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一度は学んでみたい日本の文化ランキング
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=394111&media_id=45

前々から(mixi日記に書き始めたのは比較的最近だけど、サイトには2004年くらいから)書いているように、実は着物女が苦手。
べつに成人式のギラギラモジャモジャしたアレが、という話ではなくて、最近では日常的にそのへんをうろうろするようになった、いわゆる「着物女」のこと。

もちろん、すごく綺麗な着物の人もたくさんいて、そういうの見るのは好きですよ。30年40年眺めてもきっと飽きない。
だけど、大手を振って着物で歩いているような女性(これは、慣用句的意味で大手を振っているのではなく、本当に、物理的に、大手を振りつつ大股な、そういう歩き方をしているという意味)がたくさんいて、そういうのは見ていて本当につらい。
だいたい、普段はジーンズとかジーパンとかデニムしか履かない女性が、突然思い立って着物を着たところで、その立ち居振る舞いはゴールドラッシュな荒くれ男と何ら変わらない。そのアンバランスなキモノガールにトキメけという方が難しいんだ。

今も浅草の近くに住んでいるからアレなんだけど、前はもっと浅草のど真ん中だったので、毎週それ系の荒馬のような着物女を何人も見るような、そんな日々であったこともこの考えにつながっているのかもしれない。そりゃ、嫌なタイプの着物者の数だけはどんどん目につくから。

まあ、そういう人たちは、自分が好きで着てるんだからあんたなんかに何か言われる筋合いはないし、てめえが好きだろうが嫌いだろうが歯牙にもかけないよ、というところだろうけど。ぼくだって自分が好きか嫌いかという、ただの嗜好をこんなところでぶつぶつ書き連ねているだけなので勘弁してください。


着物女って書いたけど、着物男も苦手。
これについても最近よく触れているので詳しくは書きませんが。
着物女(若手)に関して言えば、数年前は1割もいなかった綺麗な着物女性も最近は比較的増えてきていると感じられる昨今ですが、着物男(若手)でまともに見られるやつなんていまだにほとんどいない。
浴衣男もやけに腰履き過ぎる帯とかが気になったりすることもあるけど、まあ、それはゲンダイの風物詩としてさておき、着物の方。
あ、ちなみに着物男でも役者になると、これが抱かれたい男性ナンバーワン(当方男ですが編)になったりするから不思議なのですがそれはさておき。

そのへんに転がっている着物男たちって、やけにオタクっぽいとか(アキバ系って、誰も言わないけどファッションだけじゃなく顔立ちや骨格の類似性もあると思うんですが、その類型につながる雰囲気)、やけに血色がよい数年後とっちゃんぼうやになりそうなアレとか、汚い意味で髪が長いとか(といっても書生風ではない)、背が高い最近の若者が古着を着ているせいかやけにスネが出ているとか、違和感の原因はいくらでも見つかるのだけど、それ以上に言葉にならない嫌な感じが抜けない。
これは単に、長く着てればきっと馴染むよ、という話ではなくて。

ただ、こういうことを書いているからといって、二本の電灯分科(最近こういう単語が誤字っぽかったりカタカナが多くなるのは言うまでもなくわざとです、念のため)が嫌いだとか、アメリカ万歳/欧州こそセカイのブンカのチュウシンだなんていうのでもなくて。その点について言えばむしろ逆かもしれない。

たぶん10年ほど前のぼく、まだ役者の名前もよく知らないくせに、あるいは歌舞伎と日本舞踊と狂言と能の違いもよくわからんくせに(いやそれくらいはわかっていたとしても)、芸能花舞台とか得意気に見ていたころのぼくは、実は、たぶん現在浅草や銀座に着物で繰り出す若年層と、さほど変わらぬメンタリティで生きていたと思う。
アサハカなぼくら(中二病の一種)が思い描く80年代や90年代(つまり当時のことね)のニホンノシャカイは、いわゆる欧米偏重、アメリカナイズされた生活こそ世界一、というロックでポップな渋谷パルコ公園通りなものだった。そして、それに対する反動文化、カウンターなカルチャーとなり得る(と信じていた)ものこそカッコイイニホンのブンカだった。

