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何週間か前の日曜(6/8)に歌舞伎を見に行ったあたりのちょっと前からのログ。
そろそろほとぼりも冷めてきたかもしれないのでこっそり書いてみる。


・5/13
6月歌舞伎座の歌舞伎会先行販売。いつもどおりウェブで購入。
ワーキングプアな現実の中での予算を考えると、さすがに今月は1階というわけにはいかないものの、3階Aでは既にめぼしい席はかなりとられてしまっていて、かろうじて、6月8日昼の部(11時~15時半くらい)で、まあ、それほど後ろすぎない席は購入でき、一安心。
ちなみに昼の部か夜の部かで悩むも(演目はどちらも魅力的)、席の位置を見比べたり曜日の関係で、その時点でのベストと思われるポジションが得られたため、この「6月8日の昼の部」を確保。
それにしても、最近本当に席がとりづらい。まあ、自分自身その波に乗っているわけですが。

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・5月最終週頃
バニラビーンズ(北欧風アイドルユニット。以下、バニビと略すこともあります)のアキバでのイベント(握手会、撮影会的な)の詳細が公開される。なんと、「6月8日14時~」。
歌舞伎と同様にバニラビーンズのことも大好きなので、本来なら是非行くべきイベントであるにも関わらず、先に購入した歌舞伎の日程と、ぴったりかぶる。
先の日記でも書いた通り(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=824829046&owner_id=26047)、どうしてこうも狙いすましたかのように「間が悪い」状況が発動するのかと、人智を超えた力を呪おうとさえ思ってしまった。
たとえばこれが他の日なら何も問題ないのはもちろん、あの時同じ日の夜の部(4時半~)でクリックしていれば、秋葉原・バニビイベント→東銀座・歌舞伎座(日比谷線利用で乗り換えなし)というパーフェクトタイミング・パーフェクトルートな一日が送れたのに、と、心底悔やみ、紙一重のタイミングを本気で気に病む(これはその日記に書いた通り)。
↓前の日記から引用

それはさておき、6月も歌舞伎座のチケットは早々におさえたのだけど、そう、いつもいつも間が悪いねえでおなじみのぼくなので、今回もその「間が悪いね」が発動してしまい、バニラビーンズ(http://music.mixi.jp/view_artist.pl?id=2035608)のアキバでのイベントとかぶってしまった!しかもめずらしく昼の部のチケットがあるところに、ジャストタイミングで!これが夜の部なら、間違いなくバニビの後で歌舞伎という最高に望ましい一日を送れる状況だったというのに!

本当にもうね、なんというか、間が悪いのって自分のせいもあるんでしょうねきっと、とは思っていましたけど、ここまでくると、何かの悪意すら感じてしまいますよ。お岩の祟りとか。(※注:それは間違ってもお岩の祟りなんかではなかった)



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・6月1~7日
歌舞伎のチケットは捨て置いてバニビに行こうかと本気で悩み続ける(払い戻し等は当然できない)。

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・6/8(歌舞伎・およびバニビイベント当日)
バニラビーンズに後ろ髪を全力で引かれる思いをしながらも、結局朝から歌舞伎に向かう。
「新薄雪物語」と「俄獅子」。
薄雪一幕目の秋山大膳(いわば悪役)が登場したあたりからが俄然面白い。
特に一幕終盤の染様(しゃぶりた男性第一位/当方男ですが篇)の立ち回りは、やばい。やばいとしか言いようがない。というわけでもないけど、というかべつにやばいって、そんなに大した表現でもないけど。とにかくすごくいい。
三幕目の幸四郎と吉右衛門もかなりかっこよかったけど、染様にはあらためて惚れ直してしまう。
さらに俄獅子での染五郎と福助の、この最強タッグがまたすばらしい。超人タッグトーナメント優勝間違いなし。金のマスクも銀のマスクも関係ない。福助の動きなんて、レベルが高すぎてもはや笑ってしまうしかないくらいに、こういう言い方はアレなんですけど、粋な感じ。
先月から、この、福助と染五郎にはひたすら感銘し平伏するばかり。3階なんて上の方から見下ろすのが申し訳ないくらい。
バニラビーンズの二人組も、もちろんオシャレでかわいくて素敵なコンビネーションなのだけど、さすがにこの二人と比べると、そりゃ、ね。みたいな。

