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ちょっと遅めに起床。まず神保町の古本まつりへ。乗り換えを考えると面倒なので秋葉原から歩く。途中スポーツフェア(?)を通るも興味なし。スキーのリフト券先行販売に並ぶ人がいるが、まったく興味なし。
古本まつりの裏で開催されていたブックフェスティバルを先に回る。画集など数冊購入。お得すぎて荷物が重くなる。買わなかった本もあるが、やはりちょっと後悔。
古本まつりも眺めて、そのまま水天宮へ移動。上海蟹など食す。ちょっと飲みすぎた。帰ってそのまま眠る。
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姪のイベントで弟宅にて昼食、その後出社。
停電の都合で買っていた「まどか☆マギカ」アイスを食べる。意外とまとも。

夜、『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009)を鑑賞。ちょっとすぐにどうこう言える話ではない。
『バベルハイムの商人』(古海鐘一)2巻読了。
同世代の誰かに説明するとすれば、『アウターゾーン』と『笑うセールスマン』が今風になったようなもの、とも言えるかもしれないが、「貨幣(運命金貨)」の存在と、「交易の輪」という考え方があることの意味を強く主張し、それら旧来の作品と一線を画すものであることをここに記しておきたい。

人間って、何に使うのかも不明な"わけのわからないもの"を交換・交易することに底知れぬ願望と喜びを抱くものだ、という限りなく真理に近いであろう何かと、そのために「悪魔」との交易を望むのは(だって人間世界のものはだいたい価値がわかって簡単に買えるから)、ごく自然なことだと思わせる説得力のある作風。

作中で悪魔と交易する人間は、ただ「○○をかなえたい」といった明確な目的のためというより先に、「悪魔と交易すること」に底知れぬ欲望を感じているのではないか(その渇望こそが悪魔的なのかもしれないが)。

ひょっとすると、悪魔と交易を可能にするこの「貨幣」の存在から、ただの経済理念や等価交換、資本主義、そんなものを思い描くお坊ちゃんもどこかにいるかもしれないが、ここに登場する「運命金貨」は、ビジネスマンが使うような貨幣や価値とは一線を画すものであることは、少しでも読めばわかることだろう。

この作品の世界観の入り口に「貨幣」を持ってきた作者の炯眼は、見事というほかない。

しかもこの2巻からは人間との交易の大先輩たるメフィストフェレスまで登場し、駆け引き、あるいは邪道バトルがはじまる始末。これは続きが非常に待ち遠しく、また末永く読みたい作品。
(3巻4巻が出るころには「人間の欲望を云々する悪魔的な何かがどうのこうの」とか言っているかもしれない。と、そんな予想外の「読み方の変化」も期待するわけなのです)

▼『ウォーキングデッド』を見始める。「遅れてやってきたプレイヤー」が、ゲームの"ルール"を学んで旅立つ第一話。実に興味深い。
「踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ」(『ダンス・ダンス・ダンス』/村上春樹)
「どうしてこの曲なのか、どうしてうまく踊らなくちゃいけないのか、踊り終わると何があるのか。そういうことは考えてもしかたがない。考えたら足が停まる。足が停まったらゲームが終わる。気遣わなければならないのは、とりあえずは自分が『ちゃんと踊っているかどうか』だけなのです。」(『街場の教育論』/内田樹)

▼『リューシカ・リューシカ』(安倍吉俊)5巻読了。


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代休をとって歌舞伎の日。

もろもろ計画するも、『純と愛』を見てそのまま二度寝。昼過ぎに起床。テレ東で『ロミオマストダイ』を見てしまう。二度寝のせいで、鰻の予定がふいに。ロミオ-のせいでカレーの第二案も中止。結局ロミオ-を見ながら残り物と納豆で昼食。

その後新橋演舞場へ。今日は夜の部。「御所五郎蔵」と「勧進帳」。千穐楽ながら、平日のせいか、染五郎がいないせいか、空席が目立つ。
帰宅後、アンコウ鍋と海老。今シーズン初の燗酒。『トッツィー』を見ながら。

