ハリポタ最終巻発売 書店に列
http://mainichi.jp/photo/news/20080723k0000e040023000c.html

世界67カ国の言語に翻訳され、累計4億部を超えるベストセラー小説「ハリー・ポッター」シリーズの最終第7巻「ハリー・ポッターと死の秘宝」(J・K・ローリング著、松岡佑子訳、静山社、上下セット3990円)が、23日発売された。初版は180万部。開店時間を早めた書店には早朝から熱心なファンが詰めかけた。

 日本では99年の第1巻以降の6巻で計2247万部を販売。主人公ハリーの運命が明かされる最終巻は、ファンの関心も特に高い。

 東京都八王子市のくまざわ書店八王子店は発売解禁時刻の午前5時に開店。168人が列を作り、発売を待ちわびた。

 開店前には翻訳者の松岡さんが魔女のコスプレで登場し、「今までで一番おもしろい本がみなさんのもとに届きます。一日で読んでしまわないでね」とメッセージ。ファンと一緒のカウントダウンのあと、1セットずつ手渡した。

 22日正午ごろから並んだ東京都葛飾区の会社員、青木千晶さん(29)は「一気に魔法の世界に運んでくれるハリー・ポッターが大好き。少しでも早く読みたくて並びました。物語が終わってしまうのはさびしい」。胸のうちは複雑なようだ。

 国内最多の販売部数が予想されるツタヤは、予約が過去の約2倍になったことから過去最大の14万部を仕入れた。


mixi日記等を眺めていると、ぼくみたいないやらしいタイプの人間はいやらしいことを書いているので、同様にぼくもいやらしく書くのだけど、もうとっくに原書で読んだよ☆

邦訳版は、文章がカビ臭いので、もう読めない。5巻までは喜んで読んでいましたが。
翻訳の人が税金でトラブル起こしたアレもあるから、あんまり買いたくないし。
装丁や絵もダサいし(英語版のアダルトエディションみたいなやつは、かなりマシな装丁)。
ハリポタなればこそみんな買っているけど、今後あの出版社が何か別の翻訳モノでも出したとき、買う人なんているんだろうか(まあ、本来こういう本の出版を手がける会社じゃなかったと思いますが)。
しかもあの訳のわりに、結構強気なお値段!

ということもあり、買わない。


英語の方は、原書といっても、わざわざ原書なんて畏まるようなものでもなく、中2くらいのレベルの英語なんだけど(たとえば受験生が長文読解の力をつけようと思って手にとっても逆効果なくらい生ぬるい。いや、あたいは大学受験のとき、某流行哲学乙女小説の英語版を手に取りましたけど)、たぶん毎回第一章があんまり盛り上がらない、というか暗いところからはじまる(ハリーとか出てこない)ので、そこで面倒くさくなって読むのをやめる人が多いことで有名(うそですが。ぼくが勝手に言っているだけですが)な英語版ハリポタ。そこだけ超えれば楽なんだけどね…という話を誰かにしたいしたいと思っていたのだけど、どうもまわりにハリポタ読んでいる人がいなくて、全然できなかったー。
誰が死んで誰がアレするのか、6巻最後のアレは実はアレだったとか、死の秘宝ってタイトルどうかと思うよね、とか、もうこれって映画の原作であることを念頭に置きすぎじゃね?とか、オールスター総出演魔法使い大進撃ですね、とか、アンブリッジが出てきて安心したとか、そもそもの前提となる話を共有できない以上誰にもできなかったし、「うわーネタバレすんな殺す」的なやり取りすらできなかった。

べつに、面白さを誰かと共有したいわけじゃない。
人より多少先んじて知ってしまったことをペラペラ話して嫌われるという、あの快感を、まったく味わうことができないまま、この日がやってきてしまったことが切ない。

