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先週土曜はまず歌舞伎座。
前回2部3部を見て、今回は1部。

「女暫」(ポニョみたいなのが5人出てきた)にはじまり、中村橋之助の息子が出てくる連獅子(眠かった)、それから、落語の「らくだ」を歌舞伎にしたもの。

らくだは、落語の筋をそのまま歌舞伎にしたようなもので、もちろん面白い。
女暫も、大時代的な舞台や、幕が閉じてからのやり取りがとてもクールで素敵。というか、とても大らかに楽しめる。
三人連獅子は、まあ、眠かった。

歌舞伎はさておき。

その後、夕方からは、新橋演舞場で、有名なつかこうへい大先生の「幕末純情伝」。
幕末純情伝
有名なつかこうへい先生(といっても舞台を何かみたわけではない)の、有名な幕末純情伝(といっても、これまでの舞台や映画を見たわけではない)ということだったので、無知なぼくは迷わず発売日にチケットを買ってしまったわけですが。

幕が開いた直後から、驚くばかりですよ。
いや、幕が開く前、オープニング的な歌が流れたんですが、いきなり琉球弁まじりにティダとかエイサーがどうのこうのとか言っているので、「ん?土佐と琉球を間違えたわけでもあるまいに、なんでティダとか言ってるんだ?」とは思ったんですが、幕が開いてびっくり。高知と沖縄の取り違えどころの話ではなかった。
最初は、間違って全然違う芝居を見に来たのかと不安になり、しかし、どうやら間違ってはいないらしいことに気付くにつれ、目の前にある舞台が、しかし何億光年も遠くのものにしか思えない。

懐かしい顔文字を使うことが許されるなら、
( ゚д゚)ポカーン
というところ。

ひょっとしたら、というか、たぶん、ぼく自身の無知と無教養をさらすだけのような気もするんですが、これは、完全にポスター(画像参照)に騙された。
小劇場とか好きな人には、何を馬鹿なこと言ってるんだこの朴念仁は、というところかもしれませんが、それでも何か書いてみます。

そもそも、「新撰組の沖田総司が女だったという大胆な設定」というのが売りだとばかり勘違いしていたけれど、沖田が女だったどころの話ではない。
そもそも新撰組ではない。いや、そもそも幕末ではない。太平洋戦争が入り交じったり、戦後の焼け野原の中で変な思い入れをやたら長々と語らせたり(というか、もう精神的舞台は戦後の思い出語りで、維新とか明治とか関係ない)。

隊士が隊士ではなく、志士が志士ではない。キャラ設定自体、めちゃくちゃとかそういう生易しい言葉では表現できない。ドレスを着て玉をとりたがっているオカマとか、レストランを開きたがっている板前姿の男とか、裸にふんどしのデブ(しかもデブというだけで罵られるだけの存在)や、なんか首吊って消えるおじさんとか、土方に至っては、カラテカの人がハーフパンツのひ弱キャラで出てきて、しかもアパートの大家に奥さん寝取られたとか言い出す始末。

べつに、その想像力や固定観念の斜め上を行く状況を誉めているのではなくて、いかにもぼくのようなど素人が考えるところの、「サブカル好きとか言っている演劇高校生が文化祭で演じるお芝居に出てきそうなキャラってこんな感じかなー」というのがたくさん出てきている感じ。
まあ、サブカル好きとか言っている演劇高校生が好きなのが、こういう舞台なんでしょうけど。

あと、舞台上で殴り過ぎ。殴る効果音が鳴り過ぎ。2階上手側(位置的には桟敷)端の席で、スピーカーが一番近いような場所だったこともあり、殴る効果音が、もう、うるさいうるさい。ぼくのようなど素人が思う安い芝居のイメージって、たしかに、こう、よく無駄に殴っているものがあるのだけど、これはまた少し殴りすぎ。
世の中のエラい人たちには、ゲームやアニメの影響で暴力性が云々とか言う前に、サブカル芝居の殴り芸のひどさをどうにかしてほしいくらい。べつに、暴力的なものが悪いっていうんじゃない。ただ、殴っときゃいいんだろ的な、とりあえず殴ってみました的な、殴ってみたら芝居の流れもごまかせました的な、そういうのって、どうなんだろう。演出(有名なつかこうへい大先生による)って、そんなもんでいいんだろうか。
良い方に解釈すれば、小さな終止符を繰り返すことでテンポよい芝居になっているのか。というか、スピーディでテンポがよくてさすが有名なつか先生、とか言っている人たちは、このバッドトリップに酔っているのか。
しかし、そうやって小さな物語の断絶、関係性の断絶が繰り返されるたびに、言葉にできないモヤモヤは深まるばかり。

とりあえず殴ってみた。とりあえず殺してみた。とりあえず叫ばせてみた。
たしかに、筋のあわない小ネタの連続でも、殴る殺す叫ぶをやっておけば、まったくつながらない物語、まったくどうしようもない物語でも、力で押し通せることはよくわかった。でも、見てて何も響かないんだよ。

