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過去ログ掘り起こし
すごく古いCMヒーローの話。

ぼくたちのヒーロー【第一章:アミノンジャー】

(2003/02/25)

ヒーロー、特に戦隊モノのパクリというのは、以前からよく見受けられたものであることは、今さら言うまでもないことでしょう。
戦隊モノそれ自体が、そのシリーズのセルフパロディであることを考えても、ぱっと見で、容易にそれと判別することができる彼等の似姿は、格好のパロディ対象であるとも言えるでしょう。要は、中身はどうでもいいからとりあえずまねしてみればだれがやってもそれなりになる。見た目のイメージだけで簡単にその物語性が伝えられるわけで、特にCMなどではこのパロディが多用されてきたものです。

そしてここにももう一組、『麒麟戦隊アミノンジャー』。
あきらかにゴレンジャーをパロディ対象としているコスチューム。あそこまでパクるってことは提携しているのか、それとも単にデザイナーの限界か、ということはさておき、本当ならあんなのどうでもいいんですが(もう飽きた)、諸事情により、今回はちょっとアミノでもみていくことにします。(追記:どうやら東映及び石森プロの許諾をとっているようです)

そもそも、パロディにするのはいいけれど、あれはほんとうに戦隊を名乗ることができるだけのものを背負っているのか、この点に集約してみていきましょう。

体脂肪や、お肌の問題に正面から立ち向かう彼等。
一見、そんな、自分を救えなんて言ってるやつら、ヒーローなんかじゃないよ、って思う人も、ひょっとしたらいるかもしれません(このサイトをよく見にきて下さる方なら、そういう見方はしていないでしょうし、そろそろこの話の落ちの方向も見えてきているかもしれません)。しかし、思い返してほしい、以前からこのサイトでも言ってきたことの繰り返しになりますが(たぶん)、ヒーローのかかげる正義の本質とはなんだったのでしょう。

それは、私戦、ごく私的な戦いでした。
え、そんなことないよ、ヒーローってのはみんなのためにじぶんをぎせいにしてたたかっているせいぎのみかたなんだよ、そんなことを思う人もいるかもしれません。中学生にもなれば、あんなのぎぜんだよ、って勘違いしたままの方向に流れていくかもしれません。

だけどもう一度振り返ってみるといい。なんなら特撮関連の過去ログでも読みあさるといい。
実際仮面ライダーをはじめ、等身大ヒーローの戦いの本質は、復讐、そこにありました。
たとえばショッカーに身体改造され、復讐の鬼となった本郷猛。あるいはショッカーへの復讐、そんなマクロな戦いの目的とは別に、各話ごとの戦いの意味というミクロな正義もまた、私的領域に乗り込んできた異物(怪人)への私的な復讐(それは姉を奪われた弟だとか、父を奪われた息子の代理復讐であるにしても)であったことも思い返していただきたい。

つまり、ヒーローの存在意義は、復讐、いわゆるショッカー的な「悪の組織」がなければ成り立たない正義であり、この復讐と正義の構造は、ひたすら受け継がれ続けています。毎年新しい作品が生み出される戦隊ものの系譜を見ていただけばもっとわかりやすいでしょう。

「悪の組織」の日常への侵略。それに対する、カラフルなヒーローのカウンターアタック。
マクロなそれ(たとえば暴れまくる恐竜に現実の都市を破壊させまくるアバレンジャーなんて、『D』を彷佛とさせられましたが、とてもその様がわかりやすかったですね。また、今回の本筋とはそれますが、正義である戦隊の力の起原がその破壊と本質的に同等のものであるという点も、わかりやすかったですね)と、各話ごとのミクロなそれ(怪人が街を破壊してそこに戦隊が、まてーっ!とやってくるというあれです。怪人がアクションを起こさなければ、ヒーローはのんきに昼寝でもしてるしかありませんね)が繰り返され、終盤では「悪の組織」の大侵攻(ハリケンジャーでは「あれ」をついに手に入れた敵首領と幹部の本気の侵攻が狂言回しとなりました)とそれにたいする戦隊のアクションにより、戦いが集結するわけですが、悪の組織が消えたその時点で、復讐の対象の存在しないヒーローは、その役目を失います。
もはやどんなに人気があって、どんなにがんばったところで、次の悪の組織と次のヒーローにその座を明け渡すしかないわけです。

あるいはウルトラマンはどうなのか。
本来ウルトラマンはここまで述べてきたヒーローの正義では語れません。
宇宙の辺境の地球人なんて小市民のために身を粉にして戦う彼等の倫理観。それについてはこれまで多くの人が分析し、考察してきました。
とはいえ、最近のウルトラマンはまた別です。
地球生まれの「人間ウルトラマン」である90年代以降のシリーズにおいて、明確な大ボスを描き、人はみな光になれることを示したティガや、人間とウルトラマン、そして怪獣の共闘で、それまで物語をすすめてきた「根源的破滅」に立ち向かったガイアなどを経てたどり着いた『ウルトラマンコスモス』においては、「カオスヘッダー」といういかにもな悪役をすえることにより、怪獣を倒すことへの一応の建前を設定しながら、異者理解とカタルシスを同時に満たし、…ああ、いいや、そういやコスモスの話あんまりしてませんでしたね。そのうちコスモスについてはあらためてこのサイトで。要するにここで言いたかったのは、ウルトラマンの正義のあり方、ヒーローとしての性質も事実少しづつ変わっていて、コスモスにいたっては、もはや悪の親玉「カオスヘッダー」が片付いたらその存在意義もなくなって去ったという、戦隊並のアレになってるね、ということです。