もうね、発売前の書店の行列に並んで、ぶつぶつ話そうかと思ったもの。双子のアレがアレしてアレはアレするとか、マッドアイムーディはアレするんだけどそのアレがアレにアレでとか、杖を名前を言っちゃいけないアレがアレするんだけど実はアレでとか、ハリポタの杖のレプリカ売ってるけど、今は全然売れていないであろうあのキャラの杖がそのうち品薄になるんじゃね?とか(このへんの杖の行き来に関するあたりは、本当に面白かった)。杖といえば、この話のオチというか、エピローグに入る前のラストシーンは、とても気持ちよく読めて、本当によかったよかっためでたしめでたしと。
なんか途中から感想になったけど、まあいいや。


ちゅーか、書店に並んだ人たち、並ぶのはいいけどよく1年も待てたなと。その堪え性は見習いたい。コスプレ準備して買いに来る気力を、一日一ページでも既に出ている本を読み進めることに向けなかったその努力の無駄遣いは、嫌いじゃない。少しでも早く読みたくて並んだ29歳の会社員も、買いに来るほど仕事が暇なら、その仕事中にでも読んどきゃよかったのに。

と、なんかもう楽しみなことがあると全然我慢できなくてうずうずしてしまい、たとえばフラゲできるCDがあれば迷わず前日にCD屋に行くような、なかなか楽しみを後に取っておけない愚かで情けないぼくは、そう思ってしまいます。


ちゅーか、本はさておき、これは本当に、たとえば2章か3章あたりでハリーのおじさんの家を出て行くシーンの仕掛けにはじまり映像になったときにニヤリと楽しめる要素が大きいと思うので、べつに本読まなくても映画見ればいいと思うし、むしろ、映画見てこその完結だとは思いますよ。ほんとに。
まあ、あの、キャラてんこもり総出演な感じは、たとえば年末に第九の演奏会でボーナスをアレするような、まあ、そういう感じの何かで、それはそれで、好きですが。ファンとしても、「アンブリッジが出なかった!」とか激昂することなく気持ちよく終われますしね。


追伸
本の中に登場する"The Tales of Beedle the Bard"(アマゾンが高値で落札したアレ)、つい最近まで"Beedle the Bird"と、何かの鳥が語った話という設定なのかと勘違いしておりました。
バカですみません。ちゅーか気づきもしなかったけど、気づいてもBard=吟遊詩人なんて知らね。

と、こういう話も誰にもできなかった。
本当に、売れているんだろうか、ハリポタって。


ちゅーか、いい年してハリーのビルドゥングスロマン的な何かに共感できるというのは、現実にはダメな人間の要素が強いぼくみたいな男に特有の情けなさの象徴であり、そう考えると、まあ、あんまり読んでる人いないのかもねー。
邦人落書きの処分 伊では驚き
http://mainichi.jp/photo/news/20080702k0000m040123000c.html
「教員、大聖堂に落書きで解任の危機」−−。イタリア・フィレンツェの大聖堂に落書きをした日本人が、日本国内で停学や務めていた野球部監督の解任など厳しい処分を受けていることに対し、イタリアでは「わが国ではあり得ない厳罰」との驚きが広がっている。

 イタリアの新聞各紙は1日、1面でカラー写真などを使い一斉に報道。メッサジェロ紙は「集団責任を重んじる日本社会の『げんこつ』はあまりに硬く、若い学生も容赦しなかった」と報じる。

 フィレンツェに限らず、イタリアでは古代遺跡はスプレーにまみれ、アルプスの山々には石を組んだ文字があふれる。その大半がイタリア人によるものだ。同紙は「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と、日本人の措置の厳しさに疑問を投げ掛けた。コリエレ・デラ・セラ紙も「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」と論評した。


落書きの件、前の日記とその前の日記に書いた通り、そのへんの大聖堂(世界遺産クラス)なんて落書きだらけで、実際わざわざ日本の新聞様がニュースとして取り上げるのも異常。これ言うの3回目ですけど。
イタリア落書きの件
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-197.html再びイタリア落書きの件
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-199.html