そのまま余韻にひたりながら、4時頃、銀座・中央通りから横に入った道でショーウィンドウを眺めていると、後ろの方で、携帯のニュース(iチャネル的な?)を(「なんかすげーことが起きている」という感じで)朗読している男がいるが(というか連れの女子に読み聞かせている)、「秋葉原にトラックが突っ込み…」という、今となってはおなじみのニュースも、その時点ではまったく意味が分からない。何かのゲームの話でもしているのかと思うものの、そこで携帯の電源を入れてみるとますます意味不明な状況になっている。

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・6/8「たら・れば」の話
もし直前までこっそり悩んでいたように、歌舞伎は捨て置き、バニラビーンズを選んだとしたら、いや、むしろ、そうであればと強く望んだように、歌舞伎は夜の部を選択していてバニビ(14:00~)→歌舞伎(16:30~)という黄金ルートがとれようとしていたら。

バニビ後の寄り道が時間的に難しいことから早めに秋葉原へ行き(自宅とアキバの位置関係から、中央通りには末広町側から入る)→まず秋葉原MADを覗きつつ路上アイドルを眺めたり途中の店に立ち寄りながら、ドンキの横から一本裏の道に入るか、もしくは、もう少し中央通りを進んで(路上アイドル等が多い休日はこの線が濃厚)、「中央通りと神田明神通りの交差点」を曲がり、どちらから曲がったとしても、神田明神通りからヨドバシ側へ抜けるルートを進むという定番ルートを(神田明神通り横の駐輪場に自転車を置きつつ)、12時~13時くらいに通ったことは、日頃のアキバ生活でパターン化されている自分自身の様式と、その後の時間配分やタイミングの妙を鑑みるに、十中八九間違いない。

染五郎>バニビ というバランスだったから現実は今ある通りだけど、染五郎<バニビ というバランスだったとしたら、たぶん全然違う現在を過ごして、あるいは当事者になった可能性も想像に難くないどころか、むしろその方が現実なんじゃないかとすら思えて仕方がない。
今ある現実の方が、ズレてしまっている、そんな感じ。

ちなみに、同じ苗字の人がまきこまれて亡くなっていたので、「ひょっとして3116さんのことかと思った」と何人かに言われたのだけど、たしかに、それが自分でもおかしくなかった状況で、ぼく自身結構モタモタして間が悪い方なので、たぶん、タイミング次第では何が何だかわからないうちに、どうなっていたかというのは、いまだに想起するのをやめることができない出来事のひとつではあったりします。

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・また別の話

それとはまったく別の当事者感覚(当事者じゃないか。時代的な共感?違う、まあ、なんかそういうやつ)というのもあって。
それはぼくに限らず、「殺すのは絶対ありえないし許せないけど、ただあいつの言っていることがわからないわけじゃない」的な感覚を持っている人が、実は今少なからずいるらしく、そしてぼくも、多少それに近い感覚を持ってしまっています。

ただそれは、よく聞くような「社会に対する云々」とかそういうのとは少し違う。

以前しばらく江原ネタ(というかアンチ江原ネタ)ばかり日記に書いていたことがあったのだけど、その出発点のひとつが「ぼくの未来ってこんなんだっけ?」という(これはハレンチパンチの歌の歌詞なんだけど)感覚のズレで、「自分の人生の"こんなはずじゃなかった感"」というのは、時には埋めがたい深い絶望につながっていたりするように思えて、特に下手に希望とか夢とか言い出しちゃう中で育ち、「自分が主人公」の物語を生きているはずが、気づけば、どう考えてもド脇役の人生。
そんな中で、一部の人はエハラ的スピリチュアルの「物語」に身を沈めることで、「今でこそこんなだけど本当はこういう壮大な物語の主人公なのよ」という錯覚を得ることができたり、今ド脇役であるところの理由付けまで手に入れちゃったりしている。ただし、まあ、そういう人たちはえたして教養がない。申し訳ないけど。
だけど、そこに身を沈めることができるのは、あらためて考えてみると幸せなことなのかもしれない(といっても。全然うらやましくないですけど)。

