http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080626dde041040005000c.html
京都産業大(京都市北区)2年の男子学生3人が今年3月、世界文化遺産に登録されている地区にあるイタリアのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の石柱に氏名や大学名を油性ペンで落書きしていたことが分かった。大学は26日にも処分を決める。聖堂では岐阜市立女子短大の学生の落書きが発覚したばかり。大学によると「あこがれの場所で興奮していた。他に落書きがたくさんあり、ついやってしまった」と話しているという。
(画像は世界遺産のある大聖堂の落書きです)
今日も大して海外なんて行ったことがないぼくが、昨日の実名入り日記(写真オリジナルに修正しました)に引き続きまた何か書いてしまうんですけど、「他に落書きがたくさんあり、ついやってしまった」と今回の学生も言っているとおり、教会とか大聖堂の落書きって、本当に多い。
もちろん、だから落書きしてもいいってことではなくて、ただ、わざわざニュースというか新聞沙汰にするほどのものでもないだろうと。 画像も、上に書いたとおり世界遺産の大聖堂のてっぺんで撮ってきたものなんですけど、ほんとにひどい。360度全方位に落書きだらけで、しかもそれは、ひとつの大聖堂に限ったことじゃなく、他の地域でも同レベルに乱れたものはたくさんあるわけで。
ちなみに、画像の中にはD大の銘入りのものもありますけど、露骨に自らの所属を明らかにしているものもやはり少なからずあって、まあ、教養が足りないんだとは思いますけど(とはいえミクシィやブログで恥ずかしげもなく日記を衆目にさらすのとどちらが教養がないかといえば、大差ない気もしますが)、でも、良い悪いでいえばもちろん悪いの方に振り切れた行為とはいえ、やっぱりいまさらニュースにすることではないし、なんだろう、なんというか、得体の知れない気持ち悪さがある。 最初に短大生の落書きをみつけて大学に文句つけたのが、たとえば左寄りの新聞記者かその身内だったんじゃないかとか、なんかそういう、気持ち悪さ。
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ちなみに、このニュースを見て日本の恥とか日本人はそういうものに対する意識が云々とか書いているニュース日記が多いようだけど、落書きってどう見ても日本人だけじゃないというか、まだ日本人は比較的マシな方だし(むしろ、美意識的なものより、そもそも現地に落書きが多いことで自分も…的なちっぽけな根性とか、みんなで渡れば怖くない的ないやらしさの方が揶揄の対象としては適切じゃないでしょうか。いや、ぼくはそんな変なこと言いませんけど、敢えて言うならば)、なんだろう、何かあると日本人は日本人は…って言う人は、なんか小さいなあと、もっと小さいぼくが言ってしまいます。 まあ、一昔前は「これが日本人の悪いところ」「だから日本人はだめなんだ」なんてことを平気で言うというか、むしろそういうことを言うことが賢いと思っている恥知らずがたくさんいて(今もごく稀にいるけど)、その頃と比べれば、多少はましだろうとは思いますけど。
あと、普通に他の国でもやってることを、「○○は日本だけだ」とかいう言葉をいい意味でも悪い意味でも使う人たちも、いまだに時々発見することがあって、なんかがっかりしますね。いや、これは身内の話なんですけど。
昨日の日記はこっち
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-197.html

■岐阜市立女子短大生6人、フィレンツェの大聖堂壁に落書き(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080624-OYT1T00570.htm
岐阜市の市立女子短大(松田之利学長)は24日、学生6人が今年2月に海外研修旅行でイタリア・フィレンツェ市を訪れた際、13世紀から15世紀にかけて建設された「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁に落書きしたと発表した。
