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大昔に書いたウルトラ関連の長文です。
各節ごとのタイトルもついていませんが、

0 前フリ。
1 ウルトラ以前。
2 第一期ウルトラシリーズ。
3 第二期ウルトラシリーズと、一期二期の対比。
4 90年代三部作。

といった構成(というほどのものでもない)でしょうか。
まだ『ウルトラマンコスモス』が放映される以前、『ウルトラマンガイア』直後くらいに書いたものなので、コスモスは組み込まれていません。

ついでに言っておくと、(少なくとも現在は)べつに第二期ウルトラシリーズ批判とかそういうスタンスではありませんので御注意。敢えて言うとすれば平成ウルトラ(というより90年代ウルトラと今は言ってますが)全肯定。
0.

 1966年、第一次怪獣ブームと呼ばれる状況の中で、一人の超人が誕生した。その名もウルトラマンと呼ばれるこの超人は、それまでに作られていた怪獣たちとは大きく異なる性質を持っていた。以来、30年以上にわたり様々な展開を続けてきたウルトラマンの救済のあり方と、その物語構造について、考えてみたい。




1.

 怪獣、という言葉を聞くとき、我々日本人が想起するもの、それは読んで字のごとく怪しい獣、というだけではない、むしろ巨大な獣ではないだろうか。そういったイメージを定着させたのが、1954年に公開された映画『ゴジラ』とそれに続く怪獣映画であった。その時怪獣があらわし得たイメージ、それはたとえばゴジラが水爆怪獣として存在し、映画自体が戦争そのものをあらわしている、と指摘されているように、ただの巨大生物というだけでは説明のつかない物語性と脅威を持ったものであった。

 そして1966年1月、国産初の特撮テレビ番組『ウルトラQ』の放送が開始される。企画段階において、この番組は必ずしも怪獣をメインに扱うものではなかったが、第一次怪獣ブームという時代とテレビ局の要請を反映し、大部分が怪獣モノとして製作された。

 人間を取り囲む自然界のバランスが、何かの原因で突然狂い出し様々な怪事件が発生する。それに主人公3人が時に科学者を交えて立ち向かうこの番組であったが、視聴者の人気を得たのは、彼ら人間ではなく、登場する怪獣や宇宙人であった。そして、その中でもたとえば第一話『ゴメスを倒せ!』のような怪獣対決路線をシリーズ化する、という目的で『WOO』や『ベムラー』といった作品が後番組として企画される中、再びテレビ局の意向により、怪獣対怪獣という怪獣主体の作品ではなく、レギュラー怪獣として想定されていた一方の怪獣をヒーローとして登場させるヒーロー主体の作品として製作されることになる。その結果『レッドマン』といった企画を経て誕生したのが『ウルトラマン』であった。




2.

 1966年7月、『ウルトラQ』に引き続き放送が開始された『ウルトラマン』がそれまでの怪獣モノと一線を画していたのは、何より怪獣と戦い得るヒーローの存在であった。それまでの怪獣モノの基本的な構造が怪獣対人間あるいは怪獣対怪獣であった中で、突如現れたこのヒーローの意義は大きく、これ以降多くの続編が製作されただけでなく、70年代の第二次怪獣ブームの際に作られた怪獣モノの作品のほとんどがこのヒーロー対怪獣という構造をとりいれていた。

 さて、この『ウルトラマン』と、1967年から放送された『ウルトラセブン』を総称して 第一期ウルトラマンシリーズと呼んでいるが、まずこの第一期シリーズに注目してみたい。

 ウルトラシリーズにおいて、物語の基本的な構図は非常に単純なものである。まず怪獣の登場に始まり、それに人間が対抗しきれなくなるとウルトラマンが出現しその怪獣を倒す、ということで物語が終わる。その中で、怪獣(或いは宇宙人)は物語構造上の悪要素として設定され、倒されるべき存在となる。この構造は人類の前に現れた破局としての怪獣と、その破局からの救済を行うメシア的存在としてのウルトラマンと読むことができるのではないだろうか。そして、この第一期シリーズに登場する怪獣・宇宙人のもたらした破局の概念は(特にウルトラセブンにおいて)、人類の進歩がこのまま進むことがもたらし得る破局であることが少なくない。その時、怪獣・宇宙人はそういった破局の観念をアレゴリー的に表現した存在として出現する。たとえば『ウルトラマン』第23話「故郷は地球」に登場するジャミラは、かつて大国間で宇宙開発競争が行われていた時代に宇宙で遭難した宇宙飛行士が、不時着した水のない惑星で怪獣化して、救助にこなかった地球に復讐に来る。また、『ウルトラセブン』第43話「第四惑星の悪夢」には、元々人間の星だったが、機械やロボットに頼りすぎた結果ロボットに支配された惑星が登場し、新たに地球人類を支配するため、侵略の準備を進めている。

