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今月は初日(11/1)から歌舞伎座。
仮名手本忠臣蔵を朝から晩までほぼ通しで。
お金持ちではないので、ずっと3階。

演目はめんどくさいので公式からコピペ

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大 序 鶴ヶ岡社頭兜改めの場
三段目 足利館門前進物の場
    同 松の間刃傷の場
四段目 扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
    同 表門城明渡しの場
浄瑠璃 道行旅路の花聟


五段目  山崎街道鉄砲渡しの場
     同 二つ玉の場
六段目  与市兵衛内勘平腹切の場
七段目  祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
     同 奥庭泉水の場
     同 炭部屋本懐の場
     両国橋引揚の場
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おなじみの、人形がカーンザブロウカーンザブロウと口上を述べるオープニングにはじまり、討ち入り(とその翌朝)まで。二・八・九段目の力弥・小浪や加古川本蔵の件と十段目を除く一連の話が通しで、腰が痛いのに何をやってんだかと思いつつも、座っているだけでとても充実した一日を過ごしたように錯覚してしまう。

昼・夜別で観てもいいけど(疲れるし)、せっかくだから通しで見たいと思った人が多いのか、昼の部で隣の席にいたおばさん女性が、夜も隣だった。

仮名手本忠臣蔵に関しては、去年の平成中村座(十月)でほぼ全部見たけど、あれはそれなりに分散していたし、こうして朝から夜まで通しで観ると、これはこれで終わった後の充足感というかなんというか…まあ、そんなことは大昔の人の方がよく知っているから、べつにここでどうこう言うことじゃなかった…。

内容については、そんな、忠臣蔵を語れるような身分ではないので何も言えませんが。

それでも身の程知らずは承知でざっと書いておくと、勘三郎(判官)や、仁左衛門(夜の部の由良之助)がかっこいいのは当然として(というかそこしか見てない)、素人目でアレですけど、六段目の菊五郎(勘平)が良かったなー。

その六段目、おやじさんを殺したと思ったら実は…という時に、一回死体を確認しておけばすぐに疑いも晴れたであろうものを、本人が完全にやっちゃったと思い込んでいるから鉄砲傷かどうかの確認もしない。
でも、そういう、思い込みで肝心な部分が抜けちゃうことってよくあるよなーというアワアワしたあの感じ。今日は見ていて一緒にアワアワしてしまった(よく実生活で同様にアワアワしてます)。

あと、最後の両国橋を渡ってくるのは、本当にみんなで(四十六人)橋を渡ってくるとは思わず、壮観な眺めに思わずためいき。
炭小屋の前で吉良じゃなかった師直が死んで静かになっている舞台の裏からやけにドタバタワーワーと騒がしい音が聞こえていたり、その後の転換にやけに時間がかかった気がしたのも、このためならば、なるほど、と全然気にならない。初日だし。

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今月の、隣の客がちょっとアレな客だ(1)

恒例の、自分のことは棚に上げてさらに扉を閉めて鍵をかけてガムテープで密封した上で、余計なことを書く日記。

いつだったか、わりと最近も隣の席のおばさん(おばあさん?)がやけに肘掛けから身を乗り出してこっち側にくっついてきたことがあったけど、今回もそんな感じ。
おばさんとおばあさんの間くらいの女性(おばおばあさんでいいですか?)が、やけに近づいてくる。

3階で狭い座席だから多少接するのは仕方ないとしても、そういう、「仕方ない」で片付けられるような良識ある部分をはるかに逸脱した、付き合いはじめて1ヵ月くらいの男女ならともかく、まともな大人ならこの距離感はないよね、くらいまで近づいてきた。
こちらは肩を内側に入れて(肩凝るのに!)窮屈な体勢にしているのに、さらに近づいてくるし…。

もちろん、前の客(さほど背の高くない女性だったけど)の頭が云々という理由はあるかもしれないけど、3階席大好きなぼくでも、「こんなのはじめて…」と言っちゃうほどの密着感というか圧迫感。ほんとに。