では、再び話は立ち返り、アミノなやつらはどうなのか。
もう簡単にこう言えますね。
彼等は、体脂肪だとかお肌の問題だとか、ごく私的な、私戦、憎むべき侵略者(体脂肪とか)への復讐を繰り広げなければならない悲しい宿命を背負った、まさにヒーロー的なヒーローだと。
特に、『仮面ライダー龍騎』のような、多種多様なライダー個人のごく私的な欲望に根ざした戦いのあり方が描かれ、そして受け入れられた昨今、アミノのように自分を救うなんてヒーローのあり方は、パロディのパロディにすぎないもの、まったく目新しい要素なんてない、ごく当たり前のヒーローということになります(だから言ったでしょ、もう飽きたって)。あるいは別の、特撮とは違う分野においても、『エヴァンゲリオン』のような、つまるところ個人の内部での戦いに収束する物語もありましたね。ほら、こんな構造、珍しくもなんともないんですね。つまり、ごく純粋な意味でのヒーローの似姿だと。


と、ここでひとまず筆を置くのもいいのですが。
しかし、ひとたび視線を転じてみていただきたい。
単に彼等が体脂肪や飲んべえと戦うだけなら、あっさり(比較的あっさりってことで、体脂肪と戦うのは実は大変です)戦いの方はかたがつき、それでおしまい。もはや出番はなし。
しかし、アミノサプリは個人的問題では片付きません。一つの商品として永遠に売れ続けなければならない、悲しい宿命を背負っているのです、という見方も含めてですが、そこまで考える必要もないでしょう。
その戦いは、単なる私戦ではありません。

考えてみれば、そんじょそこらのヒーロー(恐竜とか忍者とか)なんかよりはるかに、あのアミノの戦士たちは、あなたにとって共感できるものではないでしょうか。
そもそも、体脂肪だとかお肌の問題は、事実ブラウン管の中(この表現もひょっとしたら旧時代的でありましょうか。単にテレビが液晶に、というだけでなく、ネットを通じてCMを見ることもできるわけですし)の敵ではなく、あなたにも、意識するしないに関わらず、おそらくは永遠に、日夜忍び寄っている問題であるわけです。
つまり、体脂肪や虚弱の問題は、人類全体に蔓延する恒久的な漠然とした悪であり、アミノの戦士たちは、漠然とした正義のために、永遠に戦い続けなければなりません。

実を申せばこの姿も同時にヒーローの一つの姿でもあります。しかし、ここまで述べてきたヒーローとは違い、こちらの戦いには終わりはなく、ひたすら戦いつづけなければなりません。

実は、前半で述べてきたヒーロー像というのは「日本型ヒーロー」とことわりをつけなければならないものです。
これが、スーパーマンだとかスパイダーマンだとか典型的なアメリカンヒーローになると、漠然とした正義のために、漠然とした悪と、何十年も戦い続けなければなりません。
一人悪を倒しても、悪はどこにだっている、いくらでも新しいシリーズが、描かれ続ける。
アメリカンヒーローの悲しい宿命はそこにあり、また、アミノサプリをヒーローあるいは正義の味方(日本型ヒーローは、正義の味方というよりむしろ平和のために戦っていると言えます。平和が乱れたら、やっと立ち上がることができる。それに対して漠然とした正義を掲げ得るアメリカンスタイルのヒーローは、漠然とした正義の名の下で、いきなりイラク攻撃とかもできるわけです。おっと、べつに政治的意図はまったくありません、ただのたとえですから)として語るならこちらのスタイルで語らなければならないでしょう。

そう、日本型ヒーローの代表格の似姿であり、日本型ヒーローの構造をそのイメージとして押し出しているアミノンジャーは、実はもっともあの姿にふさわしくないヒーローであった、そうも解釈できるわけです。そこを単にイメージだけでうっかりやってしまった失策は、もはやどうしようもありません。まあ、いろんな意味で受けはいいでしょうが、そこはそれ、キャラクタービジネスの問題児とでもいいましょうか。

おまえそんなたかがCMのことだしそこまで言わなくてもいいじゃないかマターリ見ていこうよ、と、そんなことを言うやつは言っていればいい。お前らろくに新しいヒーローの姿を見たこともなく単に幼き日の記憶とイメージと、あんなの子供の見るものという価値観に支配されたやつらは、のんきに浮かれているがいい。おれたちにとって、ヒーローを扱うというのは、命がけなんだ。こうやってなあ、命を削りながら、魂を込めてぶつかっていかなきゃいけないんだ!


と、アミノはもうこのへんで投げ出して、それじゃあ、私にとっての本当のヒーローの姿とはどんなものなのか。

というお話はまた次回(あるいはもっと後。なんだか疲れました)にでも。
ちょっと今回やたら長くなりましたね。わかりにくいかもしれないので後でじっくり見直したら書き直します(2/27、一部加筆訂正)。

あと、最後の方はほとんど冗談なので、アミノなんてべつにかるーくまたーりと見ていけばいいと思います。
あ、もちろんアミノ嫌いじゃないですよ。むしろ好き好き。まあ、飲み物としては最近はアミノより「フキゲン」が好きです。CMだけならアミノ式のくるくる回ってるのが好きです。

-つづく-
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