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日本語の乱れとか日本語の変化というときに、よく夏目漱石が出てくる気がします。たとえば漱石がこう書いているから、この(現在乱れているといわれる)表現は実は昔から正しかったんだとか、そんな感じ。

たしかに、素人目に見ても、日本語業界(?)における漱石の功績というのは大きいのかもしれません。
たとえば単語レベルで見ても、ちょっと調べてみると現在日常的に使われている言葉の中に、漱石の造語や当て字というのが実は沢山あって、たとえ無意識のうちにであっても、日本語を使う上でぼくらが漱石に受けた価値には、兎に角計り知れないものがあります。

だけど、漱石が使っていた言い回し、というのが必ずしも現代において日本語を語る基準となってよいものなのか。

べつにぼくは、日本語乱れてる派ではなく、どちらかといえばむしろ乱れてないよね派なんですが、単純に、乱れてないよねという時に、漱石を引用するだけで片付けるというのには、ちょっとだけ疑問があります。

当時の日本において、漱石の表現が完全に「正しい」ものであったかどうか、という裏付けもなく、しかし漱石が使ったというだけで権威になる。

なんだか今日は、我ながらものすごく間違った、あるいはいつにも増して的外れな事を言っている気がしますが…。というか、漱石が正しいという裏付けとか根拠とか、そういうの、実はたくさんありそう。

まあ、でも、「漱石がこんな変な使い方した」ではなく「漱石が使っているからこの表現は正しい」と言われる、それほどの存在になれるって、すごいことですよね。

まあ、イマドキは自分基準で自分自身がそういう「偉大なる」存在になってる人とかたくさんいますけど。
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