同短大はイタリア大使館と大聖堂に謝罪し、学生6人と引率教員2人を学長厳重注意処分にした。
発表によると、6人はいずれも現在2年生。大聖堂の大理石の壁に縦約30センチ、横約20センチにわたって、日付や自分の名前、短大名などを油性フェルトペンで落書きした。 同3月、日本人旅行者が発見、同短大に連絡して発覚した。6人は「気分が高揚して書いてしまった」などと話しているという。
同短大は修復費用の負担を申し出たが、大聖堂側から「謝罪してもらえば責任は問わない。費用負担は不要」と連絡があったという。
大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられている。
(2008年6月24日21時05分 読売新聞)
ぼくもそんなに海外とか行ったことないんだけど、数少ない経験で回ったヨーロッパでも(今回のニュースの舞台フィレンツェを含め)、そのへんの道端はもちろん、歴史的な建物(それこそ世界遺産級)でも、かなり落書きってされていて、もちろん日本人の落書きも相当な数があるけど、中国人のも結構ひどいし、ハングルも目立つし、それ以上にアルファベット(もう何語か判別つかない)のものも、かなりの数があるわけで。
特に、古い塔を上る階段の内壁とか、その塔の頂上とか、落書き天国って感じで。
ぼくも何とかと煙は高いところが好きな、その何とかの方なのでよく螺旋階段を登って塔や大聖堂のてっぺんを目指したりしがちなんだけど(人生においては一度もてっぺんをめざしたことなんてないくせに)、ひどいところは本当にひどい。なぜか白マジック(修正液?)で書かれまくっていたりするし。そんな、白マジックなんて、落書き目的以外日常的に持ち歩かないだろ、みたいな。
このニュースのやつらも、各地で落書きの数々を見て、調子に乗って熱に浮かされたように書いたくらいのことで、何もないところに突然思い立って書き残すほどの気概とか心意気(悪い意味で)があったわけでもないでしょう。もちろん、やったことは言うまでもなくひどいことなんだけど、まあ、小さい小さい。大聖堂側だって、べつに謝罪だけでいいよって言うわ。
ちゅーか、わずかな個人的経験の中で一番ひどいなーと思っているのが、今回のニュースネタと同じくイタリアなんだけど、ピサの斜塔の上のほうの柱に書いてあった日本人名の落書き(画像参照)。
字を見る限り、そのへんの小僧のものとは思えない書体なのだけど、かなり気合いが入っている落書き。しかも塔の性質上(ダラダラ登るわけではなく、時間入替制)か、落書きなんてほとんどないところに突然の連名落書き。日本の恥とか国辱とかいうのは、こういうときになら使ってもいいのかな、と思う。
中西渉と廣井利光。
たぶん教養が著しく欠如しているんだろうけど、いったいどこのどいつかと。
ずっと気になっていたんだけど、こういうタイミングでもないと言う機会もないので、画像つきでのせてみた。
ちなみに、今手元にあったのがこれだけなんだけど、他にも関西のD大(カンカンドウリツの中のD大)の名前入りのやつとか、べつに岐阜の短大生に限らずみんな教養がアレという画像も持っていたりします。
そろそろほとぼりも冷めてきたかもしれないのでこっそり書いてみる。
・5/13
6月歌舞伎座の歌舞伎会先行販売。いつもどおりウェブで購入。
ワーキングプアな現実の中での予算を考えると、さすがに今月は1階というわけにはいかないものの、3階Aでは既にめぼしい席はかなりとられてしまっていて、かろうじて、6月8日昼の部(11時〜15時半くらい)で、まあ、それほど後ろすぎない席は購入でき、一安心。
ちなみに昼の部か夜の部かで悩むも(演目はどちらも魅力的)、席の位置を見比べたり曜日の関係で、その時点でのベストと思われるポジションが得られたため、この「6月8日の昼の部」を確保。
それにしても、最近本当に席がとりづらい。まあ、自分自身その波に乗っているわけですが。
