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以前からここにも書いているように、ぼくはときどきmixi日記にも、アンチ江原スピリチュアル関連のものを載せています。

主に、mixiニュースに江原関連記事が出たタイミングでアップしているそれは、ニュース関連日記という形をとることで、多少なりともスピリチュアル派の目につくことを考えて書いていたりもしますが、その甲斐あってか、スピリチュアル的な人々と直接の接触を持つことができました。

それは、一度や二度のコメントのやりとりにとどまらず、あちらの領域に拡大する事で、スピリチュアル的なメンタリティの片鱗を垣間見ることができた貴重な経験になったのですが、その経緯について、一度ここで触れておこうと思います。

少し前に話題になりそうでならなかった、「カリスマ霊能師 江原啓之にも『あるある』疑惑」というニュースに関連して、おなじみmixiに書いた日記と、それに続くコメント覧を、今回はここに転載してみようと思います。

ニュースはここから。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070204-00000001-gen-ent
 
以下、2007年02月05日 00:19 にアップした日記。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=337428600&owner_id=26047
カリスマ霊能師 江原啓之にも『あるある』疑惑
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=154735&media_id=10


完全アンチ江原宣言しているので、今日も一言だけ、日記を書こうかと思います(正直もうどうでもいいよって感じではありますが)。

こういうニュース(ニュースではないけど)が出て来ると、まあ、たしかに江原氏は叩きやすいですね。

だけど、江原がインチキかどうか、番組がやらせかどうか、なんて問題は、実はどうでもいい。というか、既にそんなことを問題にしている時点で、たとえ江原信者に対峙する姿勢を示しても、それは江原的な何かに取り込まれていることを意味するようにも思えます。

現代を取り巻く、「江原的・スピリチュアル的な何か」というのは、単に一人の稀代の詐欺師があやしい言動で信者を増やしている現象ではありません。霊や魂や前世が存在するか否かの問題ですらありません。

それは、慢性的にこの社会を蝕む、安易な「救い」。
気づいてみたら、いつの間にかなんの「物語」もない人生を送っている「現世の自分」がいて、その現実はもはやどうにも変えられそうになく思える。かといって、このまま「何も成し遂げない」人生を終えるのは我慢できない。だけど今のままではどうしようもなく…そんな行き詰まった空虚感がたどり着く先として、前世や魂というものが「救い」の一つとして、脚光を浴びています。
そして、そこにこそ、ぼくは疑問を感じています。

これが一昔二昔も前になると、たとえば(人生を仮託する対象として)子供に過度な期待を抱く母親だとかそういう問題になっていた気もします。今の自分の人生の行き詰まりの中で、子供に人生を仮託してしまう大人って、昔は存在することになっていた。たぶん。それは、人生が今ほど思い通りにはならない社会では、仕方なかったのかもしれません。
だけど、「個」を重んじる風潮の中、より社会的に自由度が増したように思える昨今、たとえば女性が必ずしも嫁として家に縛り付けられることを強制されないようなこの社会でも、やはり人生というものは、思い通りにいかなかった。むしろ、そこにあると思われていたはずの「個人」のイメージが自由で物語的であればあるほどに、現実の自分との乖離は大きすぎたのかもしれません。

それでも、そこにいるのは「自分」だけ。
誰も自分に物語は与えてくれないし、自分の物語をたとえば子供に仮託してしまうのも、いけないことになっている。あるいは会社に対し自分の物語のすべてを預けるようなモーレツな世の中でもない。この、個の時代において、物語は自分だけのものであると同時に、自分で何とかしなければいけない。そしてそれは、ひょっとしたら、物語がないことこそ忌むべきものである、という勘違いにまで辿り着きつつあるかもしれない。

では、そこに、自分という個と、物語を持ってつながるものが果たしてどれほどあるのか。

ひょっとしたらぼくらは、「物語的な何か」を与えられすぎたのかもしれません。
「個性」が重視され、うっかり「みんなが主役」(←Googleで十万件以上出てくる言葉です)だなんて勘違いさせてしまうようなのんきな学校教育を経て、個々の人生は、個々の物語を持たなければならなかった。