そのカウンター活動の一つは、アニメやマンガこそニホンの誇る至高の文化とうそぶくことであり(今では周知の通り国を挙げて本当にアレな感じになっていますが、当時はガンダムが好きというだけでそれ系の病院に入れられるかどうかの境目だったほどです)、もう一つが、ニホンブンカカッコイイと謳い上げ、ワビサビとワサビの違いもわからぬまま(この言い方は恥ずかしいけど、それ以上にかつての自分が恥ずかしい)に、「無造作ヘアは造作しまくりじゃないか」と叫びつつ、作為だらけの日本の無作為のブンカを誉め讃える矛盾に満ちた盲目的なニホンモノへの愛だった。まあ、ただの憧れですよ。

実際の話として、かつてのぼくは茶道をアレしたりなんかしちゃって、それは今でも大切な基盤になっているし、細川忠興なんかがテレビやゲームで出てきた日には、おや、師匠じゃないですか、くらいの勢いなのだけど、それでも、いや、だからこそ(?)、なんかアレ。ちゅーかアレ。
ああ、やっぱりそうだ。自分もそうなんだ。

たとえば着物女着物男は、よく下町言葉というか江戸言葉というか、まあ、それっぽい言い回しをよく使うけど、実はぼく自身、ついついそういう言葉を使いがちな傾向がある。昔の日記なんかにそういう言い回しがちょこちょこ出ているのに気づいたりすると、うわぁああって、頭をかきむしってしまうほどに、なんか、いやだ。
たぶん、自分自身の根っこに、そういう、中二病のまま育ってきたジャパニーズカウンターカルチャー賛美の部分があり、それは今も強く残っていて、そしてそれとよくにたニオイのものが、見苦しい方の着物女着物男(若手)からの腐臭としてプンプン臭ってくるんだ。

あるいは、
とりあえず日本ってついてりゃカッコイイ的な、よくわからんけど風流って言えばわかってるっぽいよね的な、先祖は農民だけどおれたちみんなサムライだよね的な、デントウゲイノウって見てもわからんけど見てる俺って最高的な、正座なんて五分もしてられないけどタタミっていいっすよね的な、源氏物語ってどんな話か知らないけど最高の恋愛物語だよね的な、鎌倉の前って何時代か知らないけど実は日本史詳しいよ的な、アニメの原点ってチョージューギガだよね的な、マンガの原点は法隆寺の落書きだよね的な、キモノ着てるあたしってイキだわぁ的な、おれオタクじゃなくて通なんだよね的な、スピリチュアルカウンセリングは日本の古きよき心を伝えるんだよ的な、日本語の乱れが気になるんですって言っておけば何でもまかり通る的な、初詣に行くのは古くから伝わる日本人なら当然の格式ある風習なんだよ的な、スシこそ日本人が先祖代々伝えてきた食文化だよね的な……
…挙げればキリがない、こういった無知蒙昧さやそれってどうなのと言いたくなるこじつけからにじみ出る「ニホンブンカって奥が深い」なんて言葉が、今のそれ系のものブーム(ブーム?)を下支えしているように見える昨今。それがまるで鏡に映った自分をみているようであるだけに、ますます、いやなジトジトした気持ちだけが、心の奥のくらーいところから沸き上がっては消えることなく積み上がっております。

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ちなみにこれは、まあ、普通に読めばわかると思うんだけど、ニホンブンカ自体を貶すでも卑下するでも学ぶなと言っているのでもなくって。むしろもっと当然で自然なものであるだけに、じゃあ最近のそういうのって、どうなのよ、みたいな。ちょっと特別視されすぎて、贔屓の引き倒しってこのことじゃないかしら、みたいな。

まあ、上にも書いたように、80年代90年代頃って、ロックでポップな云々というのは端的に過ぎるとしても、日本全体で見れば本当にニホンブンカ的なものってものすごく惨憺たる状況になったように思うし、そんな中で育った、ろくに歌舞伎も能も落語も源氏物語も古事記も古今和歌集も相撲も接点がないまま育った20~30代というか、自分自身も含めた若年層の生まれの不幸というのは、ぬぐい去ることのできないこの国の汚点だと思う。

そんな文化的空白の時代が、いびつな反動となって、やけに増えたサムライ(ちょっと前にも書いた→http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-136.html)とか妙な愛国心になってしまうのも、これは、やはり仕方のないことかもしれない。



ちなみに、2003年に今日の日記と少し似たようなことを書いていた(→http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-27.html)んだけど、ちゅーか、これ、今読んでみたら文体とか全然今と変わってないのに、言ってることは今ぼくがとても嫌いな着物男的発想に近いことも混じっていたりして、ほんと、うんざりだ。