▼歌舞伎。
今回の勧進帳は、幸四郎の弁慶と、團十郎の富樫。そして太刀持ちが金太郎。よそのお子さんながら、あんなに凛々しくお育ちになっておられるとは…。お父上不在の演舞場で実にご立派なお姿でございました。(と、まったくの他人ながら思ってしまうくらいの姿)

それはさておき。

前席の老女が前かがみで、すこぶる見づらい。
お願いだから、3階で後ろに客がいる場合は、前かがみになって観るのは控えて下さい(と、何かの間違いでここを読んでいる人にお願い)。ついでに両サイドの席でも、前かがみになると隣の客の視界を遮ることが多いのでお気をつけください。
誰もあなたの、女性なのに薄くなった手入れもされていない汚い毛髪なんて見たくないんです。あなたも、地肌が透けかけたぼさぼさ枝毛の老いた頭部なんて、他人に見られたくないでしょう?あ、ご自分ではお気付きにならないかもしれませんが(正面しか鏡で確認しないから)、後ろや斜め後ろから見ると、あなたの髪、かなりヤバいですよ。

お気をつけあれ。
昼食にラーメン、麺が妙にモサモサとし、大して旨くもなし。21時すぎ帰宅、『相棒』視聴。もろもろあって『孤独のグルメ』視聴。相棒を見ながらハンバーグを作る。ついでにホウレンソウなどでスープも。実に旨い。
帰宅後、深夜『花のズボラ飯』(倉科カナ主演)放送開始、正座して視聴。エロ旨い食事風景など悪くない。倉科カナのほぼ一人芝居もすばらしい。一方、番組ラストの、クックパッド提携のようなコーナーは気分が悪くなる。クックパッドほど嫌いなネットのサービスはないため(おそらく木嶋香苗のイメージもあり…)、せっかくのドラマが台無し。

『バベルハイムの商人』(古海鐘一)1巻読了。
"貨幣"の価値、"交換"の意味、実に興味深い描かれ方(これは「平清盛」も同様かも?)。狂気の描写も見事。
通院。『バベルハイムの商人』1巻・2巻、『リューシカ・リューシカ』5巻を購入。ランチは神南カレー。
23時すぎ帰宅、残り物で夜食。『ブラインドネス』視聴。
その後『オレの宇宙はまだまだ遠い』(益田ミリ)読了(積みっ放しをどうにかするシリーズ)。まさかの作者登場などはあるものの、前半はちょっとだるい(作者登場シーンはなかなかすごい)。しかし後半から妙にドライブがかかる感じで気持ちよくなる。そしてまさかの予告…!気になる。本当に気になる。

追記:さらに夜更かしして『 社会(学)を読む (現代社会学ライブラリー6) 』(若林幹夫)最後の数ページを読了。奇しくも2冊続けて本にまつわる本。
姪と遊んだ一日。帰る頃には平清盛。夕食は芝海老と鶏肉を唐揚げに。「インドの青鬼」のような名前のビールも。
「彼岸花」(小津安二郎)「シン・シティ」(フランク・ミラー)を続けて視聴。
夜更かしして「藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 2」読了。本棚整理の前に積みっ放しの本を少しずつ消化。

※Amazonから「モエモエズキューーン」到着。重妄想が随分遠い日のように感じられるが…。
新橋演舞場で歌舞伎。この日は昼の部。いろいろあって、前半は今回観劇辞退し(誰に対して?自分に対して?)、二幕目の勧進帳のみ。隣の客がとてもふくよか、いやさデブ。だが、デブ男なのでデブ女よりダメージなし。というか特に気にならない。なぜか隣の客がデブ女の場合、なぜか(本当になぜか問いつめたいくらいなので何度も「なぜか」と書いてしまうくらい)、こちらに傾いてくる気がするのはなぜか。私の恐怖感のせいで世界が歪んで見えるのか。圧迫感が精神をも圧迫して閉所恐怖的な感覚を呼び覚ますのか。
歌舞伎の後はムルギーランチ。そのまま出社。帰宅後、イカをトマトで煮て食べる。