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・5月最終週頃
バニラビーンズ(北欧風アイドルユニット。以下、バニビと略すこともあります)のアキバでのイベント(握手会、撮影会的な)の詳細が公開される。なんと、「6月8日14時〜」。
歌舞伎と同様にバニラビーンズのことも大好きなので、本来なら是非行くべきイベントであるにも関わらず、先に購入した歌舞伎の日程と、ぴったりかぶる。
先の日記でも書いた通り(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=824829046&owner_id=26047)、どうしてこうも狙いすましたかのように「間が悪い」状況が発動するのかと、人智を超えた力を呪おうとさえ思ってしまった。
たとえばこれが他の日なら何も問題ないのはもちろん、あの時同じ日の夜の部(4時半〜)でクリックしていれば、秋葉原・バニビイベント→東銀座・歌舞伎座(日比谷線利用で乗り換えなし)というパーフェクトタイミング・パーフェクトルートな一日が送れたのに、と、心底悔やみ、紙一重のタイミングを本気で気に病む(これはその日記に書いた通り)。
↓前の日記から引用
それはさておき、6月も歌舞伎座のチケットは早々におさえたのだけど、そう、いつもいつも間が悪いねえでおなじみのぼくなので、今回もその「間が悪いね」が発動してしまい、バニラビーンズ(http://music.mixi.jp/view_artist.pl?id=2035608)のアキバでのイベントとかぶってしまった!しかもめずらしく昼の部のチケットがあるところに、ジャストタイミングで!これが夜の部なら、間違いなくバニビの後で歌舞伎という最高に望ましい一日を送れる状況だったというのに!
本当にもうね、なんというか、間が悪いのって自分のせいもあるんでしょうねきっと、とは思っていましたけど、ここまでくると、何かの悪意すら感じてしまいますよ。お岩の祟りとか。(※注:それは間違ってもお岩の祟りなんかではなかった)
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・6月1〜7日
歌舞伎のチケットは捨て置いてバニビに行こうかと本気で悩み続ける(払い戻し等は当然できない)。
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・6/8(歌舞伎・およびバニビイベント当日)
バニラビーンズに後ろ髪を全力で引かれる思いをしながらも、結局朝から歌舞伎に向かう。
「新薄雪物語」と「俄獅子」。
薄雪一幕目の秋山大膳(いわば悪役)が登場したあたりからが俄然面白い。
特に一幕終盤の染様(しゃぶりた男性第一位/当方男ですが篇)の立ち回りは、やばい。やばいとしか言いようがない。というわけでもないけど、というかべつにやばいって、そんなに大した表現でもないけど。とにかくすごくいい。
三幕目の幸四郎と吉右衛門もかなりかっこよかったけど、染様にはあらためて惚れ直してしまう。
さらに俄獅子での染五郎と福助の、この最強タッグがまたすばらしい。超人タッグトーナメント優勝間違いなし。金のマスクも銀のマスクも関係ない。福助の動きなんて、レベルが高すぎてもはや笑ってしまうしかないくらいに、こういう言い方はアレなんですけど、粋な感じ。
先月から、この、福助と染五郎にはひたすら感銘し平伏するばかり。3階なんて上の方から見下ろすのが申し訳ないくらい。
バニラビーンズの二人組も、もちろんオシャレでかわいくて素敵なコンビネーションなのだけど、さすがにこの二人と比べると、そりゃ、ね。みたいな。
そのまま余韻にひたりながら、4時頃、銀座・中央通りから横に入った道でショーウィンドウを眺めていると、後ろの方で、携帯のニュース(iチャネル的な?)を(「なんかすげーことが起きている」という感じで)朗読している男がいるが(というか連れの女子に読み聞かせている)、「秋葉原にトラックが突っ込み…」という、今となってはおなじみのニュースも、その時点ではまったく意味が分からない。何かのゲームの話でもしているのかと思うものの、そこで携帯の電源を入れてみるとますます意味不明な状況になっている。
