上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
こないだ、「家でやろう。」のポスターについて日記に書いたんですけど、いまだに地下鉄に乗ると、家でやろうのコピーが印象的なメイク中の女性をアレしたポスターが目につきます。
(東京メトロの家でやろうページ:http://www.tokyometro.jp/anshin/kaiteki/poster/index.html

東京メトロとか関係ない人には、どうでもいい日記ですみません。


そもそもおマナーというお言葉がぼくは好きではないのでアレなんですが、何度そのポスターを見ても、わざわざ少なくない予算を使ってまで車内メイクを槍玉にアレするのってどうなの?という気持ちは変わりません。

べつに、車内メイクを推奨して、みなさん是非車内でやりましょうねーというつもりは毛頭ないけど、わざわざ電車の中でメイクすることが「おマナー」にお違反しておる、とかいうおじさん(おばさんも?)たちの感覚は、こないだはキャバクラでキャバ嬢にお説教するおじさんのような、と書いたけど(そんなの本当にいるのか知らないけど)、なんというか、やっぱり気持ち悪い。
どうもそこでは、女子はかわいくて当然、おねえさんは美人で当然、もしくは、それなりの人はそれなりで当然、というのが前提のようになっている気がします。
(ちなみに、なぜか海外に行くとものすごく残念な女子の割合が非常に高いのは、普段の完全版メイクではないことが大きな原因だと思うんですが、どうなんでしょうか。鬼みたいな顔の3人組が、ビデオで自分撮りしながら「いまぁ~ライン川くだりぃのフネに乗ってまぁ~すギャー」とか言っていると、呆然と、国辱とはこのことだっけ、とすら思ったりするんですが)

たしかに、女子はかわいい。できることなら女子になりたい。
けど、それって一朝一夕で成り立っているものではなくて(いや、実際はまさに一朝だったり、人によっては一夕だったりで作っているものですけど、そういう意味ではなくて)。
だけど、電車の中でメイクするのはけしからんと高らかに謳うおじさんたちの精神の根底には、女子はかわいくて然るべきもの、あるいは、それなりの人はもともとそれなり、という甘えがある気がしてならない。
とりあえず、そういういやらしい甘えは捨てた方がいい。
いや、もちろん皆様もとから大変お美しいのは存じ上げておるわけですが、ただ、メイク様のおかげをもって、この世界が光り輝いておるということも忘れてはならないと思うわけで。


たしかに、電車の中で人目もはばからず(あるいはそこにある人目は、もはや”人目”ではない)メイクするというのは、公共心の低下をあらわす指標の一つだというのはぼくだって納得できるし、そこに象徴された公共心の低下というのは、全体的に見て由々しき問題だとは思います。メイク女子に限らず。
それは、単純に公共心が低下したということよりも、電車を降りて辿り着く目的地(学校だったり会社だったり)にある小さな「セカイ」のみが各個人の世界の全てであり、電車の中は、セカイを構成する要素ではない、もしくは無視しても構わない超下位要素にすぎないという、セカイ系的価値観のあらわれなのかもしれません。
ただ、そこで問題とすべきは、その、ごく狭小な価値観でこそあれ、車内メイクという行為ではない。断じて違う。
仮に、この東京メトロ様のお達しの力で、誰もが家でしかメイクしないようになったとしても、そのセカイ系的アレの蔓延には何の関係もない。
(自分用参考リンク:http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/?q=%A5%BB%A5%AB%A5%A4%B7%CF 過去に書いたセカイ系的価値観のアレ)

で、なんでしたっけ。
そうそう、車内メイク自体が、そこまで槍玉にあげるほどのものだとは、何度考えても思えない。そもそも、マナーとかエチケットの範疇だと思えないし。
むしろ、その行為に対して「家でやろう」なんて狂信的おマナーの押しつけを行ってしまう傲慢、あるいは、そういうポスターを見て「ほ~らオレが今まで言ってた通りだ」とあたかもシャカイセイギの追い風を受けたかのように追随する偏狭な価値観。
そちら側にこそ、自分の価値観のセイギを信じてしまえる幸福な愚かさと、その貧相なセイギによって成り立ち得るセカイの息吹を感じてしまいます。

しかし、今までは、無邪気に女性本来の美(メイクに頼らない)のみを妄信できた人たちが勝手に、「大和撫子の嗜み云々」「醜女は何しても無駄だから云々」と言っていたに過ぎないことが、いつのまにか東京メトロ様の大いなる意思によって、悪決定、となった、いわば公認悪の誕生を迎えてしまったわけで。

そもそも車内でメイクすることを「悪」「マナー違反」と断じている人たちは、きっと本当はメイクする女性の良識とか公共心を問題視しているわけじゃなくて、むしろ、自分がその「セカイ」の範疇の外にいること、他人にとってはたとえばジャガイモと変わらない程度の重みですらない存在になってしまうこと、そんな当たり前の事実、あるいは人間そのものが持つ真の孤独をつい認識させられてしまうことに我慢できないんじゃないでしょうか。
しかしそれを自ら理解しているのかどうか、はずかしげもなくメイクガールたちのセカイに、自分のセカイをぶつけてしまう大人気なさ。
実はそれこそ、「家でやれよ」と言われるべきものかもしれませんね。

とりあえず、そのへんのブログとかmixi日記の多くがこのポスターを賞賛し、「アチキもそう思っていたでやんす」とか口々に褒めそやしても、ぼくは徹底的にこのポスターは認めたくない(前の日記に書いたような、偏屈な老人たちが「電車でお化粧する女性はヤマトナデシコとして恥ずべき行為であり、家でやろう」と朝日新聞に投稿するような言論の自由は認めますが、それを悪公認してしまうのは違うだろうと)。

たとえそのデザインは大好きで、少なくともここ数年のマナーポスターとは雲泥の差であることは間違いないにしても、そこにある、すごくいやらしい感じが露骨にあらわれている限り、今後もこっそりアンチ日記を書き続けると思います。
関連記事
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/tb.php/191-35551d14
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。