だけど、そこに思い描いた物語はなかった。

物語の存在しない断絶感。
今も、これまでも、これからも、物語のない自分の人生。

それはそれとして、今を幸福に生きられるのであれば問題ないでしょう。おそらく大抵の人はそうしていると思います。

それでも物語を必要とし、たとえば過去の栄光という「物語」を語り続けて死ぬまで生きる人もいるでしょう。ガンダムSEEDにはまったのは逃避だったと語るガンダムファンの女性を以前NHKで見ましたが、そうやってフィクションの「物語」に走ることも可能です。また、決して自分では届かない世界、いかにも「物語」のありそうな人々、タレントや社長やアイドル、そんなところに思いを重ねる人もいるでしょう。

この物語なき物語の時代、それでも何かの物語に寄りかかって生きる人は少なくないはずです。

そして、この物語なき物語の時代の、自らに連なる物語の一つとして、前世や魂の「物語」が、江原的な感覚とともに異常な浸透を続けています。仏教でも神道でもキリスト教でもないようなちぐはぐなものでありながら、しかしぼくらの文化的遺伝子にぴったりのそれ(参考リンク)は、確実に今でも勢いを増している

「自分の物語」を欲し、それでもなお物語が得られない、そんな時、一筋の「光明」のように、魂の物語があらわれた。そう、おそらく、今信者と呼ばれる人々には、まさに光明なのでしょう。べつに光明と言っても、いい意味ではありませんが。

そしてその「光」に見えるものを活用しているのは、江原だけではありません。
先日雷門の前を歩いていたら,魂がどうのこうのだとかあなたが生まれてきた意味がどうのこうのという看板を掲げた新興宗教の修行所がオープンしていたのですが、そんな言説が、平気な顔をして表に出てきている現実。どうやらそこの教祖が書いた本もかなり売れているようなのですが、既にこの「江原的なスピリチュアル」は、江原一人を語ればいいというような現象ではなくなっています。

もはやこれは、前世があるかないか、などという問題ではない。
そんなことは、どうでもいい。
これは「江原とかどうせ詐欺師だからどうでもいい」というソフトなアンチの「どうでもいい」ではなく、今、江原的な文化がもたらすひずみの前では、前世のあるなしや魂の存在を語ることは、もはやナンセンスである、ということです。

物語的必然を求める、このいかんともしがたい泥沼の心理。
現在の問題を見直すようでいて目を背けさせる安易な"癒し"的な何かを欲する甘さ。

単に、江原的な人々がうまくこの物語需要に乗ったということが、このスピリチュアルな社会を築いたわけではなく、もちろん、ただ江原信者とされる人々だけがつくったものでもなく、それを時流に乗せてしまった文化的遺伝子は、物語を欲求するこの社会にあり、あるいはそれを形成するぼくらにこそあります。

ソフトアンチ江原な人は、単に江原消えろということも多いようだけど、江原が消えたところでたぶんこの世界は何も変わらない。
どこか別のところにある「物語」(スピリチュアルに限らず)を求める欲求がある限り、たとえ江原は消えても(まだしばらく消えそうにないけど)、根本的な問題は何も解決しない。第二第三の江原はいくらでもあらわれるはずです。

既に、前述の雷門の前に修行所を置く新興宗教(意外と歴史は長いようで、白装束の集団の母体にもなったような人々)が目立った活動を始めたり、パワー・フォー・リビングなんて集団がおおっぴらにテレビでCMを始めることが許されたりと、江原に続く波は、どんどん広がっているようですしね。

=====
なんでここまで言うのかは、http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-97.htmlこれの途中から書いた気がする。

ところで、最初に挙げた江原信奉コミュのこのニュースに関連したスレッドが、酷い有様ですよ。まあ、これを見ていると、ひたすら信者を叩きたくなる気持ちもわからんではないです。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14972083&comm_id=7540
(※現在は削除されました)

ここまでが日記。
まあ、べつに何も目新しい事を言っている日記ではないですね。所詮日記ですしね。
この後、いくつかのコメントが続く事になります。
なお、コメントを頂いた方のお名前は、自分以外A・B・Cと変えています。
コメント日時:2007年02月05日 01:50
コメント者:A

ニュースからきちゃいました。トピつくちゃった本人です。コミュに入った人の多くはもちろん普通の人間です。ですが江原中毒になっている人が中にはいます。江原さんを神にすることははっきり言って怖い思想だと思います。