サブカル好きのスノッブでヒップでクールな都会人たちには、ひょっとしたら最高の舞台なのかもしれないけど、オタクカルチャー好きでスクエアで田舎育ちで自称自民党福田派のぼくには、これは、ないだろう、というところ。
下北の小劇場でやるサブカル芝居はこういう感じだろうとは思ったものの、スクエアな新橋演舞場で何の心の準備もなく見せられてしまい唖然、という感じ。

まあ、それはいい。
筋がめちゃくちゃに見えようと、細かい演出(?)の力技が気になろうと、時間と空間の意図的混乱に反吐が出そうになろうと、まあ、これは、うっかり見に行ったぼくが悪いのかもしれない。
まあね、それこそ歌舞伎だって、あるいは能もそうだけど、めちゃくちゃな時空の扱いが出ることだってあるし、見立てだって重要だし、たとえば昼間に見た歌舞伎の女暫ではパラレルなそれを認めて、新撰組ごっこにそれを認めないというのもおかしな話かもしれない。
あるいは「崖の上のポニョ」を見ても、不思議なところ、理屈じゃないところはたくさんある。むしろ、それが魅力だったりするわけで、この、有名なつかこうへい先生の演出も、まあ、そんな感じで大らかに受け止めておけばいいんでしょう、きっと。ぼくには無理ですが。

もう、それはいい。

だけど、変な筋なのはさておき、いまだに引っかかることがあるんですが。

坂本龍馬が憲法9条を作るとか言い出した中で(言い出すんですよこれが。で、周囲は9条なんか作るなとか言い出すんですよこれが)、前述の通り、戦後の焼け野原が主な舞台なんですが、そこで「お前が9条とか言い出すから日本は焼け野原になったんだ、それでもお前9条とか言うのか、ていうか9条とか作らせるわけにいかないからお前死ね」みたいなことを言い出すキャラがいるんですが、えーと、えーと、もうね、たとえ新撰組の自称隊士たちが100年くらいずれた脳内設定でも、やけにスマートな西郷が沖縄の集団自決で息子をどうこうしたとか、桂小五郎が戦後の米兵絡みでめちゃくちゃな自分語りをはじめたり、なぜか自称隊士に島崎藤村がいて「生きて虜囚の辱を受けず」と書いたのはボクだから死にます、とか言って死んだりするのは、まあ…もう、そういうもんだと目をつぶりますよ。理屈じゃないし、ここで近現代史を学ぶつもりもないし。まあ、戦後頭がおかしい人たちが突然自分たちは新撰組だと勘違いして大騒ぎをはじめたんだとでも思えばいいし。今もいますよね。自分はアトランティスの聖騎士団員の転生であり、かつての同士の生まれ変わりを探しておる、みたいな。そういうものでいいや、もう。
でも、なんで戦後憲法の9条のせいで日本は戦争に負けて焼け野原になっているのか。いや、べつに政治的信条がどうとか9条に賛成反対とかいうことではなくて。そもそもの前提としてどうなのか、みたいな。
時代設定が錯誤に基づいているから、全体的に錯覚してしまいがちだけど、ここの本末転倒というか、なんか変な感じ。焼け野原になった時、9条ってあったんだっけ。みたいな。みたいな、というか、そのままですが。

たとえば壊れたパソコンを前に、システムをいじったり、あるいは分解してみようとしている人をつかまえて、「お前が分解するから壊れたんだー」とか言ってもなー、みたいな。ん?ギャグ?一般的に言うシュールな(実際にシュールとは思わないけど)、天才バカボン的な、ギャグなのか?
ギャグだとしても、笑えないけど。


まあね、有名なつか先生のことなので、政治的立ち位置だとか、宗教的立ち位置だとか、民族的立ち位置だとか、ぼくのような凡人には理解できないものがあるのではないかとは思いますが。

とはいえ、まあ、その、芝居が終わってぞろぞろ帰る人並みの中で、すごく満足げにしている人たちは、やっぱり演出や主演や、まあ、そういう人たちと、政治的宗教的、あるいは民族的土壌を共有した上で共感したのかしらん。

あんまり言うと怖いので言いませんが。

まあ、なんちゅーか、昔寄生虫がびっしり詰まった鮎を、子持ち鮎として売っていたことがあったらしいんですが、この舞台は、なんとなくそんな感じでした。
あのポスターを見て、あんな内容だとはまったく思わない…。小劇場の演劇なんてそういうものなんでしょうか。無知ですみません。

幕末2
あ、最後に、ネタバレ的なものになるかもしれないんですが。

龍馬役の真琴つばさが、ただの男役ではなく「実は龍馬も女でした」ということになるのは、考えてみれば、宝塚的な、女優が当たり前のように男になったりひげを生やしたりしているアレに対するアレな感じで云々かもしれないけど、まあ、それくらいかな。べつに取り立てて言うほどのことでもなかった。

=====
追記

芝居が終わった後、カーテンコールで突然「最後にもう一回踊ります」と言い出して"Tank!"(カウボーイビバップのオープニング)を全員で踊ったのは、この、なんだか後味の悪いモヤモヤ芝居をすっきりさせて帰ってくださいという気遣いだったのでしょうか。
まあ、おかげで、芝居が終わった段階ではまったく拍手なんてしなかったぼくが、最後にはビバップと菅野よう子(だけ)に敬意を払い、片手で軽い拍手したほどで。

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