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・近況報告
3週間ほど前になりますが、涼宮ハルヒの憂鬱(アニメ版)、一気に見ました。

なんというか、いままで、「なんかもっさりして好きじゃない」なんて言ってしまって、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。なんですかあの傑作は。原作も出てる分全巻買って今読んでいます。
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・近況報告2
江原はただのスピリチュアルというネタをもった芸人に過ぎない、というのは、本当にその通りですが、いったん今はそれはそれとして、わかりやすいように「江原的な何か」として考えます。
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・ここからただのメモ

それぞれの関連性
江原的な何かと、セカイ系
江原的な何かと、メトセク的"自分磨き"
江原的な何かと、密教

江原的なものと「自己責任」の関係
→他人に依存しないというのはまだ捨て置くとして、それは果たして世界(社会)を無視する事ではないのか。
↓スピリチュアル派の言葉
>そして、全ては自己責任。江原さんや、スピリチュアリズムに責任転嫁しないこと。

「自己責任の法則・償いの法則」(というものがあるらしい)
それはいったいどういう「法則」なのか。

彼ら(江原派)を見ていく中でよく目にする
「ヒーリング 癒し 患者」という言葉。
…患者?

スピリチュアル派はよく「気づき」というようだけど、
一体何に気づくのか?

セカイ系の件。
「自己責任の法則」とは何かを調べる中で発見した、あまりにもスピリチュアル派に対するイメージ(セカイ系の話をどこかで書いた時に考えていた)に近い姿。

スピリチュアル派の言葉
(注:べつに感銘して引用しているわけではない。あまりにも予想通りの方向に彼らが突出しはじめている例として。)
>「自分の外側ではなく、自分の中の意識を変えること」
>「分離感を超えること。つまり自分の外に見える人や状況などが、
まさしく自分の一部でしかないと気づくことによってしかこの世界は救われない」
>「私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を癒していただけです」
>言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。
>あなたの内面からの投影である以外には。
 ↓全体的に、やりすぎ言いすぎの感あり。
 ttp://plaza.rakuten.co.jp/spiritualshion/diary/200612190000/
 (見るかどうかは「自己責任」で。あまりおすすめしない)

どうやらスピリチュアル派の中では、本当に道を極めてしまうと、外界とまったく接触しなくても、セカイが思うままに変えられるという話を真に受けた人のブログから引用したもの。どうやら彼らにとって、他人というものも社会というものもすべて実際に個として存在するのではなく「自分」の一部にすぎないんだってさ。もちろん「個」とか「セカイ」を考える中で、便宜上そういう見方もできる。だけど、ちょっと彼らのは、それを曲解しすぎではないだろうか。対象と一言も言葉を交わすことなく、その対象を念じるだけで変えてしまえるとして、それは果たしてどういうセカイなのだろう。

これは、涼宮ハルヒではない。
涼宮ハルヒが、このスピリチュアル的状況により生み出されたものとは思えないが、しかし、同時代に存在し、こうして語られる現実とは?

自分が変われば世界が変わる的な言葉や何かを、最近見た中からいくつか。
○涼宮ハルヒ
└むしろハルヒが変える
○仮面ライダーカブト最終回
└わりと社会的な意味だったと思う
○スピリチュアル派(深刻系)
└どうも、本当に自分が変われば「セカイが変わる」ことになるらしい。
 そういえば、雷門の前の新興宗教もそんなことを言っていた。
 ほんのたとえ話だと思っていたけれど、上のリンク先を見る限り、彼らの「セカイ系化」はとんでもないところまで進んでいるらしい。もはや、「じゃあなんでこの世から争いはなくならないの?」とか「なんで環境破壊は止まらないの?」なんてソフトな揚げ足取りをしているようなレベルじゃない。

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最近またやけにスピリチュアル的なトラックバックがあったりして、うんざりしながら一応見に行ったりもするのだけど、なんというか、あれですね、やっぱ、結構、スピリチュアル派というのは、お金が好きみたいですね。文字で書かれてこそいないものの、お金大好きって雰囲気に満ち満ちているのが少なくない。江原さん江原さんとみっともなく叫ぶのとはまた別の意味で、恥ずかしくないんだろうか。ないんだろうね。
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以前からここにも書いているように、ぼくはときどきmixi日記にも、アンチ江原スピリチュアル関連のものを載せています。

主に、mixiニュースに江原関連記事が出たタイミングでアップしているそれは、ニュース関連日記という形をとることで、多少なりともスピリチュアル派の目につくことを考えて書いていたりもしますが、その甲斐あってか、スピリチュアル的な人々と直接の接触を持つことができました。

それは、一度や二度のコメントのやりとりにとどまらず、あちらの領域に拡大する事で、スピリチュアル的なメンタリティの片鱗を垣間見ることができた貴重な経験になったのですが、その経緯について、一度ここで触れておこうと思います。

少し前に話題になりそうでならなかった、「カリスマ霊能師 江原啓之にも『あるある』疑惑」というニュースに関連して、おなじみmixiに書いた日記と、それに続くコメント覧を、今回はここに転載してみようと思います。

ニュースはここから。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070204-00000001-gen-ent
ずいぶん前に書いたスピリチュアルという危機4 完全アンチ宣言。に、変なコメント(http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-97.html#comment53)がついたのですが、ちょっと流暢な日本語が話せる人ではないようで、実は理解に苦しんでいます。

