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正直、江原云々の日記というのは、今更感が漂うのかもしれないけれど、今更だからこそ、敢えて2ヶ月近くも前にmixiに書いた物を、こっちに移してみる。

2007年02月09日 20:57 の日記を抜粋。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=341864254&owner_id=26047


オーラの泉ゴールデンに湧く
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=157502&media_id=8

もう散々アンチ江原については書いてきたし、オーラの泉がただのバラエティだということも有名なのだけど、それはさておき。

こういうニュースが出ると、前にも書いたように江原は消えろとかきもいとか、まあ、そういうみんな思っていることが出てきます。

それはそれとして、大いに同意するけれど、では、江原さえ消えればどうでもいいのかといえば、たぶんそれは違う。

確かに、江原には現代日本のスピリチュアル的な何かをここまで築き上げた責任があり、それがここまで幅を利かせている現状というのは、(2~3年のうちにはいずれみんな忘れる程度のものだとしても)受け入れがたい。

だけど、江原だけが消えれば、今のこのいかんともしがたい状況が変わるのかといえば、それは違う。

前に書いた江原関連日記では、スピリチュアル派の人がやってきて、意味不明な言葉を並べた挙句、自分の日記でぼくを悪役に仕立てながらも、その悪役の存在を受け入れる素晴らしい自分の成長物語を記していらっしゃいました。

まあ、そっちの日記にこちらからコメントしたら、あんた小学生かい、と思うような反応を返されて、ぽかーんとしてしまったんですけどね。

↓こんな感じ。
1.こっちで書いた江原日記。コメント覧が盛り上がった。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=337428600&owner_id=26047
2.先方が"悪役"を設定し、仲間たちにちやほやされた日記。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=338620803&owner_id=8246332
3.先方が設定した"悪役"を受け入れ、"自己責任"で"成長"し、みんなにちやほやされた日記。(終盤こちらからのコメントと、それに対する、そこまでの流れを見ていたら人格を疑ってしまうような反応あり)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=339724079&owner_id=8246332
4.ついでに先方の日記に対してこっちで書いた日記。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=340401545&owner_id=26047

まあ、上の、先方の日記や、その仲間たちのコメントを見ていると実感するのだけど、江原派、というか実は厳密には彼らは江原単一神を信仰しているわけではなく、スピリチュアル派と言う方がよいような存在なのですが、そんな彼らに共通しているものの一つが、「自分」中心主義とでも言うべき何か。

自分の"成長"が価値観の中心となり、まったく隠そうとしない自分大好き発言。
ぼくも以前はネタ的に、「おれって自分大好き人間だからメシの写真を撮ってるんです」くらいのことを言っていたけど、もはや自分大好きというのはネタとして通用しなくなっている。こんなにも、「本当に自分大好き」な人たちがいるなんて。

それと同時に、何度も書いてきたように、そこにパブリックな概念は通用しない。

セカイ系、という言葉が数年前に流行ったけれど、今の江原派、いや、スピリチュアル派の中には、リアルにセカイ系の概念が通用している。

wikipediaにいい説明があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB
セカイ系は文字通り世界的規模の大事を扱う。しかし壮大なスケールであるはずの世界は総人口数十人程度の箱庭でしかない場合が多い。世界は主人公を初めとした極めて少数の意志や感情だけで運命や未来が決定される。また、その決定をする人間は全て主人公と深い関係を持った人物である。それにより、セカイ系の作品の不思議な世界観より、ご都合主義の側面が大きく見えてしまうという批判もある。

本来個人と世界の間には世間や家庭・国家といった段階的な社会・共同体があり、個人がいきなり世界に干渉することは出来ない。しかしセカイ系ではそれら個人と世界を繋ぐコミュニティは非常に軽視されるか、若しくは存在しないものとして扱われる。これは社会に出ていない少年少女の考える世界観に近く、非現実的である。

はてなダイアリーキーワードにもいい説明があった。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BB%A5%AB%A5%A4%B7%CF
過剰な自意識を持った主人公が(それ故)自意識の範疇だけが世界(セカイ)であると認識・行動する(主にアニメやコミックの)一連の作品群のカテゴリ総称。

そういえば、雷門の前に修行所が出来たスピリチュアル系新興宗教が、「自分が変われば世界が変わる」的なことを言っていたけれど、その考え方の中にあるのは、セカイであり、自分。それをつなぐものとして、"江原大先生"や類似品も介在するかもしれないけれど、「そこには『中景』にあたる『社会』や『イデオロギー』が存在しない」。(これもはてなから引用)

あるいは、自己責任自己責任と、件のスピリチュアル派の人は繰り返す。ちなみに別のスピリチュアル派の人が、ブログで「自己波動責任」とかとんでもない事を言っていたけど、それについてはまた別の機会に語るとして、その、彼らの自己責任って、いったいどういうことなんだろうか。
自己責任なら何でもやっていい自己責任なのか。自己責任だから他人には関知しない自己責任なのか。

あるいは別件でブログの方に書いた江原関連エントリで引用した、江原信者が、江原版あるある問題に関連して述べた言葉
「自分にとって利益になるかどうかで判断するべき」
「見ていて楽しいのだからそれでいいと思います。」
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-105.html

彼らの中には、自分と、セカイしかない。あと"江原大先生"や愉快な仲間たち。

こうして、私や個を重んじ、公を忘れ去る人々があふれかえる。本当に、いつの間にかあふれかえっている。

この点が、よく並び称される、あるいは並び貶される江原と細木というアレ系二大巨頭に関し、ぼくはただ江原についてアンチの声をあげる理由の一つであると同時に(細木にそこまでの絶望的な影響力はない)、ただ江原さえ消えればいいという問題ではなくなっている、という思いにもつながります。

とはいえ、それもこれもスピリチュアル派の人々だけでなく、ぼくら現代人全体に蔓延した公共心の低下と密接なものだとは思いますけどね。


今思い出したけど、ずいぶん前に、ぼくは仮面ライダーブレイドと公共心の云々というのを書いていたな。今読むとどうしようもなく何か足りないけど。
http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/blog-entry-8.html
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