コメント日時:2007年02月05日 02:45
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

どうもコメントありがとうございます。

実はぼくは、あんまり「江原氏を神にすること」は、それほど怖いことだとは思っていません。というか、江原自体、そんな大した存在だとも思えません。ひょっとしたら、このニュース程度のスキャンダル(?)の積み重ねで、すぐに消えてしまうかもしれないとすら思います。

だけど、Aさんがおっしゃる通り、江原コミュにいる人の大半が「普通の人」であり、その普通の人々が、今スピリチュアル的な考え方に癒しや救い、上の日記で書いたような物語を求めてしまう状況というのは、とても怖いなと思います。

それは、ただ単に江原コミュの面々だけのことではなく、日記で書いたことの繰り返しですが、世の中全体として。
江原個人を信じる信じないではなく、前世ありき輪廻ありきの物語を認めてしまう社会が、たとえば子供たちに対して、未来っていいものなんだぜと、大人の生き様として見せることができるのかといえば、たぶんできていない現実。「江原」という存在には懐疑的でも、実は無意識的にそれが受け入れられる下地を作っている「普通の」人々。

とはいえ、そう言いながらも、じゃあおれたちはどうすればいいんだ、なんてのは全然わからないのですが。
ここまでは、よくあるコメントとそのレスですね。

そういえば体言止めってあんまり使うと胡散臭いよなー、と思っていたんですが、あらためて見てみると、自分で使いまくっていますね。お恥ずかしい限りです。

そしてここからが面白くなる。
コメント日時:2007年02月05日 03:46
コメント者:B

はじまして
m(__)m

物事を深く考えられているさま。
素晴らしいと思います。

前世うんぬんは、おいておいて

それだけ世の中に不安を抱いてる方が多いって事じゃないでしょうか?
携帯ユーザーなので内容を見られないのが残念ですが‥。
江原さんはどうでもいいと思ってるなら
アンチ江原より
アンチ目に見えないものは信じないってほうが良いかもね(^^)

興味深く読ませて頂きました(^^)



コメント日時:2007年02月05日 11:57
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

べつに何も深く考えてないですよ。見たままを書いているだけ。
まあ、Bさんも内容を見ていないとのことですので、言葉だけでもそう言っていただけるというのはなかなかありがたい話ではあるのですが…。

で、ん、えーと、
>アンチ江原より
>アンチ目に見えないものは信じないってほうが良いかもね(^^)
ってどういうことですか?ちょっとつながりがわからない。

江原がどうでもいいっていうのは、べつに記号的にオウムの麻原と江原が重なる部分がどれだけあろうとも、そこまで信者が怖いと気にとめるほどのものでもない、というだけのことです。
「江原的な何か」が今もたらしているのは、単にカルト的危機だけでなく、上にも書いたけど、たとえば子供たちに未来を提示できない、精神的に後ろ向きでひきこもりがちなオトナの社会であったり、あるいは、前の生や転生を提示しすぎることで生じた、このいかんともしがたい安易な死生観だったりします。

死後の世界や転生が「なんとなく当然」のものとなり、前世を見通し死者と語らう「タレント」がいる現代において、たとえば死ぬな殺すなという言葉は、どれほどの意味を持ちうるでしょうか。

あるいは、本質的に「私」や「個」にこだわり、もともと希薄だったパブリックな概念にとどめを刺している気もしますがいかがでしょうか。(そういやこれについては今まで触れてなかったかも…)

たしかに江原はどうでもいいタレントだけど、だからといって、彼が今やっていることには、アンチ宣言しないといけないと思いますよ。大人として。

もちろん、何度も書いたように、それは江原一人とその信者(ファン)だけの問題ではないのだけど、今この観念をあらわすことばとして、アンチ江原というのは非常にわかりやすい言葉だとも思っています。

そういや、
>世の中に不安を抱いてる方が多い
とおっしゃっていますが、そんなの、たぶん大昔からずっと人間なんてそうやって生きてきたし、今この時代に、それが突然増えたというのもおかしい。突然増えたとしても、元から多かったとしても、あるいはもとから意外と少ないかもしれないけど、それが行き着く先が前世の物語というのは、ちょっとどうなんでしょうか。