 こうしたアレゴリー的な物語作りは、アポロ月着陸や万博開催といったイベントを目前にし、人類の進歩ここにきわまれり、といった社会の中でそれを見る者の前に、人類の進歩がこのまま進むことによってもたらされる破局が、そのつど目前に迫っているというよりむしろ現に与えられているものとしてあらわれる。

 しかしこうしたアレゴリー的怪獣の出現によりあらわになった問題、人間側の葛藤は、ラスト約3分、ウルトラマンの出現により唐突に消し去られる。こうして、物語の中では毎回、半ば強引に、一応の救済が行われるわけではあるが、実際これは物語的なものとは言い難い。ベンヤミンは「セントラルパーク」において「破局の概念によって 表わされるような歴史過程は、実はそれほど理解困難なものではない。それは子供の手に握られた万華鏡に比することができる。万華鏡を回転させるごとに、秩序だっていたものが全部崩れて新しい秩序が作られる。このイメージにはそれなりの根本的な正当性がある。支配者たちがもっていたいろいろな概念はいつでも<秩序>のイメージを映し出してみせる鏡であった。」と述べているが、まさにウルトラシリーズの物語構造は万華鏡と同質のものである。つまり、万華鏡を回転させるように怪獣による破局とウルトラマンの救済による秩序があらわれる。それがまさに永劫回帰の呪縛となって毎回続いていくのである。そしてベンヤミンが「??万華鏡は打ち壊されねばならない」と考えたのと同じく、この物語構造の呪縛と格闘し葛藤を続ける試みが最終回まで続き、その一つの帰結が、ウルトラマンの死や限界まで消耗して帰ってしまったウルトラセブンの姿にあらわれていたのではないだろうか。




3.

 1968年、『ウルトラセブン』の終了を以ってひとまず第一期ウルトラマンシリーズ、そして第一次怪獣ブームと呼ばれる時代は終焉を迎える。しかしその後ウルトラシリーズの再放送や『ウルトラファイト』の放送により再燃した怪獣人気が第二次怪獣ブームと呼ばれる時代をつくりだし、1971年の『帰ってきたウルトラマン』から第二期ウルトラマンシリーズが開始、72年『ウルトラマンA(エース)』、73年『ウルトラマンT(タロウ)』、74年『ウルトラマンレオ』と続くことになる。

 しかし、この第二期ウルトラシリーズでは怪獣の扱いが第一期のものとは大きく異なっていた。怪獣主体を目指す製作側とヒーロー主体を目指すテレビ局側のバランスにより『ウルトラマン』のような怪獣(宇宙人)対ヒーローの物語がつくられていたのが第一期シリーズであったが、この第二期シリーズでは完全にヒーローを描くことに重点が置かれるようになる。また、ウルトラセブンの後に製作された『怪奇大作戦』において怪獣を登場させることなく人間の心の闇や社会の中に存在する矛盾を扱った物語を経たこともあり、第二期シリーズにおいて物語の重点は怪獣よりも人間ドラマの方に移っていた。そういった状況下で製作された第二期シリーズの中で、怪獣がかつての様な様々な意味を秘めた存在から、「単なる記号的な『敵』」に変質したのは当然であった。その際だった例が『ウルトラマンA』に全編通して登場した超獣であろう。異次元人ヤプールの手先たる超獣は、怪獣よりも強いという意味で超獣と呼ばれているが、結局その強さが描かれるのみで、それ以外の物語が語られることはない、まさに記号としての敵そのものであった。そのようなヒーロー重視・人間ドラマ重視で怪獣をないがしろにする傾向は、第二期シリーズがシリーズとして続いていく中で、一つの帰結とでも言うべき世界を創り出す。それが、ウルトラ兄弟に代表されるような「ウルトラの国」というある意味シンボル的な神の国の完成であった。

 第一作『ウルトラマン』の場合、出身地M78星雲・光の国という設定がなされ、続く『ウルトラセブン』においても同じ出身地で、ただシルバー族・レッド族とそれぞれ異なる民族である、そんな設定が雑誌上などに存在してはいたが、そんな彼らの世界が描かれることはなかった。しかし第二期シリーズの中では、『帰ってきたウルトラマン』第18話にウルトラセブンが登場して以来、テレビの中でそれまでのウルトラシリーズがつながりを見せ、前述したように怪獣が物語性を決定的に失った『ウルトラマンA』においては怪獣ではなくウルトラマンの側に、「ウルトラ兄弟」や「ウルトラの父」といった物語性がつくられていく。そういった世界観はテレビの中だけではなく小学館の学年誌のウルトラマン関連記事も巻き込んでさらなる広がりを見せ、ついに『ウルトラマンT』において「ウルトラの国」そのものが登場し、ウルトラの父・ウルトラの母そしてウルトラマンタロウというファミリー志向のなかでシンボル的な世界観が完成する。