で、2回目の日記にも書いた通り、
「良い悪いでいえばもちろん悪い方に振り切れた行為とはいえ、やっぱりいまさらニュースにすることではないし、なんだろう、なんというか、得体の知れない気持ち悪さがある。 最初に短大生の落書きをみつけて大学に文句つけたのが、たとえば左よりの新聞記者かその身内だったんじゃないかとか、なんかそういう、気持ち悪さ。 」
という、むにゅむにゅした感触が、その後の野球部の監督が落書きで解任とかいうヒステリックな対応を見てもそうなんだけど、どうしてもつきまとう。

今回の記事を見ても
 「わが国ではあり得ない厳罰
 「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」
 「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」
というイタリア側の論調も、ごく当然で(まあ、そういう気風が落書きだらけの状況を生んだといえばそれまでですが。でも落書きだらけは、べつにイタリアだけではない)、たとえば犬が人間を噛んでもニュースにはならないが、人間が犬を噛めばニュースになるというたとえを持ち出すとき、フィレンツェの落書きなんて犬が人間を噛む側の情報で、むしろ、それをわざわざ新聞沙汰にしてしまったことこそ、人間が犬を噛んだような話。まさに過剰。
(今回のニュースは海外ニュース扱いだから、国内での報道とはちょっと趣旨が違うけど、にしてもこれだってマッチポンプといえばマッチポンプだなあ)

やはり、最初の短大の時点で抗議した日本人観光客というのが、前述の妄想のように、たとえば左寄りの新聞記者だったり、あるいはプロ市民とまではいかなくても、セミプロ(?)級の「市民」じゃないか、とか、そういう、ザワザワした感じをどうしても抜け出せない。まあ、状況は既にその個人のヒステリーを離れて一人歩きしていますが。
しかし、今はきっと、そのヒステリックに抗議した「市民」は、ニヤニヤしてるんだろうなーと思うと、非常に気分が悪い。
こうなると、最初の短大への抗議の後、いったいどういう経緯で新聞沙汰になってしまったのか、ちょっと気になる。

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たとえば、おなじみ「ちびくろサンボ」が一時期書店や図書館から消えたのは(今でこそようやく並ぶようになりましたけど)、家族三人だけで作ったような「団体」の「活動」によるものだったりするのだけど、なんちゅーか、そういう、ヒステリックな「団体(というかむしろ個人)」の、無茶とも取れるような「要求」が、憎まれっ子世にはばかるとはよく申しますが、実は意外と世の中で存在感を持って受け入れられやすい。

無理が通れば道理ひっこむ。いや、この場合、何が道理で何が無理なのかは微妙なところだけど、たしかに道理ではあっても、それって無理だよね、的な感覚。
たしかに黒人差別はよくないという道理はわかるけど、いきなり抗議をはじめて、たいした議論もないまま、無理を押し通したりしやがって。ひっこめた側(出版社や図書館)もひっこめた側なんですが、そういう、道理なんだか無理なんだかわからない何か。

結構、この国では(いや、実はこの国に限らないんですけど)、少数派の意見もちゃんと聞いてくれる、というか、むしろ、少数派が少数派であることを盾にして無理を通せば道理をひっこめることがあるようですね。
まあ、そんなんだからモンスターなんちゃらだっていくらでも出てくる。

今回の落書きも、たしかに落書きは良くないことなんだけど、短大や何かに抗議して、はては処分を求める風潮を作り出し(それはもう個人のことではなく、世の中全体の動きに対してだけど)、実際に停学や解任と言った状況に追い込んでしまうというのは、果たしてどうなのか。それって正義なのか。それが正義なら、無法でたくさんだ。(←図書館の話を出したので、突然言いたくなった)