…で、「アンチ目に見えないものは信じない」を代替案として提示されているということは、江原信者は目に見えないものは信じていないということですか?それは驚きです。

そういえば、疑似科学や魂が好きな人は、「目に見えないからといって否定はできない」という考え方(そこまでならいい)が「目に見えないことこそ真実である」とか「目に見えないことこそ真実なのに、それ(黒電波とか)を信じないやつはだめだ」「私たちと考えを同じくしないやつらは目に見えない物(彼等にとっての真実)を信じていない愚かな者だ」という方向に発展しがちですよね。そのことですか?
つまり、ぼくには「アンチ目に見えないもの信者」を名乗れという事?
ぼくが書いたものも、何を言っているかわからないことが多いかと思いますが、そんなぼくから見ても何を言いたいのかわからないコメントが入りました。
特にここ。
 >アンチ江原より
 >アンチ目に見えないものは信じないってほうが良いかもね(^^)
上のレスも、この後も、それをなんとか解釈しようとしているのですが、いまだによくわかりません。

アンチ目に見えないものは信じない?
目に見えないものは信じないという人々に対してアンチになれというの?べつにそれはそれで、敢えてアンチになるほどのことでもないと思うんですが…。ちゅーかなんでそれがアンチ江原にかわるものになるんでしょうか。江原派と目に見えないものは信じない派は決して交わるものではなく、なんでそれがこのB氏のコメントでは等価であるように表記されているんだろう…。
みたいな。

さらにコメントは続きます。
コメント日時:2007年02月05日 13:53
コメント者:B

形にはめて
考え過ぎじゃないのかな~

一括りにするのは
どうかと私は思うけど‥。
本当記事を見られないのが残念だけど

例えば、物事の反論。批判。
悪い事じゃないけど
もっと調べてみるとかしてみたら?

話は、反れちゃうのかもしれないけど

二人の人が、それぞれに自分の主張をしてるとして

真ん中にいる人間は
両者の話を聞いて判断するじゃない?

それをしてみてからでもいいんじゃないのかなって思ったんだ。

江原さんがどうとかって言う訳じゃないって言ってたから

目に見えないものって言ったんだよ。

罰が当たるとか

お天道様が見てるとか
おじいちゃんや
おばあちゃんに言われた事はない?



コメント日時:2007年02月05日 21:17
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

B氏こそ型にはめて考えすぎなんじゃないかなあ。
江原ファン以外の人を「見えているものしか信じない偏狭で哀れな批判屋」とか、ひとくくりにしてますよね?

ちゅーか、ひょっとしてBさんは、自分が真ん中で公正な判断を下しているつもりですか?(失)

もう一回ちゃんと読んでわからなければ、昔書いたもっと長いのを読んでもらえると、ぼくが江原氏に対して行なっている批判(というわけではないけど、Bさんはそう型にはめているようですね)が、何を調べて何を下地にしているか少しはわかっていただけるかもしれません。まあ、真ん中で話を聞いていらっしゃるから、ぼくのこれも見ていただけるんじゃないかと思います。
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-97.html
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-52.html
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-50.html
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-41.html
(上のほうが新しいものです)

まあどうせ見ないだろうから続けます。

>江原さんがどうとかって言う訳じゃないって言ってたから
というのは、ひょっとして上の日記で言うとこの部分ですか?

=引用1====
だけど、江原がインチキかどうか、番組がやらせかどうか、なんて問題は、実はどうでもいい。というか、既にそんなことを問題にしている時点で、たとえ江原信者に対峙する姿勢を示しても、それは江原的な何かに取り込まれていることを意味するようにも思えます。
=引用1ここまで====
=引用2======
もはやこれは、前世があるかないか、などという問題ではない。
そんなことは、どうでもいい。
これは「江原とかどうせ詐欺師だからどうでもいい」というソフトなアンチの「どうでもいい」ではなく、今、江原的な文化がもたらすひずみの前では、前世のあるなしや魂の存在を語ることは、もはやナンセンスである、ということです。
=引用2ここまで======