▼さて今日の「勧進帳」は團十郎の弁慶、幸四郎の富樫。義経は昼も夜も藤十郎。

「勧進帳」は「マツコ&有吉の怒り新党」である。という話をしたいが、誰かこれを読むだろうか…。

「怒り新党」は、マツコ・有吉のかけあいと呼吸で成り立っているように見えて、夏目三久の存在感によって番組のパワーバランスがほどよく保持され成立していることは、今更言うまでもないことであろう。三者の向かうベクトルが、特にマツコ・有吉という現代芸能界の2大巨頭(ある意味において)の牽引するベクトルに夏目三久が第三の力を加えることにより、ちょうどよく保持される。

「勧進帳」も同じく(というか「勧進帳」の方が当然古いのだけど)、弁慶・富樫の掛け合いと対立、和解のドラマというだけではない、義経の存在感がなければそもそも成り立たない。
セリフの有る無しではなく、存在感の問題であろう。
仮にあれを見て「ほとんど出番なくて突っ立ってるだけだから俺でもできるっしょ」などという阿呆がいたら、頭から鵯越の逆落としである。
弁慶と富樫という二大巨頭の二人舞台になりかねないものが、義経という、「義経千本桜」や様々な伝承とはうってかわってひよわに見える、何もしていないはずの義経の存在によって、舞台全体に広がる緊張感や新しい均衡を提示する。

勧進帳は義経ありきの物語であり、怒り新党は夏目三久あっての怒り新党である。

義経は源平の合戦での隆盛から突如転落し、落ち延び、果て、しかしその物語は国中で長く語り継がれ歴史的アイドルの座に君臨することとなった。いまや滝沢秀明であり神木隆之介であり、あるいは先代菊之助(現・菊五郎)である。

夏目三久という存在が、日テレでの隆盛から一度の転落、大転落の後、現代の勧進帳たる「怒り新党」を経て、"国民"に高く評価されるという現実…もはやただの判官贔屓ではない人気は、なるほどそういうものであるか、と納得するものである。

…という話をずっとどこかに書きたかったのでようやくここに記す。
少し寝坊、喉痛く咳止まらず。昼はうどん。夜、ツタヤに行くも何も購入せず、その足で東急地下へ。はんぺんなど購入。はんぺんはおでんに入れ食す。
雨。喉の痛み引かず微熱もあり病院へ。薬5種。「パサージュ論」(1)購入。昼は決めかねた挙げ句麻婆豆腐。薬のせいか朦朧とし、午後の記憶はほとんどなし。ジョジョ展のチケット購入後帰宅。おでんなどで夕食、「第9地区」を見る。
ずっと喉が痛い。それとは別件で通院、昼はタイ料理屋。夜から雨。
帰宅し「相棒」。おでんを作る。妙な腹痛が続く。「孤独のグルメ」は人形町。「鬼灯の冷徹」5、6読了。

★今日の湾曲
今日も「湾曲表現」という表現を見かける。あなたが言いたいのは「湾曲(わんきょく)」ではありません「婉曲(えんきょく)」です。

遠回しに伝えることは婉曲(えんきょく)と言いますよ。湾曲ならただ曲がっているだけです。
湾曲した表現というのは、「べ…べつにお兄ちゃんのことなんか好きじゃないんだからね」といったツンデレ言葉のことではないでしょうか。

婉曲(えんきょく)の婉(えん)が読めずにお椀(おわん)の「わん」と混同し、それがいつの間にか湾曲になったのかもしれませんが、やめた方がいいですよ。

「に…日本語は変化するものだからこれでいいのだ!」とかありがちなことを言っている方は、変化の在り方についてもうちょっとお考えになったほうがよろしいのではないでしょうか。
※ツンデレ言葉を「湾曲表現」と名付けて、その用法で「湾曲だ」と語るのであれば、特に異存はございません。積極的に活用しましょう。