まあ、最初に書いた日記で、実は(どこの誰だかわからないまま)個人名を晒しているぼくが言うことではないですけど。

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よく、人生においては決して勝ち組とはいえないタイプの人たちの中で海外に強い憧れを持ったタイプの面々が「世界ではこうなのに日本人はこうだから、お前ら日本人は(言ってる本人も日本人ですけど)世界の田舎者ってばかにされるんだ」と、日本で田舎者とバカにされた悔しさをバネに、おかしなことばかり言っていることがあるんですが(国内における負けの構造を、セカイという別のワクを持ってくることで逆転させようという行為に駆り立てる渇望は決してバカに出来ないものですが)、まあ、それと同様に、こういう風に世界遺産なんて落書きだらけで…って書くと(ぼくに限らず同じようなことを言っている人ってたくさんいるようですけど)、「なにお前アキバ系のくせに知ったかぶりしてるの?」という感じなんでしょうけど、まあ、それは承知で、今日もつまらないものを書いてしまった。


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ちなみに、ちびくろサンボを追い詰めた家族団体は、サンボ活動しか知らなかったんだけど、調べてみたらかなりいろいろやっていたんですね。

黒人差別をなくす会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%B7%AE%E5%88%A5%E3%82%92%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%99%E4%BC%9A


なんとなく、前の日記の日本記念日虚業会(http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-200.html)にも通じるような、ついうっかりちゃんとした団体かと勘違いしてしまうけど、実は個人や家族の無理がいつのまにか道理になってしまっている状況(世の中が、いつの間にか個人の無理を認め受け入れてしまっている状況)って、意外と少なくない。

そういえば、ウルトラセブンの「ひばく宇宙人・スペル星人」に抗議したのも、そういう家族レベルじゃなかったっけ。まあ、昔からモンスターなんちゃら的なのっていたんですね。むしろ、今のモンスターなんちゃらが私的領域に閉じすぎているだけで、かつてのモンスターなんちゃらは、もっと手広くやっておったような。
7月7日の七夕、“恋の日”に認定
http://www.oricon.co.jp/news/ranking/55932/

元祖・遠距離恋愛の2人である織姫と彦星が年にたった一度だけ再会できる、そんな七夕はまさに“恋の日”。日本記念日協会は今年の七夕から正式に、『7月7日は“恋の日”』と認定した。織姫と彦星のための七夕と違い、恋をがんばる全ての人それぞれが主役になれるのがこの“恋の日”なのだという。この“恋の日”は、7月2日(水)に発売されるコンピレーションアルバム『恋のうた』がきっかけとなり、認定された。



レコード会社が宣伝がてらてきとーに作った日を、田舎のおじさんが勝手に作った個人協会(その名も高き日本記念日協会:http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html)に5万円くらいで認めさせておめでとうというニュース。

ずっと前にも一度書いたことだけど([違和感メモ] 日本記念日協会)、日本記念日協会なんて、いかにも公的な組織というか、たとえば総務省だか文部科学省だかが関わっていそうに聞こえるかもしれないけど、その実、長野の自称放送作家のおじさん(一応、昔記念日に詳しいという特技があったらしい。いわば林家ぺーが誕生日協会を設立する感じ?)が勝手につくって、認めてやるから金よこせという、うまい商売をはじめただけの個人(加瀬さん)のアレで、何の法的根拠もなければ、ここで「認定」があったからといって、べつに何がどうなるというわけでもないし、むしろ何もどうにもならない。大抵の場合は、記念日協会(というか加瀬さん)のデータベースの肥やしになるばかりという。
あるいは、件の記念日協会のサイトで、どうしようもなくひどい「記念日俳句(川柳ではなく俳句と言っておる)」を読まれてビミョーな感じになるオプション付き。加瀬さん、俳句の会に入っているのかね。

まあ、虚業虚業ってよく言いますけど、これはものすごくわかりやすい虚業ですね。

それにしても、記念日協会の検索サイト(http://www.kinenbi.gr.jp/)を見ていると、たとえば記念日の説明が、昔の言い方をすれば香ばしすぎて逆に面白い。金儲け大好きそうに見えて、まあ、たぶん大して儲かっている気もしないけど、結構がんばっている感じが垣間見えます。

日本記念日協会様の所在地(グーグルマップ)


ちゅーか、アンチな内容であれ、それに触れた日記を書く時点で先方の思うつぼにも関わらず、つい書いてしまった…。