うーん、どう解釈しちゃったんだろう。
「アンチ目に見えないものは信じない」とか言うけど、まずB氏が信じる「見えないもの」を信じるか信じないかの議論が、江原問題を社会的に考える上でナンセンスだと言っているんですよね、ぼくは。
たぶんB氏は、江原に対して好意的でない人は「目に見えないものは信じない」人だと型にはめているから、ぼくの言っていることもちゃんと「真ん中」で判断できなかったんだと思いますがいかがでしょうか。
まあ、人間、自分で思うほど「真ん中」に立っている人なんてほとんどいないと思うので、それでいいと思いますけどね。それでもB氏は、真ん中にいるつもりでしょうか。
で、B氏は「アンチ江原」はやめて「アンチ目に見えないものは信じない」にしろと仰ったものの、話の流れを見ると、ぼくのことを「目に見えないものは信じない愚者」であると言っているわけですよね。

「アンチ」って、どういう時に使う言葉か知ってますか?


あ、ちなみに「お天道様が見てるとか」おじいちゃんやおばあちゃんに言われたことはありません。本当にそんなことを言うおじいちゃんおばあちゃんがいるんでしょうか。ちゅーか、言われていたら何なのでしょうか。
でも、ぼくの江原的なものへの批判(と思われているもの)は、米一粒にカミが宿り、年に一度は「ご先祖様」が帰ってくる文化(とされているもの)を下地にしていたりします。(それについては、前述のリンク先を見て下さい。)
とりあえず、霊や魂の存在を、ぼくは一度も否定していないんですが。

(一瞬、話は変わりますが、天道とかおばあちゃんが言ってたとか仰っているところには、ひょっとして隠れたメッセージがありますか?)

ちゅーか、目に見えないものを否定するなという話を、目に見えないオーラや江原的霊魂や波動や毒電波を肯定しろという話にすりかえるのはやめてください。それとこれとは、まったく別物ですよ。

続きはめんどくさいのでここから自己引用。
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-97.html
==再度自己引用=========
そういや、よく「幽霊を見たことないからといって霊的なものがいる可能性は否定できない」とか「前世の記憶が無いからといって前世を否定できない」とか、したり顔で(逃げ口上を)述べる変なやつがいます。べつにその"可能性"をぼくも否定はしない。ぼくだって伝統的に"神様"にも"ご先祖様"にも親しんで育ったし、幽霊的なワンダーがあればこの世界も楽しい。生まれ変わる事が出来るものなら、この世界の終わりまで生まれ変わり、宇宙の真理を見つけてみたい。その"可能性"は、たとえそれが0.00000(中略)001%であれ否定はしない。前世や転生を見つめる事で、過去の歴史や未来(56億7千万年後とか)に思いを馳せる事ができるのなら、もっと想像すればいい。

だけど、今広まりつつある"前世的な何か"は、何度も書いたように今の自分や世界や未来を肯定できない物語不在の(ように思える)人生への安易な救済策であり、かつてカルトの入口であったものと同様のものを持つだけでなく、今では死への畏れすら安易なものにしつつある。

そういうのって、やっぱり本当は大人がちゃんと否定しておかないといけないんじゃないだろうか。

まあ、それができないんでしょうが。

ちょっと前までは、まあ、それで心の隙間がうめられる人がいるんだったらべつに好きにすればいいんじゃないの?なんて言っていたぼくですが(そのせいで江原肯定派と思われたかもしれない。それで勘違いして江原派のトラックバックがついたりするのか?)、もうそういう甘いこと言うのもやめた。


※1
この勢いで言ってしまう
同様に、宇宙のどこかに地球以外で文明を持った生命が在る"可能性"を、現在地上で目撃されていることになっているUFOと結びつけて、「こんなに広い宇宙のどこかに生命はあるかもしれないからUFOは否定できない」なんておかしなことを言うキモメンもいますよね。
その可能性は、否定しないし、大いにあるし、いればいいと思う、いつバルカン人か何かとの接触が起きるか正直楽しみで仕方が無い。
だけど、それはそれ。その"可能性"を、今、というかここ何十年かで巷間にあふれだした円盤の肯定理由にするのは、ちょっとおかしい。

余談ですが(この勢いなら言える)、エセ科学とか疑似科学を信じる人が、ときどきおかしな理屈を持ってきた後で、なんちゅーか、人情に訴えかけるんですが、いったいどうなっているんでしょうか。たとえば、地震雲の研究者だって一生懸命がんばってるんだから笑うのはおかしい、とか怒られたことがあったりもするんですが。