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もう誰も読まないけど追記。(2/1)

どっかで王さんのムスメが結婚をとりやめたおじさんが、「振られた原因は、そばを音を立てて食べることだから、音を立てないように練習しました」とか言い出して、何か本を出した発表にあわせて蕎麦食いを実演する、というニュース(これがニュース?)があったんですよ。この日記書いた翌日に。

で、なんかぐだぐだ言い訳して結局蕎麦は食べなかったようなんだけど(そういうなんかぐだぐだした体面ばかり気にするようなやつだから振られたんだろうな、という実演はできた)、その後それを見ていたモーニングショーのコメンテーター(笑)、というか、とくダネなんだけど、スタジオでも蕎麦を食べだして、ある人が言うことには
「蕎麦を音を立てて食べるのは日本のマナーだからね」
だと。

これは!これこそまさに上で書いた
とりあえず日本ってついてりゃカッコイイ的な、よくわからんけど風流って言えばわかってるっぽいよね的な、先祖は農民だけどおれたちみんなサムライだよね的な、デントウゲイノウって見てもわからんけど見てる俺って最高的な、正座なんて五分もしてられないけどタタミっていいっすよね的な、源氏物語ってどんな話か知らないけど最高の恋愛物語だよね的な、鎌倉の前って何時代か知らないけど実は日本史詳しいよ的な、アニメの原点ってチョージューギガだよね的な、マンガの原点は法隆寺の落書きだよね的な、キモノ着てるあたしってイキだわぁ的な、おれオタクじゃなくて通なんだよね的な、スピリチュアルカウンセリングは日本の古きよき心を伝えるんだよ的な、日本語の乱れが気になるんですって言っておけば何でもまかり通る的な、初詣に行くのは古くから伝わる日本人なら当然の格式ある風習なんだよ的な、スシこそ日本人が先祖代々伝えてきた食文化だよね的な……
…挙げればキリがない、こういった無知蒙昧さやそれってどうなのと言いたくなるこじつけからにじみ出る「ニホンブンカって奥が深い」なんて言葉

の一つですよ。

べつに、蕎麦を音を立てて食べだしたのは、落語を音で伝えるあのメディアが云々で、という誰でも知っているようなことを今さらアレすることはしないけど、言うに事欠いてそんな最近できたようなアレな風習を、日本のマナーと無自覚に言い出すような女。無知蒙昧さをベースにした「日本のマナー」。

いや、だからどうってことでもないんですが。
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いろいろニュースになったおかげで、やけに多くの人が「江原 やらせ」について検索しているみたいですが、そんなの、何を今更って感じです。

ちゅーか、やらせって言っている時点で、「江原には騙されないけど江原的な何かは愛する」と意識する/せざるに関わらず宣言するようなものなんですけどね。(※これは言い過ぎた。実際やらせですしね。この検索は何も間違ってないわ)


江原は、たまたまスピリチュアルというネタが一発当たった芸人にすぎない気がします。
ただ、それを必要以上に信じ、どうにもならない自分の人生、働き蟻、社会の歯車としての匹夫の生に我慢できないものの、しかしどうにも動かしようがない自分の人生を、江原的な前世や来世に仮託してしまう人が多くいること、そして、そういう人を多く生み出してしまう現代。本当は、そういうところに目を向けないといけないのに、今もまた、単に江原一人を糾弾する(するのか?)のみで終わってしまうかもしれない。

本当は、そんなトカゲのしっぽ切り的な、思考の断絶した世の中の方が、気になりますよぼくは。

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過去の江原日記はここで

スピリチュアルという危機(このブログ内のカテゴリです)

思えば二年前からこんなこと書いてたんですね…。
最初は、「スピリチュアルって何?⇒まあ、それで救われる人がいるならいいじゃん」的なところからはじまったんだけど(なので初期のエントリを読むと、まるで江原肯定派のようです)だんだん、「江原っておじさん、やばくね?ていうか何教?」となり、完全アンチ宣言はしたものの、そもそも江原は入り口、あるいはその目隠しにすぎず、本当はその奥というか底というか、もっと見えない部分にあるものの方がやばい、という感じの流れになっています。

あと、ブログに移してないエントリも、mixiの方に残っていたりするけど、どこに何があるか自分でも把握できていません。
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=26047
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