今回のアキバの彼の場合、きっと彼自身もド脇役であるところの人生に、特に途中までは物語の主人公としての自分を錯覚できていたであろうものだけに、感覚のズレがあったことは想像に難くない。というか彼に限らず、今の自分自身に物語構造的なズレを感じてしまう人はたくさんいて、「社会が云々」とか言い出す人たちも、たぶんそういう、状況の「こんなはずじゃなかった感」というものを持っている気はします。まあ、そういうものを持たされてしまう時点でアレなんだけど、それはまた別の話。

ただ、まあ、大抵の場合はそんなズレがあっても無意識にあきらめたり、人生ってこういうもんだよね、って思ったり、ネット人格で構造上の逆転を図ってみたり(それで結構成功している人もいるだろうし)、また最近のアニメファンは、そこに「逃避」の可能性を見出すようなこともできているらしいのだけど、まあ、そういう逃避ができる人はうらやましいですね。あるいは、そもそも身動きができない「こんなはずじゃなかった感」があったとしても、でも、だからってどうこうできなくてじっとするしかなかったり、また他方では、エハラ的スピリチュアルや生まれてきた意味がどうこうという新興宗教に身を浸したり、という方向に行ったりして解消するしかない。

ただ、そういったことに忸怩たる思いを持ってしまったり、でも抜け出しようのないド脇役のその人生に感じるズレが限界に達してしまったときに、もちろん、他人を殺すのは論外だけど、でも、そこに如何ともしがたい閉塞感があったことだけは、感覚の肯定はできなくても、ただ、爆発してしまった人がいるというのは、必ずしもアキバ通り魔に限定したことではなく、他の人間の身に起こったかもしれない、あるいは、これからまた起きるかもしれないという危惧は少なからずあります。

特に、アンチ江原日記の中でセカイ系的感覚とスピリチュアルについても何度か触れたのだけど、いわゆるセカイ系的な偏狭な世界観しか持てない人々、というか、まあ、教養がないってことなんですけど、そういう場合、他人から見ればごく狭小なその「セカイ」を壊すことの重みが、その教養のなさゆえに尋常ではなく重いものになるわけで、たとえばアキバ通り魔程度の教養では、それはアキバを破壊することだったのかもしれないけど、それこそ江原信者程度の、ろくに本も読めないような、それでいてエハラ的スピリチュアリズムを持ち出して「見えないものが云々」とか、仮想メモリのような学歴中心主義の裏返しのような話で、世の中一般の教養より自分たちの方が優れているとか言い出すような、あの恥ずかしい人たち程度のセカイ感がいまだに偏在しているこの国では、そのうち親の子殺しくらいのこと(それは、そう、エハラ的スピリチュアルの重みではセカイを中心から崩壊させるような現象)が、どんどん起きてしまうんじゃないかという確信めいたものが、どうも最近頭から離れない。

セカイを崩壊させる試みは、たとえば昔の詩人は、本屋に爆弾に見立てたレモンを置くことで満足できたことかもしれないわけだけど、まあ、そんなフィクションはさておき、教養が薄ければ薄いほど偏狭になっていくであろうその「セカイ」で、たとえばアキバ殺傷は、まあ、あれは頭がおかしいとしかいえないのだけど、でも、たぶん「セカイ」を破壊しようとしたんじゃないかとも思えるし、そして今日本で一番教養がないくせにそれを認められない江原信者たちの「セカイ」=ごく卑近な家族やら何やら程度の「セカイ」が満ちる中で、今でこそ仮想メモリ上の「ニセ物語」物語で危うい均衡を保っていても、何かの弾みにそのバランスが崩れれば、できれば起きないほうがそれは当然いいのだけど、「セカイ」の息の根を止めるために子殺し(あるいは親殺し、夫殺しetc.)というのが近い将来頻発する、あるいはすでに起きているのではないか(もちろん、そういうセカイ系的感覚を共有できていない人たちの捜査や報道では、まったくべつの事象として出てくるのだろうけど)。
そんな危機感も、少し想起してしまうようになったのが、あの事件のごく卑近なところでの影響だったりもします。


というか、今回の日記は話が飛び飛びになりすぎていて、たぶんきちんと考えていることが書けていないので、この内容で怒られなかったらまたどこかで書きます。
特に、テレビでの露出はいろいろあって減ったように見えるものの、息詰まるような(つまりエハラ的スピリチュアルの鴨になりやすい人々がたくさんいる)地方都市巡業を繰り返す江原を見てしまった今日この頃なので、また、なんか、どんよりと暗い気持ちになってしまったりして。
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