人情といえば、波動(水に声を掛けたり文字を見せると結晶の形が変わるとか言い出した変わり者のアレ。大手スープ会社の社長とかも信者で、その会社では山ごもり波動研修受けないと上にいけなかったりするそうです)の信者である浦安市長が市の広報に書いた文章で、水に言葉をかけると云々とかいう代表的疑似科学の有名な話に続けて、ありがとうっていう言葉を子供にちゃんと言えよ、という結論につなげている、ちょっとその立場でそれを言うかと、正気を疑うものもあったりします。

たしかに最後に言ってる事は、それほど否定はしないんだけど(ちゅーか市長に言われないと浦安の人は感謝の言葉を口にできないのでしょうか。寒い時代ですね)、それを波動の話で導くのは、ちょっとありえない。
ちなみに、この市長さんは、再選されたようです(参照)。

と、なんでわざわざこんなことまで書いたのかといえば、最近江原的なアレが、波動的な感覚まで取り込みつつあるような気がするのです。ということで、一応今のうちにメモ。
==自己引用ここまで=========

ああ、でも、今こうして読み返して思ったけど、目に見えないものを云々と言いながら、一部には(と敢えて言っておきます)、「前世やテレパシーやオーラは科学的に証明されているんです」とか目を見開いて言う人っていますよね。あれってどうなんでしょうか。

そうそう、最後に、批判反論が云々とおっしゃいましたが、仮に、ぼくが江原氏を批判しているとして、具体的に何がだめですか?どう勉強不足ですか?
この後、このコメント覧にB氏はレスをつけず、ご自分のmixi日記にいろいろ書かれていました。(これについては後日触れます)


しかし、話の腰を折るようなまったく文脈に関係ないコメントに続いて、ふたたびB氏が降臨します。一瞬だけ。
コメント日時:2007年02月07日 20:20
コメント者:C

Q1
地震雲研究してる人なんでバカにするの?
いいんじゃないの?なんでダメなの?

Q2
UFOはなんでいないの?


コメント日時:2007年02月07日 22:58
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

A1
いや、べつにバカになんかしてないですよ。
少なくともダメとは言ってないと思います。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/ssj/FAQ/FAQ2.html#2-12

A2
ちゅーか、いないって言ってないですよね。
むしろいれば楽しいって言ってますよね。バルカン人と接触したらどんなにすばらしいだろうって。

だけど、この宇宙に地球以外にも生命がある「可能性」をもって、最近(そういえばここ最近ではあんまり目撃例とか聞かないけど)突然大挙して地球に「現れている」UFOを肯定しろという人たちは、なにかぶっとんでる。
他の知的生命の「可能性」は、ぼくだって否定しないけど、それと今見られている「UFO」とはまた別の話。

まあ、UFO的なものに関しては、ぼく自身前述の通りバルカン人との接触を心待ちにしているのでわかりづらい説明になりますが、世の中の物事って、「ある」ことを証明するのは簡単な一方、「ない」ことを証明することはとても難しいものです。(検証と反証の非対称性)

そこに便乗して、「おまえら完全に否定できないだろ、だから"ある"んだ」なんて言う人もいて、それはおかしいと言う話。

今回取り上げているオーラや前世や転生を信じる人の中にもその傾向が出ているように思えるB氏の書き込みがあったので、ちょっと取り上げてみました。

ちなみにB氏に送ったメッセージはここですね。

=====
ちゅーか、目に見えないものを否定するなという話を、目に見えないオーラや江原的霊魂や波動や毒電波を肯定しろという話にすりかえるのはやめてください。それとこれとは、まったく別物ですよ。
=====


コメント日時:2007年02月08日 02:11
コメント者:B

えっ?もらえてないんですが・・・
しかもそんな事一言も言ってませんが



コメント日時:2007年02月08日 08:09
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

あ、メッセージってmixiの機能じゃないです。
わかりづらくてなんかほんとすみませんね。

ちゅーか、コメントのレスにしっかり入ってますが。
最後の自己引用の上。
…まあ、ぼくの書き方が誤解を招くものだったものは認めます。さんざんmixi日記とか書きながら、ほとんどそのメッセージ機能は使っていないので、「ちなみにB氏に送ったメッセージはここですね。 」という、たしかに誤解を招きすぎる書き方になりました。まあ、ちゃんと上のコメント欄を見ていただければ、その「メッセージ」がしっかり記入されているので「もらえてないんですが」とまで言われると、ちょっと切ないものはあります。(メッセージは)「これですね」じゃなく「ここですね」って書いてるしな。ま、でもメッセージという単語で誤解されてしまうとそんな些細な違い、意味をなさないのでしょうが。

