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しばらく更新していなかったので、昔のmixi日記から一つコピペ。コメント欄は、一部抜粋です。
 
2007年01月07日 05:07 の日記。
・日本語の変化や差別語に関する強者の理論の話。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=311798911&owner_id=26047

■「バカジャコ」はダメ、差別語含む魚30種を改名へ(読売新聞 - 01月06日 14:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=140555&media_id=20
 日本魚類学会(松浦啓一会長)は、「バカジャコ」「イザリウオ」など差別的な言葉を含んだ魚の標準和名を改名する。

 見聞きした人を精神的に傷つけたり、不快感を与えたりすることがある上、博物館や水族館などが別名への言い換えをバラバラに行う例も多く、混乱を解消すべきだと判断した。今月中に正式決定する。

というニュースがありました。

本来、こういうのってやりすぎじゃないかとか、本当にそんな必要があるのかと疑問を投げかけがちなぼくではありますが、mixi内でこれに関連した日記を書いている人たちを見ていると(http://news.mixi.jp/list_quote_diary.pl?page=1&id=140555)その多くが「言葉狩り」だの「日本語が崩れる」だの「そんなの使う側の意識の問題だから関係ないじゃん」という強者の理論に満ち満ちていて、それはそれで、なんだかいやな気持ちになったのでした。

たしかに、昔の映画やテレビ番組で、そういう単語が入ったセリフの音が消されていたり、小説が書き換えられたりすることに対しては、ぼく自身常に懐疑的に過ごしています。それはこれからも変わらないし、好きな作品がそうやって違う形になれば、反対の声を上げるかもしれない。

子供の頃愛読していた怪獣図鑑では「きちがいロボット」の二つ名を持った『ウルトラセブン』のクレージーゴンが、数年前の本では「いかれたロボット」と表記され、今調べたところさらにただの「ロボット怪獣」に改名されているのも、あまり好ましくは思っていません。

だけど、そんなぼくが見ても、ちょっと今日のmixi日記書きさんたちったら、強気過ぎ。
(というか名称変更に賛成あるいは特に反対でもない人は敢えて関連日記を書かないから、強気反対派が集まるだけとは思いますが。)

◆感想1◆
言う側言われる側の意識が問題だとか言う人がいるのだけど、それが真だとすれば、このmixi日記の状況から伺える強者の心理を見る限り、ここまで言う側の意識があんまりひどいと、変える必要がある気もします。

あるいは、言葉だけ変えても何の解決にもならないと知ったようなことをいう方々も少なくない。だけどそういう人たちが普段言葉以外のところで何か変えようとしているのかといえば、まあ、間違いなくそんなことはないでしょう。

無論、自分は社会的弱者に対してそんな「意識」を持っていないと強く信じることのできる無邪気な方々がほとんどだとは思います。

ひょっとしたら、「意識」の問題という言い方がおかしいのかもしれない。大抵の場合、ぼくら(この言い方も問題だけど…)は無意識に言葉を使い、その無意識が、他人を傷つけることもある。日頃から問題になりがちなのは、この「無意識」であるように思います。

そして、ぼくらが無意識に使った言葉が他人を傷つけたかどうかというのは、傷つけられたという人にしかわからない。決められない。それなのに、「自分」は言われてもべつに気にしないぴょん、みたいな勝手な発言がまかり通る不思議。

ちなみに、wikipediaの「言葉狩り」の項目では、こういうことも書かれています。
ある語に対する規制が言葉狩りかどうかは当事者の主観に左右される部分が大きく、差別全般についての考察なしに規制という事象のみをとらえて論じることは本質から外れた議論になりかねない。最初から否定的な意味合いを含んでいる言葉狩りという言葉には、すでにその使用によって使用者の立場を明らかにしてしまっていると言うことができる。

言葉狩りという語の持つイメージは強く、ある団体が人権を擁護するために用語規制を呼びかけても、言葉狩りと決め付けてしまえば先入観を持って見られるようになることが考えられる。

(※強調はぼくが入れました)

◆感想2◆
日本語(あるいは日本文化、あるいは日本そのもの)が崩れると言っている輩も少なくないですね。

こういう時にはそんなことを言い出すくせに、では普段から正しい日本語を使っているのかと言えば、たぶん違うでしょうし、常日頃から日本文化の維持継続を意識しているのかと言えば、もちろんそういう人もいるのだろうけど、大抵はそんなことない、むしろアメリカかぶれの暮らしであったり、あるいは形ばかりの「日本っぽさ」(浅草によくやってくる間違った着物の人々のような)だったりするのではないでしょうか。