※ただの日記を続けてみるテスト。
腹痛とともに起床。「K」(谷口ジロー・遠崎 史郎)を読了後出社。のどが痛い。「緊急のメールとかけて、産婦人科ととく。そのこころは?」と思いついた以外、特に話題はなし(シキュウご確認ください)。
アクションを購入。「鈴木先生 外典IV」のため。夜食は秋刀魚。おでんの材料も買って帰る。秋刀魚は塩焼き。まだ脂は随分のっている。「ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー」を見た。

※ただの日記を続けてみるテスト。
午前半休で昼起床、だらりと出社。特に話題もなし。
夜、書店で『 社会(学)を読む (現代社会学ライブラリー6) 』(若林幹夫)を購入。先月末に出た本ながら、3軒回ってようやく発見。
夜食に、「孤独のグルメ」で見たネギ肉炒めを作ってみる。ネギたくさん。「ストリートファイター」(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)を見る。思っていたよりまとも。

追記:前夜の就寝前に「ときめかない日記」(能町みね子)読了。買ってそのまま積んでいたが読んでしまえばあっというま。


※ただの日記を続けてみるテスト。
なんということはない日。

14時頃起床、いろいろ思うところはあったが、天気も悪いので夕食の買い物以外では外出せず。
テレビで「伊賀忍法帖」を途中から見る。その後、「東京大学物語」(Hulu)、「霊幻道士2」(Hulu)など見ながら、買っただけで積んでいた「鬼灯の冷徹」(1〜4)読了。特に1、2巻などは約1年積みっ放し。マックの変換では「鬼灯」を変換できない。
夕食に秋刀魚。「パニッシャー」(Hulu)を見る。"こういうもの"を見て正義がどうのこうのと書くのはもう10年前からやっていたので今更言うこともなし。とはいえ、最近"こういうもの"を見て正義がどうのこうのと言う手合いがたくさんいらっしゃるようで…。

本棚の整理(再編)を少しずつ進めるが気が遠くなるので中断。

※ただの日記を続けてみるテスト。
※ただの日記を続けてみるテスト。

朝,10時上映から「まどか☆マギカ」前編を鑑賞。一度出社しその後書店。「辺境ラジオ」「9条どうでしょう」橋本治の大江戸歌舞伎の本を購入。昼食はムルギー、玉子入り大盛り。会社に戻る。大した話題はなし。21時前に東急地下で弁当購入、急ぎ食す(なぜならば時間がなかったから)。その後「まどか☆マギカ」後編。隣の客が香水臭い。23時30分頃終了。

帰りの電車で「謎解きはディナーの後で」読了。執事が現場で八面六臂の大活躍をするような形式を想像していたが、全体的に事件現場編→推理編…というより、簡単な推理クイズ→それを嬉々として解くミステリーファン(の分身のような執事)という、これはこれで(最初は物足りなかったものの)わかりやすく回を重ねると痛快にはなる。だからといって続きや同じ作者の他の本が読みたくなるわけではないけれど。
お嬢様の「お金持ちっぽさ」がわかりやすい記号ばかりで(狙ってそういうことになっているんだろうけど)片腹痛し。

昨夜は川島海荷のキョンシードラマを視聴。内容は大したことないが、子供の頃は「かまれると怖い」存在だったキョンシーに、今見てみるとむしろ「先祖をちゃんと祀らないと何らかの形で祟る」という(おそらく人類に普遍的な)考えがあるとわかる。…というのは「霊幻道士」を見て思ったことで、海荷キョンシーにはそういった要素はまったくない。

しかし"礼"を軽んじたり誤った結果やってくるキョンシーを鎮めるのが儒者ではなく道士というのは興味深い。
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