そして、この後、B氏降臨はなく、ただぼくのむなしいメッセージ(mixi機能ではなく)だけが続く事になります。
コメント日時:2007年02月08日 20:36
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

>B氏

わかりづらかったらもう一回書きますね。

メッセージという言葉には、mixiのメール機能以外の意味もあり、今の日本では、そっちの方がまだ優勢だと思います。

そして、今回のそれは、たしかにあらためてよく見るとかなりミスリードしやすい書き方でぼくにもかなり非がありましたが、mixiのそれという意味ではありません。

再度ご確認の上、あらためてぼくのメッセージを受け取っていただければ幸いです。



コメント日時:2007年02月08日 20:46
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

で、まあ、ぼくのような魂のレベルが低い人間のレスは読むに値しないというご説はごもっともとして、B氏の見えないものに対する価値観がいまだにわからんのですが。

日本語で言ってくれとかそういう感情的なことは言いたくないので、がんばって、こういうことかな?それともこういうことかな?と解釈してみたんですが。だめでしたか。なんかほんとすみません。

ということで教えてください。

あなたは、何をぼくに伝えたかったんですか?
目に見えない物をどうすればいいんですか?
最初のアンチ○○の段階から、ぼくはどういうスタンスで答えればいいのか、わからなかったのですが。

そのわからなさゆえに、自らの中での自分自身との対話が生まれましたが、さらにそれゆえに、なんかいろいろ言われてしまいましたね…。

とりあえず、罰が当たるとお天道様とは別物ですよね。
それとも、重なるものですか?
もちろん、同一のベクトルの考え方として見ることもできると思います。
では、それは、江原氏的な「目に見えないもの」と重なるんですか?
(ぼくはそうは思いませんが、あんまりここでぼくの考えを話すと、また「自分のことばかり言う」と言われるので、今日はやめておきますね☆)



コメント日時:2007年02月08日 21:08
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

ちゅーか、もう一つ忘れていたんですが、ぼくってB氏のこと、批判しましたっけ?

「真ん中」の話のことが響いているのでしたら、まあ、ぼくも言いすぎたかもしれませんが、べつにB氏が自分は真ん中に立っているのだって自信を持っているのなら、それを批判と感じることはないですよね。

というか、もしぼくの言っていることが見当違いで、しかもB氏がご自分の日記でお仲間にこぼされたように自分の話ばかりしているのであれば、そんなの、どう転んでも批判にはなりませんよね。

批判ってなんですか?

ひょっとして、自己肯定の中で、批判とかアンチという言葉の意味を忘れましたか?(これは批判じゃないですよ☆)

江原氏関連部分も、もし批判と映ったとしても(何度も書いているようにそれは単純に批判しているわけではありませんが)、それはB氏個人に対してではなく、江原氏のセミナーに行くような人も、そうでない人、もちろんアンチも含めたものへの意見ですよね。

なんで、ぼくが、あなたを批判しなきゃいけないんだろう。
勝手に悪者の幻想を作り出して「私を批判してくれた方に感謝です。」とまで言われて、そうすることでさらにちやほやされたり、"素晴らしい自分"を演出する道具に使われたんじゃ、なんだか魂のレベルが低いぼくは、ちょっとやさぐれてしまう。

=====
しっかし、Bさんとそのお友達のコメントを拝見する中で、これまでぼくが"江原的な何か"に対して危惧してきたことのいくつかは、あながち間違いじゃなかったんだなあ、と実感しています。

ほんと、日本人の公共心って、どうなってるんでしょうね。
ここで、この日記のコメント欄は終わりました。

しかし、実は、このぼくのダメ日記と、切なさが増すだけのやりとりは、ぼくとスピリチュアルな人々とのファーストコンタクトの、はじまりに過ぎなかったのです。
(一応、終盤のコメントにその影響が出ています…)

(続く)
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