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・6/8「たら・れば」の話
もし直前までこっそり悩んでいたように、歌舞伎は捨て置き、バニラビーンズを選んだとしたら、いや、むしろ、そうであればと強く望んだように、歌舞伎は夜の部を選択していてバニビ(14:00〜)→歌舞伎(16:30〜)という黄金ルートがとれようとしていたら。
バニビ後の寄り道が時間的に難しいことから早めに秋葉原へ行き(自宅とアキバの位置関係から、中央通りには末広町側から入る)→まず秋葉原MADを覗きつつ路上アイドルを眺めたり途中の店に立ち寄りながら、ドンキの横から一本裏の道に入るか、もしくは、もう少し中央通りを進んで(路上アイドル等が多い休日はこの線が濃厚)、「中央通りと神田明神通りの交差点」を曲がり、どちらから曲がったとしても、神田明神通りからヨドバシ側へ抜けるルートを進むという定番ルートを(神田明神通り横の駐輪場に自転車を置きつつ)、12時〜13時くらいに通ったことは、日頃のアキバ生活でパターン化されている自分自身の様式と、その後の時間配分やタイミングの妙を鑑みるに、十中八九間違いない。
染五郎>バニビ というバランスだったから現実は今ある通りだけど、染五郎<バニビ というバランスだったとしたら、たぶん全然違う現在を過ごして、あるいは当事者になった可能性も想像に難くないどころか、むしろその方が現実なんじゃないかとすら思えて仕方がない。
今ある現実の方が、ズレてしまっている、そんな感じ。
ちなみに、同じ苗字の人がまきこまれて亡くなっていたので、「ひょっとして3116さんのことかと思った」と何人かに言われたのだけど、たしかに、それが自分でもおかしくなかった状況で、ぼく自身結構モタモタして間が悪い方なので、たぶん、タイミング次第では何が何だかわからないうちに、どうなっていたかというのは、いまだに想起するのをやめることができない出来事のひとつではあったりします。
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・また別の話
それとはまったく別の当事者感覚(当事者じゃないか。時代的な共感?違う、まあ、なんかそういうやつ)というのもあって。
それはぼくに限らず、「殺すのは絶対ありえないし許せないけど、ただあいつの言っていることがわからないわけじゃない」的な感覚を持っている人が、実は今少なからずいるらしく、そしてぼくも、多少それに近い感覚を持ってしまっています。
ただそれは、よく聞くような「社会に対する云々」とかそういうのとは少し違う。
以前しばらく江原ネタ(というかアンチ江原ネタ)ばかり日記に書いていたことがあったのだけど、その出発点のひとつが「ぼくの未来ってこんなんだっけ?」という(これはハレンチパンチの歌の歌詞なんだけど)感覚のズレで、「自分の人生の"こんなはずじゃなかった感"」というのは、時には埋めがたい深い絶望につながっていたりするように思えて、特に下手に希望とか夢とか言い出しちゃう中で育ち、「自分が主人公」の物語を生きているはずが、気づけば、どう考えてもド脇役の人生。
そんな中で、一部の人はエハラ的スピリチュアルの「物語」に身を沈めることで、「今でこそこんなだけど本当はこういう壮大な物語の主人公なのよ」という錯覚を得ることができたり、今ド脇役であるところの理由付けまで手に入れちゃったりしている。ただし、まあ、そういう人たちはえたして教養がない。申し訳ないけど。
だけど、そこに身を沈めることができるのは、あらためて考えてみると幸せなことなのかもしれない(といっても。全然うらやましくないですけど)。
今回のアキバの彼の場合、きっと彼自身もド脇役であるところの人生に、特に途中までは物語の主人公としての自分を錯覚できていたであろうものだけに、感覚のズレがあったことは想像に難くない。というか彼に限らず、今の自分自身に物語構造的なズレを感じてしまう人はたくさんいて、「社会が云々」とか言い出す人たちも、たぶんそういう、状況の「こんなはずじゃなかった感」というものを持っている気はします。まあ、そういうものを持たされてしまう時点でアレなんだけど、それはまた別の話。