電車の中で、あたかも仕方なくくっつくようにして隣の女性客にやたら接している大開脚座りのデブ中高年男がいますが(銀座線にはいる)、そういうおじさんたちの被害にあうような、明確に痴漢とは言えないけど、精神的に被害者と言えるのではないか…という辛い状況。
ってこういうの前にも書いた気がする。

それだけならまだしも、その、隣の女性ったらずーっとガム噛んでる。クチャクチャじゃない。グッヂャグッヂャと。
これまでも観劇中や美術館でのおばさん・おばあさんたちのガム噛み過ぎ状況には苦言を呈して来た私ですが(みくし日記で愚痴るだけですけど)、今回はほぼ耳元でグッヂャグッヂャ…しかもガム臭、ミント臭、キシリッ臭(書いて気付いたけど、前にもこれ書いた気がする)がプンプン漂ってくる。さらに途中で新ガム補給が行われるという。

寝ないように…と考えているんでしょうけど、そんなグジャグジャとガムを噛み散らかすようなら帰ればいいのに、と言いたい(言えるわけないけど)。

まあ、でも、耳元でガムクチャ(しかも勘平が腹を切るような場面で!)は悪い意味で鳥肌が立ちますよ。本当に。

===
今月の、隣の客がちょっとアレな客だ(2)
ガム以外をざっとまとめて。

・背が高い人はちょっと縮んでください。
会う人会う人に、よく
「あれ、思ったより背が低いんですね」
「(ネットでは)態度でかい割に、実際にはすごく小さいんですね」
「その低い身長は、人生というプレッシャーに押しつぶされた結果ですか(笑)」
「他人に(物理的に)見下されすぎて卑屈になったんですね」
と言われるくらいに背が低いぼくが言うと、ただのルサンチマンの一種にしか聞こえませんが、というか実際そうなんですが、前にでかい人がいると本当に見えないんだ(そりゃぼくが低いからだなー)。さらに前のめりになったりふらふらしたりすると…。

・後ろの客が「これ浅野内匠頭とは違うんだよねー」とか言ってた。
違わないから!

・携帯鳴り過ぎ
しかも静かになるタイミングで。しかもかわいい音で。

・ちょっとうらやましい話
すぐ目の前の席に、芋洗坂係長(そういえばそんな人がいたと思い出した)のようなおじさん(歌舞伎をときどき観るらしい?)が、やたら若くて黒髪でおしゃれで清楚でかわいくて若い女子(歌舞伎あんまり観ない?)と一緒に来ていて、はじまる前に係長が教科書でも読んだような知識のひけらかしをしていたんだけど、やけに女子が素直に聞いている。
幕間でも、大粒の汗を流しながらWikipediaでも読んでいるようなしったかぶりを、身を乗り出して行っている(たぶんすごくいい人。めちゃくちゃ太ってるけど)。
とにかくガール度の低い生活を送っているどん底の私からすると、そういう女子と接点があるだけでもうらやましいんですが、さらに歌舞伎の知ったかぶりを素直に聞いて反応してくれるなんて!

ついうっかり口を開くたびに異性から「うわ…うざっ」という反応を示されるばかりの身の上(あと、いやみっぽく「詳しいんだねー…(=うんちくはいいから黙ってろ)」とか言われる)を鑑みるまでもなく…ああ、なんだかぼくなんて死んだ方がいいような気がしてきたぞ。少なくとも生きていてもあんまりいいことがないことに気付いてきたぞ。
まあ、でも、最近は婚活詐欺なんてものもあるので、甘い話には気をつけたい今日この頃。
(といっても最近の有名な婚活詐欺の場合は、逆に全然アレじゃないむしろ悪い意味でアレな女がアレしたわけですが。これについてはたくさん書きたいこともあるけど、うわウザって感じになると思うので書かないことに)

・件の前の席の男女の件
幕間に聞こえてくる会話を聞くともなしに聞いていると(係長が声大きいので)、いわゆる男女の仲って感じじゃなく、会社の何かとかそういう関係性とも違って、たとえば社会人サークル(想像だけど)とかネットとか、そんな微妙な距離感?

