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最近知り合いが、スピリチュアルカウンセリングとかいうものに行ったらしいんですよ。そこでは、なんだか前世が見える人が、魂の云々についてアドバイスしてくれるらしいんですよ。

それなんて宗教?って感じなんですが、とりあえず特定の宗教じゃないにしても、前世とか転生を基盤とした観念が主体となって、あるいは、なんだかわからんけどスピリチュアルなんちゃら系の人がよくテレビに出る最近の風潮って、ひょっとしたらちょっと見逃せない何かなのかもしれません。

本来は、そういうのに行ったという話を聞いた時にぼそぼそ、っとこういう話をしたかったんですが、だんだん、あんまり変な事を言うと(特にこういう癒し系的なことは)弊害が大きいことに最近気付いたので、ここでこっそり考えてみようと思います。というか、思いつくままにだらだら書くので、どうなるかわかりませんが。
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べつにぼくは世界の宗教について詳しいわけではなく、むしろ全然知らないのだけど、日本古来の考え方では生まれ変わりなんてあんまり聞いたことがないし、キリスト教とかイスラム教の世界でも、前世がどうとか転生して云々という話は聞いたことがないと思います。たぶん。仏教では、それに似たようなアレを提示していることもあるけれど、本来は生まれ変わるとかそういう救済の形を持つものではないはずだし。
そもそもは、バラモンとかヒンドゥー的な、現在の生の結果が生まれ変わって次のカーストで云々、みたいな世界観のような気がします。
あるいは、あのへんの、南アジアあたりの民族が持っていたような観念だったりするのかな。昔NHKで、あっちの国のどこかの村の長老みたいのがそういう転生の流れを語るような番組を見た気がします。あ、そういや、チベットの偉いお坊さんは、よく転生してましたね。

まあ、今回は何教がどうとかそういう話ではないので、そういうことはどうでもいいんですが。

下手の考え休むに似たりとはいえ、ちょっと考えてみると、何度も何度も転生を繰り返していく世界観、ぐるぐる同じところを回り続けるような死生観というのは、実はあまり近代的なものの考え方ではないですよね。
べつに非科学的だとかそういうことではなくて、近代以前の社会では、歴史というのは進歩を伴うものではなく、ひたすら同じようなことを繰り返しつづけるものだったような気がします。その頃生きてなかったから知らないけど。昔の人の死生観はさておき、考え方としては、魂がループする転生のような考え方も、その歴史観を持つ社会においてはアリかもしれません。

それに対し、科学の進歩が時代の進歩を伴い、進歩しつづける歴史観を持ちうるようになった、はるか遠い未来までも夢想できるようになったのは近代以降だった、ような気がしますが、ぼく自身ろくに見通しの立たない、明日の事すらわからない人生なので、これもよくわかりません。
ただ、そこにおいては、魂がループする事に特に意味はないように思うし、前世さんが現代に転生したところで、いったい何をするのか、ちょっと首を傾げてしまうこともあるかもしれません。まあ、もし来世で未来を見せてあげるよ~なんて言われたら、ぼくは見たいですけどね。

で、えーと、近現代的な、進歩を伴う直線的な歴史の概念が、実は停滞をはじめて、既に前世・転生の観念を伴う円環状のものに変化しつつある、低成長時代(?)の在り方がどうのこうの、ということを書こうと思っていたんですが、なんだかそれだけで終わらせるのもアレなので、そういう話はさておき、もうちょっと別の事を考えてみます。


で、そもそも生まれ変わりとか転生について振返ってみると、ぼくら(ぼくらって誰だ?)が子供の頃から、あるいはもっともっと前から、そういうものって不思議と言及されていた気がします。なんとなく前世ということばを使ったり、生まれ変わったら云々と言ってみたり、そういう感覚を持っている人は少なくない気がします。
フィクションの世界でもそういうのって少なからず存在していますよね。たとえばセーラームーンとかね。セーラームーン的な意味での転生であれば、中国の古典なんかでもよくあると思うんですが、なんかもっと広範に、決して具体的な思想だとか宗教だとかじゃないんだけど、転生思想的なものはあるような気がします。
そこで転生してくるオリジナル(前世)は、月の女王様だったり、聖闘士星矢のアテナみたいな神様だったり、まあ、何か特別な存在であり、あるいは、転生してきた新しい方も、それなりに変な能力があったり、強かったり、特別な存在ですよね。400年前の肥後のなんちゃら村の農民の次男が転生して現代の東京で平々凡々に暮らしていました、なんてのじゃお話にならない。誰もそんな物語に興味はない。

と、なんとなく思いつきを書いてみたけど、ぼくら(で、ぼくらって誰だ)の世界に蔓延する転生病は、そういう物語的な何かとも関わりがあるのかもしれませんね。

一個人としての自分の二十年三十年程度の人生、特に語るべき物語はないし、これからもドラマティックな何かなんてたぶん起こらない。
そんな時に、幾たびも繰り返されてきた(ことになっている)前世から来世へ連なる物語が提示されれば、どうでしょうか。それにより少なからず救済される人というのはいる気がします。たとえ400年前の肥後のなんちゃら村の農民の次男だったとしても。今は、それですら特別な物語として提示する力を、スピリチュアルなんちゃらは持ち得ている気がします。
あるいは自らに連なる幾多の霊的な存在が提示する壮大な世界も同様、と言えるかもしれません。
スピリチュアルなんちゃらの人たちが他にどんなことを言っているのか知らないけど。まあ、大体そんな感じかしら。

物語の不在と、それによる不安。それを安易に(というと語弊がありすぎるかもしれませんが)埋めてくれる、前世の物語や霊的な存在を含めた世界観。
べつに物語なんてなくてもいいじゃないか、そう思う節もあるかもしれないけれど、逆に物語を必要と思わせる時代の仕組みというのがどこかにあって、その必要性とそれが欠落する事の不安を、振りまいているのかもしれません。

ちゅーかさ、普通に考えたらおかしいじゃないの。突然黒猫が喋って、あなたは戦士なの、とか、月のプリンセスなの、とか言われたら、どうしますか。なんでそんな話を受け入れるんですか、ぼくらは。フィクションと認識しつつも、前世や転生という思想を決してカルトとして否定しない基盤は、既にできているわけです。

なんとなく、そういう基盤ができたのって、大霊界ブームとかそのへんからなのかなー、という気もしているんですが、よくわかりません。ちゅーか、内容知りません。それ以前の死生観も知りません。
知らない知らないでここまでダラダラ書くのもちょっとひどいなーという気はしますが。
なんだか疲れたので今日はこのへんにしておきます。
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