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最近、ちょっと翳りは見えつつあるとはいえ、やっぱり韓流の勢いってすごいですよね。

こないだあっちの四天王か何かが兵役でどうのこうのというニュースを見ていて思い出したんですが、ほんの数年前までは、日本におけるアジアンポップカルチャーの勢いとしては、香港や台湾の方が遥かに上を行っていたんですよ。ほんとに。アジアンポップカルチャー専門誌のようなものも昔からあったんですが、中を見るとそのほとんどが、香港系の記事で占められていました。ほんとに。韓国の記事なんて、5%もなかったかもしれない。いや、ほんとに。今では完全に逆転していますが。

そんな記事の中に、各国のポップカルチャー状況を俯瞰したようなものがありました。当時のその文章の中で言われていたのが、「韓国では兵役があって、いい感じの若い男性アイドルも大事な時期にいなくなってしまうので、人気も実力も育ちにくく、いまいち」という話。うーん、なるほど、と当時は納得していました。しかし、気づいてみるとその地位は完全に逆転し(ただし四天王のうち三人は兵役に行っていないんですが)、日本に流入するアジアンポップカルチャーは、ほとんどが韓流、申し訳程度に香港台湾がちょこんと顔を出している程度、という現実。

それはもう仕方ないのだけど、なぜここまで中華圏のカルチャーが圧迫されてしまったのかを、なんとなく、考えてみようと思います。
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「DlME」増刊男性向け料理誌「料理やろうよ!!」(←アフィリエイトではないので思う存分クリックして見てみてください)
という、雑誌というかムックのようなものを先日コンビニで見かけ、ふと何かに導かれるように立ち読みしてみたのですが、これがまたなんとも居心地が悪い。

料理ができる素人男性が何人も出てきて、自分たちの得意レシピを大公開☆という内容なのですが、ひとまず本当に彼らが作った料理・あるいは彼らオリジナルのレシピなのかはさておくとして、というかそれはどうでもいいことで。何がこの不思議なザワザワ感を掻き立てるのかといえば、料理本のように存在していながら、個々のページを見ると、半分以上が素人男性の(飯以外の)日常の紹介、そしてその後ようやく料理に入るという、なんとも言いがたい構成。一言で言うならば、微妙だ、微妙。

たとえば最初の見開きで、休日はサッカーやバレーに励む青春オヤジや、子供を背中に乗せて腕立て伏せをするやさしくたくましいパパ、ハードゲイのような佇まいでバイクを乗り回すちょい不良オヤジなどなど、DIME世代(って言っていいのか?)の理想のオヤジ像を過ごす一点の迷いもないハッピーな姿を十分すぎるほどに紹介した後で(もちろんキャバクラ通いが趣味とか、オナニストとか、そういう話は出ない。実際にどうかは知らないけど)、ようやく、そんなステキなダンセイたちの手料理コーナーを1ページ、みたいな。実際彼らのオリジナルかどうかはさておき。料理の写真より「ステキなパパ」としての写真の方がどなたも大きく紹介されている事実。(実物を提示できないのが非常に残念ですが、もしコンビニででも見つけたら立ち読みするといいと思います。買う必要はまったくないと思います。ちゅーか、財布が許せば大抵のものなら衒いなく買えるぼくでも、結局躊躇しまくった挙句買えませんでした。恥ずかしすぎて。)

小学館のサイトをあらためて見ても、

「おやじフットサルチームを率いる」
「家族をこよなく愛する週末ガーデナー」
「パパの威厳はラーメンで保つ!?」
「海外生活12年のワールドビジネスマン」
「ハーレー命の多忙な中年バイカー」
「笑顔作りのエキスパート」
「奥さん、息子、ワンコのためにがんばる」
「アウトドアを楽しむ達人」

