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土曜の昼の部に続き、日曜は歌舞伎座夜の部。
そういえば、土曜に見た時は斜め後ろの席にやたら知ったかぶり(ぼく程度の小僧でも知っているような)を隣の老女に語っている老男(しかも幕が開いてもなんかごそごそ言ってる)がいて、しかしその距離感は、どうもはじめての歌舞伎デートというところで、人生いろいろだなあ、と思った次第ですが。
あ、その老女の方が土曜に座っていたポジションに、日曜はぼくが座った。(自分用覚え書き)

以下感想とか。
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・壽曽我対面
長年追い続けた仇にやっと出会えて、「殺すぞゴルァ(#゚Д゚)ゴルァ!!」「まあまあ酒でもどうぞ( ・ω・)=つ旦」「俺たちの戦いはまだまだ続くぜ」でおなじみの曽我兄弟。
まさか顔文字を使ってしまうとは。

おめでたい話ということではあるものの、しかし甘っちょろい現代人であるぼくの観念から見れば、結局その後(仇は討つものの)兄弟二人とも死んじゃうんだから、それは少し切ない。まあ、そういう切なさもあるからこそ、散々めでたく描かないとやってられない部分もあるんですけど。

とはいえ、血気盛んな弟とそれをなだめるちょっと柔和な兄とか、これはやっぱり見てると切ないなあ。感情移入しちゃうなあ。しかも二人とも、人生を仇を追う事に費やして二十歳やそこらで死んじゃうわけですよ。
泣けるで。
と、キンタロス口調になったのは、めちゃくちゃ切ない物語でもコメディと合わせて描く事でなんとか我慢できた『仮面ライダー電王』のあの切なさを踏まえているわけですが。念のため。しかし本当に、三方をつぶして壊すシーンなんて、俺の強さにお前が泣いた、ですよ。

刀持ったやつが途中から(最初からクライマックスで)「俺、参上!」するし。その名も鬼王新左衛門。ほのかにデジャヴ感が漂う。鬼で王で刀持って俺参上って!

こうなると、「仇討ちするけどいいよね?答えは聞いてない」とか言いたくなる。

まあ、二人とも童貞のまま死んだわけではないはずなので(設定上)、それについてはそれでよかったんですけど。

・春興鏡獅子
神降臨。

いや、勘三郎がすごいのは知っていた、
知っていたし、想像通りすごかった。引き込まれた。
それについては言葉を尽くしても仕方が無い。生きているうちに一回は見ておかないと、なんだかすごくもったいない気がする。

しかし勘三郎は当然として、胡蝶がすごい!うまかわいい。うまい+かわいいでうまかわいい。(馬可愛いじゃない。馬可愛いは次の幕で出てくる)

念のため書いておくと、女の子として出てきた勘三郎が踊って一回引っ込んだ後で、胡蝶の精(子役)が二人で踊って、それから獅子の勘三郎がまた出てくるわけですが、まあ、他にも胡蝶の精(子役に限らず)が踊るようなものはいろいろあって、しかし、これまで、この、胡蝶の精の踊りなんて、獅子に着替えるまでの場つなぎのオマケのようなものだと、ぼくは迂闊にも考えていた!なんと愚かなこと!
しかし今回の胡蝶は、これこそ神降臨。本当にうまかわいい。
特にそのうち一人が並じゃない。動きが違う。存在感が違う。目が違う。足の指の先まで違う。8歳か9歳であんな、とんでもない、連邦のモビルスーツは化け物か、とつくづく思う。
全然チェックしていなかったので帰って調べたら、なるほど、仁左衛門の孫!
遺伝子…だけじゃなく、そりゃ相当な努力をしているんでしょうけど、それにしてもすごくて。ため息しか出ないわ。
胡蝶に対する満場の拍手は、この日一番だったんじゃないかしら。
この、文章になっていないポエムのような感嘆で、なんとかこの感動を伝える事はできただろうか。

・鰯賣戀曳網
染五郎がクドカンに見えて仕方が無い。

三島由紀夫原作の、魚屋が大名に化けてキレイなお姉さんに会いに行ったけど正体がばれちゃったものの実はかくかくしかじかで……えー!そんな都合の良い話が!……めでたしめでたし…!みたいな。
小笑い盛りだくさんでとても笑える内容。
意外とあっさりしていて短かったのはちょっと物足りなかったけど…。

勘三郎はもちろん、彌十郎、亀蔵といった、これで面白くないはずがないおなじみのメンバーに、さらに玉三郎・染五郎って、盆と正月が一緒に来たような豪華キャスト。こいつぁ春から…、といいたくもなるけど、こいつぁ春から…の演目は来月。ていうかそれも玉三郎・染五郎、さらに松緑。

というところで今月の歌舞伎ももうおしまい。

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チケット結局一枚余ったので、荷物置きにしました。

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幕間に、冒頭に書いた老女(茨城~東北南部の訛り)と老男(関西弁混じり、ただし真性関西かどうかは不明)の不思議カップルの会話(声でかいから聞こえてくる)で、「歌舞伎なんて(高級だと思っていたから)自分が来るなんて思ってもみなかった」「何言うてはるんですか、歌舞伎なんて元は庶民のものでっせ。大名なんて見てへんかったの、庶民が育てたんやで」といった、ありがちすぎる、これまで地球上で何百万回と繰り返されてきた「歌舞伎は庶民のもの談義」をはじめていたんですけど。

しかし、この歌舞伎は庶民のもの談義、それはもちろんその通りで、そのおかげでぼくのような下賤の民も見る事ができているわけですけど、ただ、それを都合の良いようにばかり解釈してしまうのは、いかがなものなのか。

たとえば半ズボンにパーカーで一階席に座ってグーグー寝ているおじさん(こないだ見た)なんかを見ていると、まあ、人の振り見て…という感じで。ユニクロのジーパンで桟敷にまで座っていた自らを恥じるばかりなんですけど。
そういう、自分のことなんですけど、庶民であることに関して逆に胸をはってしまうような態度は、そりゃ、誰が罰するでもないし、本人がよければそれでいいじゃん、というイマドキありがちな観念に吸収されてしまったりもするのだけど、しかし、それって、明治以降しばらくの間、歌舞伎が歌舞伎として生き残るために行った努力、それこそ、今誰もが惜しんでいる歌舞伎座というものの存在価値すら無にしてしまうほどのものかもしれない危険性を孕んでいる。
というほどのものでもないかもしれないけど。

もちろん、歌舞伎は庶民の云々…ということを否定するどころか、それはむしろ当然すぎて逆に敢えて言葉に出す事が恥ずかしいから言わないだけなのだけど、そこに胡坐をかいてしまうことは危険だし(ぼくのことです)、得意げに語らうのも、難しい問題。

繰り返しになるけど、高級なイメージにしてしまう必要はなくて。どんどん敷居を下げればいい(値段も…)。
ただ、わざわざそういう、もともと庶民の云々…ということを歌舞伎座の中で大音声でのたまうというのは、聞いていていろいろ恥ずかしかった。

いや、内容じゃなくて、自明の理とでもいうべきことを、わざわざ、うちの父親よりも年が多い男性が得意げに語っているのが、気恥ずかしかっただけかもしれない。
かもしれないというか、十中八九そうだ。

(だけど、老女と同じことを誰かに言われたら、ぼくも老男と同じようなことを言ってしまうような気がする)



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