まあ、似非日本文化の話はさておき。

こういう差別語関係の記事を見て「変えると日本語が崩れる」と言い出す人は、それなりに少なからずいます。
だけど、これが、ら抜き言葉や若者言葉の問題になると「言葉は変化するもので云々」なんて、これまた知ったようなことを言い出す愉快な面々もたくさんいるわけで。

そういう「意見」を持った人は多いにも関わらず、言葉に関する議論って、あんまり聞かないよなあ、と思います。言葉の変化に対して上記のように「何か言う」人は多いけれど、議論にならない。

「言葉を変えるな」という意見と、「言葉は時代によって変わるもの」とする考え方は矛盾しそうなもので、こんなニュースでも出れば、あるいは日本語なんちゃら委員会答申のニュースでもそうだけど、葛藤し乗り越えなければならない壁があるような気がします。
だけど、その時々で流されてしまいがち。

あるいは、論調をみる感じだと、ある時には「言葉は時代によって変わるもの」と言った人がまた別の機会には「言葉を変えるな」と言っているような気がするのは、ぼくの思い込みでしょうか。


まあ、大抵の人は、日本語や言葉というものに思いを馳せることなく、あるいは差別やその意識に思いを馳せることなく、漫然と無意識に、その時々の感情で日々を過ごし、今回も感情のままに強者の理論を振りかざしただけなのでしょうが。
(ぼくも他人のことをどうこういえる身ではないけれど…という予防線は張りたくないけど、実際そうなので仕方ない。)




↑ここまで日記

↓ここからコメント欄



コメント日時:2007年01月07日 06:30
コメント者:チャダ

ニュースから来ました。

自分の日記に付いたレスをコピペさせてもらいますね。


-単語とは、それがどのようなコンテクスト(文脈)の中で語られたかによって、意味を変えるものです。
そもそも、言葉狩りをする人たちには、「差別」とは何かを真剣に考えた形跡がない。
それでは差別をなくすことも、何が差別語なのかを判断することもできないでしょう。-


この方の意見が、至極真っ当で、大方の人が納得出来ると思います。



コメント日時:2007年01月07日 19:01
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

>チャダさん
至極真っ当だとか、大方の人が納得できる、という根拠がよくわかりませんが…。
その大方って誰ですか?友達ですか?2ちゃんのみんなですか?
友達のなんとか君が言っていたから正しいというレベルの話でしょうか。
それとも、
http://by774.blog73.fc2.com/blog-entry-1607.html
↑こういうレベルの話ですか?

結局、チャダさん自身が納得されただけですよね。
たとえば江原信者の人も、よく「オーラの泉を見て泣かない人はいないよね」とか言っていますが、これも信者だけに通じる理論です。
信者さんはひたすら納得かもしれないけど、ぼくは、首を傾げてしまう。

まあ、「すべて」でなく「大方」というところにチャダさんの良心があるんだと思いますが、仮に、本当に世界中の人類の大半が納得したとして、それが正しいことなのでしょうか。
今回のニュースのような問題の場合特に、大半が納得したから民主主義的正義だなんて言わないで、一人でも納得できない人がいれば、それに合わせるとは言わないまでも、「言葉狩りだ」なんて思考停止することなく一歩踏み出すことは、そんなに間違ったことでもないと思いますよ。難しいけど。


ちなみに、チャダさんが尊敬するその方のコメントって、まったく同じ「文の流れ」で一カ所だけ(そもそもの後です)変えると、こういう文章にもなりますよね。

-単語とは、それがどのようなコンテクスト(文脈)の中で語られたかによって、意味を変えるものです。
そもそも、「言葉狩り言葉狩り」と言う人たちには、「差別」とは何かを真剣に考えた形跡がない。
それでは差別をなくすことも、何が差別語なのかを判断することもできないでしょう。-


まあ、よく聞く屁理屈のパターンなので、言い換えようによっては何にでも使える「文脈」だと思います。
自分は考えていなくても、おまえら考えてねえから間違ってんだよ、と批判することは、誰にでもできる。

まあ、文脈が大事なのはおっしゃる通りですが、そもそも「文脈」でものを語る人って、実はあんまりいないですよね。単語レベルの人ばっかり(まあ、聡明なチャダさんの周りはそういうことはないかもしれませんが)。

