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mixiから転載
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間違いやすいカタカナ語ランキング
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=444811&media_id=45

ずっとモヤモヤしていたことをこの機会に言ってしまいたいのだけど、

「○○アワード」

ってよく聞くんですが、「award」って
アワードじゃなくて、アウォードだよなって、実はこの数年ずっと疑問です。

そこそこ権威があると思われる賞なんかでも、アワードアワード言っているし。


以下、ついでに、大したことないメモを載せてみる。

・アウォードとは全然関係ないメモ1。
最近よく、つばめグリルに行っているんですけど、毎回決まって注文するものの、しかしいつ行っても、「ない」もしくは「○○が品切れなのでかわりに野菜をたくさん入れたのでよければ…」と言われるメニューがあります。

その名も「ドイツ鍋」。

アイスバインやらソーセージやらロールキャベツが渾然一体となったドイツの風味溢れるであろう鍋は、何ヶ月も前から常に憧れであり、しかし決して巡り会うことのできない哀しい巡り合わせのぼくとドイツ鍋。

もうこうなったらドイツにでも行くしかない気がする今日この頃。
(でもたぶんドイツに「ドイツ鍋」はないと思う…)


・アウォードとは全然関係ないメモ2。
ハリー・ポッターの新刊(日本語版)がもうすぐ出てしまう。
とっくの昔に原作は読んでしまったけど、結局誰にもネタバレ語ったり、遠回しに「俺知ってんだぜ」的な自慢をする機会がなかった…。

というのも、そもそも、ハリポタ好きっぽい人が、ほとんどいない。

個人的にはすごく大好きなんだけど、しかし本当に人気あるの?的な疑問を拭い去ることができない今日この頃です。

ちなみに上で「原作は読んでしまった」と書いたのは、「日本語版は原書とは全然ベツモノDAYONE」という感じのイヤらしいプチ自慢がしたかったわけですが、こういう、遠回しにプチ自慢する人って、嫌いだなあと思います。
自分のことですが。
あと「ハリポタ7巻って、もう映画の原作であることを前提に、それをかなり意識して書いてるよねー」的な、無駄に上から目線な何かもきっと言いたかったんだけど、ほんと、こういうこと言う人ってやだなー、とつくづく思います。
自分のことですが。


・アウォードとは全然関係ないメモ3。
「おまえの書いた文には主語がない」的なことを言う人って時々いるけど、大抵の場合その文章に必要なのは「目的語」であって、そして、大抵の場合、「主語がない」って言っているおバカさんは目的語を主語と勘違いしていて、これはなんか、かわいそうだなあ…と感じたことについては、随分前にどこかに書いた気がするのだけど、その、こう、主語と目的語の取り違えっていうのは、単にそういう人たちがおバカさんなだけではなくって、むしろ、「目的語」というものを「主」たるものと感じるようになっている、ぼくらをとりまく状況の変化、といったものが関係しているのかもしれない。
と思ったけどべつに根拠はありません。

ちなみに、ぼくは昔から文法というものが嫌いだったので、「主語がない」とか言うおバカさんをこっそり傍で見ていて、言っている意味がまったくもってわからなかったときに、「ああ、きっとぼくがとんでもない低能だから、高尚な文法に関する文学的会話にはまったくついていけないのであるなあ、残念なことだ」と思ったのだけど、実はそれって、単におバカさんが主語と目的語を取り違えている、というか、(たぶん)目的語という言葉すら知らないことによるコミュニケーション不全に原因があったのだと気付き、まあ、そういうものか、とため息をついたある寒い日の夜でした。

ちなみに、たしかに言葉というものは変化するもので、「間違った」使い方を「新しい」日本語なのだからこれはこれでいいんだ、とする考え方って、たしかに間違ってはいないと思うのだけど、「間違った」言葉の使い方しかできないようなおバカさんが、そういう言葉は時代で変化するんだ、なんてことを言い出すと、もう、なんというか、目も当てられないというか当てたくないというか。バカの言い訳は聞き飽きたわ、という気分になります。

この、間違いやすいカタカナ語なんてのもそういう部分があって、突然今思い出したのだけど、「シミュレーション」を「シュミレーション」と言っている人に「シミュレーションじゃね?」と言ってみたら「いや人それぞれだから…」のような言い方をされて、「ん?」と首を傾げざるを得なかった。

たしかに、価値観の多様化という言葉は便利で、価値観が多様であるという概念によって生まれる可能性というのもあると思う。
だけど、どうも「価値観なんて人それぞれだから」と口に出すやつに限って、よく聞いてみると「人それぞれだから俺の意見を認めろよ(そしてお前は自分の非を認めろよ)」というアピールに過ぎなかったりすることがある。
もちろん、まあ、世の中毎日毎日ぶつかってばかりじゃ疲れるので、「ま、人それぞれだし程々にね」という丸い丸いおさめ方というのは便利だし、そういうのって大事だとは思うけど、それを自分の正当化だけのために使おうとする人々が少なからずいるというのは、なんとなく切ない。


・アウォードとは全然関係ないメモ3。
ここまで書いてきたのでこの勢いで変なこと書いてみる。

最近、線路に人をつきおとしたやつのニュースが少なからず話題で、いろんなところでよく目にするわけですが、つくづく思いだすのが、昨年末お茶の水かどこかで中国人二人組がちょっともめた(というか注意された)相手を線路に突き落として大けがさせた事件。
中国人は線路に人を突き落とすという都市伝説の具現化したアレのスルーされっぷりと比べると、すごくアレだなあ、と、感じざるを得ません。
まあ、深い意味はありませんが。
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