 そういった物語作りにおいて、既に記号存在の敵と化した怪獣は、最早かつてのようにアレゴリー的物語性の担い手として登場する価値すらほとんど失ってしまい、むしろシンボル的ウルトラ世界の引き立て役として現れることになる。

 また、ウルトラマンが人間にその力を与える経緯にも変化がある。『ウルトラマン』ではうっかり地球人を殺してしまったウルトラマンがその地球人に自らの命を与えて地球に留まる、という経緯により主人公が力を得たがA第二期シリーズでは、亡命者として地球に紛れ込んだウルトラマンレオを除き、地球を守るという使命を持って飛来した超人が、怪獣から少年や小犬を身を呈して救い、あるいは正面から立ち向かう、そういった地球人の自己犠牲的な行動に対し、力を与えるというものに変化していた。 しかしそのような物語においては、既に人間の善性が全面的に肯定されてしまうことになり、人間側の問題は根本的に存在し得なくなる。また、主人公が怪獣の第一被害者であるということは、敵という存在としての怪獣という意味を強調することになる。そこには最早共感の対象となる怪獣の存在はない。

 こういった様々な物語の変容、或いは消失は、週ごとに出現する怪獣による破壊とウルトラマンによる救済を、永劫回帰的に繰り返す行為を第一期シリーズ同様万華鏡のごとく示していたが、かつてそれがウルトラマンの死という帰結を以って示し得た万華鏡を破壊しようとする試みは、この第二期シリーズには見られない。

 以上述べてきた第一期シリーズと第二期シリーズの物語について、同様のモチーフを扱った作品を例に、具体的に見てみたい。

 『ウルトラセブン』第26話「超兵器R1号」。惑星攻撃用の超破壊兵器R1号を地球防衛軍が完成させた。強力な対侵略者兵器にウルトラ警備隊員は喜ぶが、主人公モロボシ・ダン(=ウルトラセブン)は地球を守るためなら何をやってもいいのかと疑問をなげかけ、兵器開発競争を皮肉って「それは血を吐きながら続ける哀しいマラソンですよ」とまで言う。その後、R1号の実験がギエロン星で行われ、ギエロン星は消滅するが、生命がいないといわれていたこの星の生物が突然変異して地球に襲来する。このギエロン星獣は地球で進行しつつある兵器開発競争そのもののもたらしうる破局の観念をアレゴリー的に示しつつ、地球上を破壊し、それに対し地球防衛軍がR1号の数倍の威力を持つR2号を使おうとまですることにより、アレゴリー的物語作りが徹底される。しかし、実験を中止させられなかったことを悔やみつつもウルトラセブンに変身したモロボシ・ダンは、それまでの苦悩などなかったかのように怪獣を倒し、唐突に物語を消し去る。その後参謀が超兵器Rシリーズの開発中止を考えるところでその回は終わるが、結局それ以前の人間の葛藤は消し去られたまま意味を為し得ていない。

 このセブン第26話と同様、兵器による破局の脅威が語られた怪獣が第二期シリーズの『ウルトラマンT』第24話「これがウルトラの国だ!」・第25話「燃えろ!ウルトラ6兄弟」に登場する。この話に登場する怪獣ムルロアは、某国のトロン爆弾(人類終末兵器)の実験が行われたムルロア星から地球に襲来する、という第二期には珍しくアレゴリー的物語性を背負った怪獣であり、地球全土を黒煙で覆い闇にするその力はまさに破局の観念にふさわしい。しかし、サブタイトルを見てもわかるようにこの物語の主体はムルロアにはない。一度はウルトラマンタロウを倒したその脅威も、すべてはウルトラの国を描くための小道具に過ぎなかった。第25話でテレビに初登場するウルトラの国に戻ったウルトラマンタロウは、そこで他のウルトラ兄弟との6重合体を経てウルトラの国のシンボル、宇宙の平和を守るウルトラの国の中心にあり宇宙のあらゆる平和を作り出す「ウルトラベル」を手に入れると、地球に向かいウルトラベルでムルロアの黒煙を消し去る。この時人間の行動は、怪獣に直接新兵器AZ1974をはりつけ爆発させる、という隊員の勇気ある行動に重点が移行し、結局トロン爆弾を使用したことやその脅威について語られることはなく、物語の最後に至ってはウルトラ兄弟のあだなを持つ6兄弟が怪獣により両親を失っても元気に暮らしている姿が示され、アレゴリー的物語性を背負って出てきたムルロアはシンボル的世界観と人間ドラマに物語の重点を奪われた形になった。

 以上、両者に共通して言えるのは、人類の進歩(この場合は兵器開発という負の面の進歩だが)がもたらした破局が、外部からの救済により本来継続されるべき人間の問題とともに物語構造から排除されているということである。

 しかし、そういったに構造に疑問を与える試みが、後のシリーズにおいて行われる。  




4.