今回のニュース日記をざっと見た感じでも、ほとんどの人は文脈という単語に逃げてるだけなんですよ(実はぼくもこの日記書くまでそうだったかもしれない)。
文脈という単語に逃げて、では「文脈」としての差別や弱者、異者理解やその他もろもろの関係性を考えているのかと言えば、まあ、考えていないでしょう(あ、きっと聡明なチャダさんは考えているんでしょうけど)。

そして、単語で簡単に変わるような「文脈」のセカイを生きている現代人に対し、単語からそのセカイを変えようという試みは、意外と間違っていないのかもしれません。こんなこと、これを書くまでは考えたことなかったけど、チャダさんのおかげで気づきました。ありがとうございます。

そういう理由ゆえに、言葉狩りだといわれる危険をおかしつつも、今回の名称変更はなされたのかもしれませんね。



ぼく自身の個人的な考えで言えば、差別をなくすことはとても難しいし、おそらくできることではないと思います。また、「ひばく星人」を欠番にしたり、「きちがいロボット」をただの「ロボット怪獣」にするような欺瞞には同意できません。

だけど、チャダさんのような人がいることを考えると、やっぱりこの魚類学会の決断は、(完全に同意はできないし、やり過ぎかもしれない、無意味なことかもしれないけれど)実は大切なことなんじゃないかと思う今日この頃です。


ちなみに、勘違いしている人が多いようだけど、べつにチャダさんたちが仲間内で使ったり、ネットの日記に書く際に、変更前の名称を使ってもべつにいいんですよ。法的に規制があるわけじゃないんだから。好きに使えばいいと思います。お好きな「文脈」でバカジャコバカジャコって言ってください。

ちなみにぼくは、よくクソムシと呼ばれます。

=====

文脈的に少しつながるかもしれない参考リンク。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=309338255&owner_id=26047




コメント日時:2007年01月07日 19:12
コメント者:チャダ

これは、言葉狩りをしている連中の恣意的な行動を問題にしているのです。


で、普通、会話は文脈ですると思いますよ?

そうでない人は、人の話を最後まで聞いていないだけだと思いますが??


何故、その様に過剰に反応されているのかが、分らないのですけれど??



コメント日時:2007年01月07日 23:18
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

ぼくは「言葉狩り」と言うだけで満足して先に進まない怠惰な大衆の行動(あるいは行動しないこと)を問題にしているのです。

もはや、魚類の学会の面々がどうとかいう単語レベルの話ではないわけですよ。
もう一回書きますね。
-単語とは、それがどのようなコンテクスト(文脈)の中で語られたかによって、意味を変えるものです。
そもそも、「言葉狩り言葉狩り」と言う人たちには、「差別」とは何かを真剣に考えた形跡がない。
それでは差別をなくすことも、何が差別語なのかを判断することもできないでしょう。-

時代の文脈を考えることもなく、言葉狩り言葉狩りと、腐ったようなバカジャコの一つ覚えを繰り返し、ことこれに関しては日本語の時代に伴う変化を認めることが出来ず、ひたすらに誰かのせいにして、思考停止する正義気取りのバカジャコに呆れてしまっただけです。
実際、(もう何度も書いたけど)ニュースに関する日記の数々を見るまではぼくもチャダさんと同じようなことを考えていました。
現代的な「クールな大人」の有り様ってのは、そういうものかもしれません。自分には火の粉のかからないところでわかったような物言いをし、言っただけで満足して終わり。
それは確かに楽で、かっこよく思えるかもしれない。いかにも何か「真っ当」なことを言ったような気がするかもしれない。

でも、たとえば子供たちに、そんな大人の姿ばっかり見せたくはないよな、とも思います。


ちなみに、ぼくはよく文脈という言葉を単語レベルという言葉と対比させて使うんですが、ひょっとして、みんなチャダさんみたいな理解をしていたのかな。
それは困る。
まあ、大抵の人はそんなバカジャコじゃないと期待したいけど。

