょうか。というより、むしろそこにあるカテゴライズされたい欲求の方が、ちょっと気になります。

そこには、必要以上に自分が何者かを問われ、あるいは自ら問う中で、何者かに自らをカテゴライズすることで容易に手に入れられる安定性というものが云々…と定義してしまうことも簡単でしょうが、そんな現代性の定義はさておき、結局そうやって、オタクあるいはメトロ的存在に「ただの人」が変化し、あるいはそれが現代性を象徴するものとして語られることで生じるのは、現代そのものの「浅さ」「薄さ」に他なりません。

上流下流の分化がどうのこうのとは言いつつも、その浅さにおいて、オタク的グループとメトロ的グループは非常に似通った精神性を持ち、現代の浅さを担う共犯者になりつつあるのかもしれません。

いつかこの時代を振返ったとき、何においても浅いものばかりだった、と、それだけですめばいいのですが。
いろいろとアレで、更新が滞りがちだったこのサイト(旧バージョン)ですが、とりあえずブログでアレしてみようかと思ったので、しばらくこれでやってみます。
まあ、あの、ちょこちょこといじりながら。

まあ、アレだけどな。ほんとにつまんない、まったくもって世の中の役には立たないことをだらだらと書き流すだけなんだけどな。
2005.01.05 2005年問題。
2005年のテーマについていろいろと。
2005.01.01 キモノ。
過去ログ掘り起こし。

ただの日記です。

過去ログ掘り起こし。

飯サイト関連の粘着記事です。

過去ログ掘り起こし。
単語レベルに反応することへのアレ。