ただ、まあ、大抵の場合はそんなズレがあっても無意識にあきらめたり、人生ってこういうもんだよね、って思ったり、ネット人格で構造上の逆転を図ってみたり(それで結構成功している人もいるだろうし)、また最近のアニメファンは、そこに「逃避」の可能性を見出すようなこともできているらしいのだけど、まあ、そういう逃避ができる人はうらやましいですね。あるいは、そもそも身動きができない「こんなはずじゃなかった感」があったとしても、でも、だからってどうこうできなくてじっとするしかなかったり、また他方では、エハラ的スピリチュアルや生まれてきた意味がどうこうという新興宗教に身を浸したり、という方向に行ったりして解消するしかない。
ただ、そういったことに忸怩たる思いを持ってしまったり、でも抜け出しようのないド脇役のその人生に感じるズレが限界に達してしまったときに、もちろん、他人を殺すのは論外だけど、でも、そこに如何ともしがたい閉塞感があったことだけは、感覚の肯定はできなくても、ただ、爆発してしまった人がいるというのは、必ずしもアキバ通り魔に限定したことではなく、他の人間の身に起こったかもしれない、あるいは、これからまた起きるかもしれないという危惧は少なからずあります。
特に、アンチ江原日記の中でセカイ系的感覚とスピリチュアルについても何度か触れたのだけど、いわゆるセカイ系的な偏狭な世界観しか持てない人々、というか、まあ、教養がないってことなんですけど、そういう場合、他人から見ればごく狭小なその「セカイ」を壊すことの重みが、その教養のなさゆえに尋常ではなく重いものになるわけで、たとえばアキバ通り魔程度の教養では、それはアキバを破壊することだったのかもしれないけど、それこそ江原信者程度の、ろくに本も読めないような、それでいてエハラ的スピリチュアリズムを持ち出して「見えないものが云々」とか、仮想メモリのような学歴中心主義の裏返しのような話で、世の中一般の教養より自分たちの方が優れているとか言い出すような、あの恥ずかしい人たち程度のセカイ感がいまだに偏在しているこの国では、そのうち親の子殺しくらいのこと(それは、そう、エハラ的スピリチュアルの重みではセカイを中心から崩壊させるような現象)が、どんどん起きてしまうんじゃないかという確信めいたものが、どうも最近頭から離れない。
セカイを崩壊させる試みは、たとえば昔の詩人は、本屋に爆弾に見立てたレモンを置くことで満足できたことかもしれないわけだけど、まあ、そんなフィクションはさておき、教養が薄ければ薄いほど偏狭になっていくであろうその「セカイ」で、たとえばアキバ殺傷は、まあ、あれは頭がおかしいとしかいえないのだけど、でも、たぶん「セカイ」を破壊しようとしたんじゃないかとも思えるし、そして今日本で一番教養がないくせにそれを認められない江原信者たちの「セカイ」=ごく卑近な家族やら何やら程度の「セカイ」が満ちる中で、今でこそ仮想メモリ上の「ニセ物語」物語で危うい均衡を保っていても、何かの弾みにそのバランスが崩れれば、できれば起きないほうがそれは当然いいのだけど、「セカイ」の息の根を止めるために子殺し(あるいは親殺し、夫殺しetc.)というのが近い将来頻発する、あるいはすでに起きているのではないか(もちろん、そういうセカイ系的感覚を共有できていない人たちの捜査や報道では、まったくべつの事象として出てくるのだろうけど)。
そんな危機感も、少し想起してしまうようになったのが、あの事件のごく卑近なところでの影響だったりもします。
というか、今回の日記は話が飛び飛びになりすぎていて、たぶんきちんと考えていることが書けていないので、この内容で怒られなかったらまたどこかで書きます。
特に、テレビでの露出はいろいろあって減ったように見えるものの、息詰まるような(つまりエハラ的スピリチュアルの鴨になりやすい人々がたくさんいる)地方都市巡業を繰り返す江原を見てしまった今日この頃なので、また、なんか、どんよりと暗い気持ちになってしまったりして。