など、ほとんど料理とは関係ない、なんとも背中がムズムズする肩書きに溢れた爽やかフレッシュで愉快な面々がSE・I・ZO・RO・I☆というスタイル。

そもそも特集のタイトル自体が

「巷の料理好き15名が、お得意レシピを誌上公開 料理にハマッて人生ハッピー!!」

ですからね。
男ってのは、ただ料理が好きだったり、料理が上手なだけじゃダメなようです。
それ以外に、DIME的な男らしさ、それは浅いちょい不良だったり、家庭を守る良識的なよきパパだったり、スポーツ万能でやさしく男らしいパパだったり、ご町内の人気者だったりして、さらにそのことにより一点の曇りもないハッピーな人生を送っていることが、料理好き以前に必要なようなのです。

これは、単にDIME世代のおじさんたちにとって、いまだに料理というものが"男らしさ"に暗雲を投げかけるものであり、そういったアンチ料理な価値観に対する布石もしくはバランス感覚として、敢えて(DIME的)男らしさを提示しているのか(まさかな…)、それとも、料理も含めマルチな趣味と才能(たとえどんなに浅くても)を持つことをDIME的男らしさとして提案しているのか(キモいな…)。
あるいは、男女の意味において右傾化しつつあるように見える現代が、静かに提唱しつつある"オトコ"が"オトコ"であることに無意識的にであれ執拗にこだわる意識が、DIME的なカタチで、表出したものなのか。(上下両層からの、"オトコ"であることの過剰な意識については、過去にちょっとだけ触れました)。

たぶんそんなDIME的オトコ感(メトロセクシャルに近い気がするけど)をベースにした、というか、そんなDIMEなりの解釈でDIMEなりに精一杯提示した、現代的"オトコ"の料理ってことなのかな。
「男の料理」という言葉が昔っから嫌いで嫌いで大っ嫌いだったのだけど、その理由の一つに、ちょっとだけ近づいている気がする今日この頃です。(最近ではますます嫌いになっています☆)
もうずいぶん昔の話になるのですが、仮面ライダー響鬼が最終回を迎える3日前くらいに、響鬼の最後ってこんな感じかなあ、と思ったことを以下のような感じで書いていました。

回転速度を速めた万華鏡の中で終わったアギト、一度回転させればもとあったそれが崩れ新たな世界を描き出す、まさに万華鏡そのもののような物語の枠組みを示した龍騎、そして自らが永劫回帰の万華鏡となったブレイド。

その物語がぼくらに示したのは、なにも変わったことでも新しいことでもない、常にそこにあったけれど、しかしかつてのヒーローが無理矢理立ち向かい打ち壊そうとした存在だったのかもしれません。


そして今響鬼がぼくらに示そうとしているものは何なのか。
響鬼が立ち向かった「オロチ」。普通に考えれば、それは一時的な大イベントでしかないわけで、それを鎮めたところで物語が閉じるはずもなく、そこにあるのが「物語の完結」ではないことは確かです。それが終わったところで、彼らはまた終わりなき日常を繰り返していくことしかできない。既に鬼たちはそうやって長い時を戦い、きっとこれからもそうなのでしょう。
その永遠の日常から抜け出す術は、結局、死しかないのかもしれず、自我に芽生えた童子と姫、自らの存在そのものに疑問を持ってしまった二人の破滅は、これからも無自覚に永劫回帰の輪の中を生きていく鬼たちに代わってのものだったはずです。

永劫回帰の万華鏡に対峙する試みは、童子たちの破滅によって既に終わりました。
あとに残った鬼や鬼じゃない人々にできるのは、そこに残された万華鏡を回しつづけることだけなのかもしれません。
そして、その「終わらない」現実があればこそ、鬼たちは明日に向かう少年たちに、語り伝え示すことができるというのも、また真実かもしれません。


とか何とか言って、ものすごい見事な大団円で、すべて終わったマカモウ全滅めでたしめでたし、なんてことになったら大変だ。もうサイトやめる。

(一部抜粋。実際のエントリはhttp://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-35.html