かといって、それをこちらで勝手に解釈して返答しても、またmixi日記のスピリチュアル派(そのファーストコンタクトについてはいずれまた書きます。今はこれこれ を参照。申し訳ないけどmixi日記です)のようなことになるので、今回は、公開質問という形で、[53]のsさんに再度説明を乞いたいと思います。
(1)の続き。
もともと1ヶ月くらい前にmixiに書いたものですが。
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最近、NHKで、ウルトラマンの元企画であった「Woo」をもとにした青春ドラマ(『生物彗星WoO』http://www.nhk.or.jp/woo/)を2、3回見たのだけど、あの番組の、"ドラマ部分"と"怪獣バトル"との関連のなさは異常。
(実は既にNHKハイビジョンで放送が終わったものなのでどうこう言っても仕方ないのだけど、いろいろとアレします。)
(2008/1/24追記)
このエントリは、ずいぶん前に「江原やらせ」がニュースになった頃のものです。

まだ断続的に、「江原 やらせ」で検索してくる人が多いようですが、そもそも江原はスピリチュアというネタで売れた一発芸人なので、やらせとかいう以前に、仕込みは当然じゃないでしょうか。テレビだし。
その仕込みは前提として、江原的な何かを信奉しおかしなことになっている人たちはたくさんいて、このブログでは、江原を含めて江原的な何かとその周辺を問題にしていた時期がありました。

というか、それじゃ江原がやらせで、それ系のスピリチュアルなんちゃらはどうなのか。テレビ的な力や予算がない彼ら、「仕込み」をしたくてもできないような彼らはホンモノなのかといえば、そんなことないですよね?
相談者(?)の言ってほしいことをそれっぽく言って、心の隙間を埋めてあげて(というかつけこんで)、それは癒しだって言うこともできるけど(ぼくも昔はそう言ってたけど)、それってどうなの?みたいな。

ちなみに、信じるやつがバカってことを言いたいんじゃなくて、そういう状況を生み出している現代こそが…とぼくは言いたいのですが。

あと、コメント等大歓迎です。
下のコメント欄にもいろいろ書いてみました。

(2008/1/22追記)
過去の江原日記はここで

スピリチュアルという危機(このブログ内のカテゴリです)

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↓ここからが2007年2月時点でのこのエントリの記事です↓

江原氏に関して、トラックバックをいただいた先の人(江原派)が、やらせ疑惑の件に関してこんなことをおっしゃっていました。

ここ。

あやうし江原啓之さん

(テレビなんてほとんどやらせという話に続いて)

でも視聴者はわかっています。
だけど見ていて楽しいのだからそれでいいと思います。

ヤラセだからどうのこうのというのではなく、自分にとって利益になるかどうかで判断するべきでしょう。

江原啓之さんの発言などはとても勉強になります。
カウンセリングの方法を熟知しています。

最近忘れられたよき日本人の考え方が勉強できます。



…「よき日本人の考え方」って何よ、という話はさておき。

これって実はすごく重要なこと(江原的な何かを考える上で)を言っているんですよね。(※もちろん、江原大センセイの教えがすごく重要って話ではありません)

「自分にとって利益になるかどうかで判断するべき」
「見ていて楽しいのだからそれでいいと思います。」

まさにそういった現世利益追求的な言葉にこそ、今のスピリチュアルな風潮を読み解くカギがあるようです。

人生における物語の不在と、それを埋める前世や魂による「物語」の出現。あるいは「あなたが生まれてきた理由」(←浅草に本拠地を置く新興宗教の看板にある言葉。江原ブームにうまく乗ったのか、大通りに修行所がオープンし今もにぎわっているようです)のようになぜか自分がそこにいることについてすら「理由」や「意味」が求められること。
それが満たされることにより安らぎを得るのは、結局誰なのか。
口先ではそのことによってセカイに対して云々とか言うかもしれんけど(それすら言わんかもしれんけど)、要は現世利益さえ得られればいいってことじゃないのか。

べつに、いまどき、自分さえ(あるいは自分とその周囲さえ)幸せならそれでいいという考え方は、江原信奉者やスピリチュアル派だけに限ったことではないのでしょうが、実は意外と、スピリチュアル派を見ていると、その傾向は強い。ある種の密教的なものかな。

その点についてはいずれまた触れます。
===

ちなみに、前述のあるある疑惑については、またmixiに日記書いてますよ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=337428600&owner_id=26047

このmixi日記の中のどこか(コメント欄かも)でも、江原的な感覚が「私」や「個」にこだわりすぎ、ただでさえ虫の息だった「公」の概念にとどめをさしたとか書いているんだけど、要は、上で引用した人のような観念が広がってしまったということですね。
最近アンチスピリチュアルのことばかりだったので、違うことを。
でもこれもmixiの転載。
=====

先日、渋谷のパルコにウルトラマンの展覧会のようなものを見てきた。(12/31までだったので、もう終わった。)
□関連記事:
http://www.walkerplus.com/shibuya/event/20061208ultraman.html
http://www.shibukei.com/headline/3889/index.html

オブジェクトとかサブジェクトとか題された展示で、昔の着ぐるみの残骸や、倉庫の奥から出てきたような壊れかけのセット、あるいは、レプリカのビートル(あの銀色の飛行機)などをケースの中に展示して、さらに、なぜかそれをアートっぽく撮ったような写真が壁にかけてあるというものだったのだけど、これが、何だかとても違和感がある。
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