それはさておき、やけに知ったかぶりする係長が、隣の女子に
「よく七段目なんて知ってたね」
と言った瞬間、会話の流れがすべて読めた。

落語で聞いた(しかも落語ファンじゃなくたまたま聞いた程度)→知ってるのか知らないんだか曖昧な感じ→これこれこういうハナシで→でも本物しらないと分からないよね→そうなんですよぉ
に至る一連の流れがすべて見えた。
まあ、大抵の人は同じように流れが見えると思うけど。

歌舞伎を知らない人が七段目を知っているとなると、まず間違いなく落語ルートというのは基本として(うちの弟もそのタイプ)、係長の「でも本物しらないと…」は、人としてベタすぎる。言うことが当たり前すぎる。
「次にお前は、でも本物を知らないと…と言う!」
と言いたくなるくらいの定石。

でも、ぼくも含めて大抵の凡俗は、そういう当たり前なことしか言えない。
だから、たまに、こういう傍から聞いていれば台本を読んでいるようにしか思えない定番、定石、そんな流れが自然にできてしまう。

時々、もう、人間、会話とかしなくていいんじゃないか、と思ったりもする(そりゃ違うけど)。
もちろん、ダダイズムの詩のようなわけのわからない会話の流れでも困るんだけど。


というか、まったく歌舞伎とも前の席の二人とも関係なくなるんだけど、今使われている言葉が、ごくごく単調なものになり続けている気がしてならない。

単語レベルでもそうだし、文脈(といえるのかどうか…)レベルでも、なんだか月9の脚本をコピペしてきたような薄くて浅い会話…というか、反応しか返せなくなっているんじゃないか。

(余程の天才またはアレな人は別として)大抵の人は、たぶんどこかで取り込んだものしか吐き出せないから、その取り込むものがワンパターンで、下手するとヘキサゴンとすべらない話と月9くらいしかないような人間ばかりになってしまう、その文化的下り坂の途中に今のぼくらはいて、今まさにどんどん先細りしている。
当然自分自身も、便利(で安易で単調)な言葉に逃げすぎていることは自覚しているので、そのどうしようもないもどかしさは他人事じゃないんですが。

さらに会話の場合、それは相手ありきで、しかも相手がそれを理解できるという前提がなければ単語を発することすら難しいので、その制約も大きく、特に相手の知識がいかほどか、という共有がなければ、よりベタな方、ありきたりな方にらせんを描いて下降して行くという要素もあるわけで。

話を戻すと、それぞれの背景もわからないのに傍から聞いていて会話の流れがほぼ間違いなく読めるという状況は今回に限らずよくあることで(前にも書いた気がするな、これ)、それはべつに超能力でも何でもなく(たぶん)、言語に規定された思考とかコミュニケーションが限りなく狭まっているだけにしか思えず、しかも自分がその劣化の真っ最中ということにまで気付いてしまったら、それは苦しい。

言葉と文脈がともにやせ細っていったら、それでは思考の幅も、広がるわけがない。

たとえば「やべー」「まじで」「すっごい○○」だけで人は生きていけるかもしれないし、実際そういう傾向にある人もいるけど、果たしてそういう人間の思考の幅はいったいどれくらいのものなのか。

言葉は変化するもの、なんてのんきに言っているやつらは、今起きているのは変化じゃなくて劣化(それも国民レベルで)であって、それらはまったく別ものだということに気付いた方がいいんじゃないか。

なんだか寝ぼけて変なことを書きはじめてしまった…。
中途半端だけど、誰もこんなの読まないのでここでおしまい。
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