あ、でも、単語レベルで生きるバカジャコどもが、人の話を最後まで聞いていないだけだというその気づきはすばらしいかもしれませんね。うんうん。

あと、これって過剰反応ですか?
ぼくには普通ですが??(?を二つつなげると、バカジャコっぽくてなんかいやですね。)
むしろ、実はかなり控えめだったりします。

まあ、なにおめえ熱くなってんだかおれさっぱりわかんね、という態度にも「クールな大人」像が見え隠れしていい感じですね。



コメント日時:2007年01月07日 23:24
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

ちゅーか、「これは、言葉狩りをしている連中の恣意的な行動を問題にしているのです。 」なんて言うくらいだったら、こんなとこでのんびりミクシィやってないで、魚類学会にでも、あるいはお金になるとおっしゃる「圧力団体や人権派気取りの弁護士」(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=311624663&owner_id=1337674)にでも(魚の名前を変えてどうお金になるのか、ニッチすぎてよくわからんですが)、抗議するなり意見を送るなりすればいいと思うんですが…。

ちゅーか、実はニュースを見た段階では、ぼく自身学会への抗議文あるいは質問文でも送ろうと思っていたくらいなのですが、日記の面々を見てやめました。

まあ、チャダさんのように借り物の言葉で知ったような文章を送っても、どのくらい意味があるのかはわかりませんけどね。



コメント日時:2007年01月08日 00:48
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

あ、ごめんなさい、ちょっと言い過ぎたかも。



コメント日時:2007年01月08日 00:49
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

(だが消さない。)



コメント日時:2007年01月08日 04:51

<中略>



コメント日時:2007年01月13日 02:57
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

べつに深くはないんですが、あらためてチャダ氏の書き込みを見てみると、どうも、なんというか、話が噛み合っていなかったのではないかという気がしますね。

ぼくが日記で書いたことは、彼には「あまりに愚かすぎてものごとが理解できていない、馬鹿な疑問だらけの文」と見えたがために「俺が正しい教えを示してやる」くらいの勢いで、彼が信じる先生の言葉を丸投げしてきたような気がします。
新興宗教の熱烈な信者が、その教えを「理解しない」大衆に「ありがたく正しい教祖先生のご宣託」を半ば義務感にかられるように「教え導く」(余計なお世話)ように。

そういう、前提、先入観があるので、その後のぼくのレスなんかも、本当に、意味が通じていないんでしょうね。まさに「??」という感じで、「君がわからないようだから俺がありがたい教えを下してやったのに、何意味不明なことほざいてんの?」みたいな。「ほんまにお前は救いがたいバカジャコやなあ」みたいな。

そういえば昔、高校の漢文の授業で反語を訳すときに「○○だろうか」だと×で「○○だろうか、いや○○ではない」みたいな余計なことまで答えないといけない理不尽さに、「べつに、○○だろうか、だけでも"文脈"でその後の否定するニュアンスもわかるだろうが」と思っていたんですが、今回のような、誰かが言う意味での"文脈"すら読めないバカジャコが世の中にはいるようなので、やっぱり、「○○ではない」の部分も必要なものなのかもしれません。

今後は、この日記のようなソフトな言い方はやめて、もっときちんと説明してあげないとだめなのでしょうか。そういう荒んだアレもあんまり好きじゃないんですけどね。



コメント日時:2007年01月13日 05:54

<中略>



コメント日時:2007年01月13日 10:12
コメント者:はじめ[鰻ホリック]

いや、ぼくも鈍感というか、何も考えてないっすよ。
差別と呼ぶとなんだか大げさだけど、社会的な大多数や強者ではない人たちに対する意識、とか。
ぼくも含めて、大多数の意識を正当なものと思いがちだし、まあ、そう思ってしまうのも仕方ないことかと思います。

ちゅーか、特に身体的精神的に不自由することなく生まれて暮らしている人の一部(あるいは大部分)は、鈍感かつ、その鈍感さを肯定するように生きているんだなあ、と、このニュースの関連日記を見て思ったんですよ。
何度も書いているけど、最初はそういうのと同じ印象を持ちましたからね、ぼくも。

あと、チャダ氏の尊敬する人のセリフとか、あれって、まさに、鈍感さや何も考えないことに対する言い訳のよい例ですよね。
ああいうことを自分に言い聞かせて、みんなその日その日を心穏やかに生きているんだと思います。

とはいえ、他人の痛みってなかなかわからないし、ぼく自身、こんなことを書きながら、これからも無自覚に無意識に、人を傷つけて生きていくんだろうなと思います。


そういや、今腕を痛めてちょっと吊ってるんですけど、「仮病?」とか冗談っぽく言われると、言った人にまったく悪意はなく、(C氏が言うような)「文脈」にその意識はないとしても、こいつ殺してやろうか的な感情を抱いてしまうこともあります。ほんと、言ったやつはわかんないんですよね。「文脈」云々じゃなく。と、自戒する今日この頃です。
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