最終回のたびに予想を書いて、あたったあたったー☆と大騒ぎする人もみっともないので放っといたのですが、実際に響鬼という作品は、一部の響鬼ファンや特撮ファンが望んだような「オロチでドッカーン!でもがんばって倒したらマカモウ全滅したよスペシャル☆」のようなおかしな話になることもなく(そうならないのははじめからわかっていたけど、かなりの響鬼ファンがあの終わり方には不満を抱いていたようです。かわいそうに…)永劫回帰的とも受け取れる戦いの構図を、ぼくが想像したよりもさらに上を行く形で提示していました。

それは、常に童子や姫と呼ばれる傀儡を操り、マカモウの頂点に立つような存在と目されていた大正風男女のあり方。日々童子や姫に「エサ」を与えていた彼らに、さらに「エサ」を与えに現れた洋装の男女(ちなみにその姿は大正男女や童子・姫と同じ)の存在。

今更書く必要もないのだけど、永劫回帰的に繰り返されるマカモウと鬼の物語、ひいては、テレビというメディアの中で繰り返され続け、今後も繰り返される怪人とライダーの永劫回帰的物語の構図を、洋装の男女の突然の登場とエサによる救済・継続という形で、響鬼は的確に示してくれました。

「あとに残った鬼や鬼じゃない人々にできるのは、そこに残された万華鏡を回しつづけることだけなのかもしれません。 」はからずも自らそう書いたように、万華鏡を回し続ける大いなる意思を、洋装の男女という寓喩的存在によって敢えて示してくれた響鬼。

この最終回、ライダー的でないと言われる当初の物語やその後のドタバタなんかよりも、よほど仮面ライダー史、あるいは日本ヒーロー史に残る傑作エピソードだと考え、当時はmixiの日記にちょっと思ったことを書いたりしたものでした。

ですが、なんかねー、変な人が集ってきて、いらんことばっかりコメントしやがったので、まあ、ちょっとめんどくさかったです。
今更感が漂いまくりですが、ちょっとここに残しておきます。なんか、mixiの日記をブログの方に変更すると、過去のmixi日記が表示されなくなるようなので。
でも、あらためて見てみると、コメントしたのに自分で消した変な人がいるみたいですね。それに対してぼくもレスしてるのに消してるから、なんだかぼくの方がヤバい人みたい。あと、さらにあらためて見てみると、なんちゅーか、おれこんなこと書いたっけ…と思うようなアレばっかりなんですが、なんなんでしょうね、この、見たことない感は。ほんとにぼくが書いたんだろうか。
NHKスペシャルって結構好きで、よく見ていたりするんですが、先日、近年稀に見る酷い内容の番組が放送されていた気がします。

“好きなものだけ食べたい”
~小さな食卓の大きな変化~


途中から見たので、ひょっとしたら最初の方は超傑作だったのかもしれませんが、少なくとも途中からは、ちょっと見てらんないものでした。

最近の子供たちの食が酷いことになっているとかいう、いわゆる食育ブームに乗ったような、あるいは食育ブームに合わせて慌てて何か作ってみた、という内容だったのですが、どうも杜撰過ぎた気がしてなりません。
廃油石鹸ってあるじゃないですか。
最近はよくわからんけど、昔よく聞いたものです。

あれって、環境を云々とか、そういう流れの中でよく出てくるものだけど、廃油を石鹸にしたところで、それを使うってことは、結局垂れ流しているわけですよね。元は油なアレを。下水に。あるいは川に。海に。

もちろん市販の合成洗剤だってろくなもんじゃないことはわかりますが、廃油原料のものを垂れ流すのって、そんなにエコなんですか?

なんか石鹸にすることでドラスティックな何かが起きて、角度とかいろいろ変わって環境をよりクリーンでエコなアレにするんだったら余計なこといって申し訳ないんですが。
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