 1975年、ウルトラマンレオの終了を以って第二期ウルトラシリーズも終了、その後1980年に『ウルトラマン80』、或いはオーストラリアやハリウッドでの新作ウルトラマンの製作などが行われたが、シリーズとして定着する力も、評価も得られないまま終了した。

 そして1996年『ウルトラマンティガ』が放送開始。以降平成三部作と呼ばれるシリーズ(97年『ウルトラマンダイナ』、98年『ウルトラマンガイア』)が続くことになる。

 それまで展開されてきたシリーズとのつながりを断ち、つまり既に築き上げられたシンボル世界、ウルトラの国の存在をリセットして始められたこのシリーズは、それまでのウルトラマンを見て育った世代を中心に作られ、ゆえにそれは怪獣に共感するイメージを内包せずにはいられないものであった。それがたとえばシリーズを通して描かれた人間の意志を持ったウルトラマンという主人公や、『ウルトラマンガイア』においてヒーローや対怪獣組織を外から見るために、シリーズの原史たる『ウルトラQ』にたちかえったかのごとく登場したテレビ局の3人組の視点に示されている。

 しかしそういった怪獣への共感は、当然ウルトラマンという物語構造の中では矛盾し、万華鏡の呪縛の中で葛藤を続けることになるはずであった。ところが、人間ウルトラマンの物語であった平成シリーズは、新たな展開を見せる。

 前章で取り上げた人類の兵器使用を扱った物語は、平成版ウルトラシリーズにも登場する。『ウルトラマンガイア』第38話「大地裂く牙」で使用される地底貫通弾は、地中深く眠っている地球怪獣を地上に出現する前に殺してしまうための兵器であるが、結局主人公はその使用を止められず遂に発射されてしまう。しかし怪獣を殺すには至らず、眠りから覚めた怪獣ティグリスが傷つきつつも地上へ出現する。ここで変身し容赦なく殺してしまうのがかつてのウルトラマンであったが、ウルトラマンガイアは変身しながらも、なす術なくただの傍観者となってしまい、人類により葬り去られた怪獣を地中に戻すだけである。かつてのような外部からの半ば強引な救済がここには存在しない。

 ここで再び過去のシリーズの物語構造について考えてみたい。怪獣が出現し、それにより生じた人間側の葛藤が、突如出現したウルトラマンにより消し去られる。この物語構造を破局と救済の連続と考え、それが万華鏡のごとく繰り返されるという物語構造それ自体との葛藤が万華鏡は打ち壊されねばならないという想いと同等のものとなり、ウルトラマンの死という帰結を生み出した、と述べたが、しかしそもそもベンヤミンが万華鏡は打ち壊されねばならないと考えたのは何故であったのか。彼の目に映っていた万華鏡、それは永劫回帰的に繰り返される秩序の中で、世界が破滅へと進む姿であったのではないだろうか。そして、それをくいとめる手段こそが、万華鏡を打ち壊すということであったはずである。とすれば、かつてウルトラマンが死に、ウルトラセブンが限界まで消耗して帰っていった姿は、実は万華鏡を打ち壊した試みなどではなく、単に破滅するはずだった世界の身代わりとして傷ついた姿であったのではないだろうか。そしてそれは結局万華鏡を打ち壊すどころか新たな万華鏡を作り上げてしまった、という可能性も以降のシリーズを見る限り十分考えられる。また、第二期シリーズの様に物語構造と正面から対峙することなくウルトラの国へ帰り、或いはどこかへ旅立つウルトラマンたちの姿にも、当然万華鏡を打ち壊す姿は見られない。

 しかし『ウルトラマンガイア』において、人間ウルトラマンとして外部からの超人による救済を拒んだ結果、その万華鏡が音を立てて崩れ始めた。そしてウルトラマン、怪獣そして人間が共に戦った最終章、ウルトラシリーズの万華鏡はその回転を止め、最終的に打ち壊された。それを可能にしたのが、物語構造上の破滅そのものとして設定された「根源的破滅招来体」の存在であった。

 『ウルトラマンガイア』の物語は、根源的破滅招来体がおくりこんだ宇宙怪獣、未来から招き寄せられた(?)自然コントロールマシーン、根源的破滅招来体に反応して目覚めはじめた地球怪獣、そして光量子コンピュータに侵入した根源的破滅招来体の意志により知らないうちに人類こそ破滅すべしという方向へ仕向けられたもうひとりのウルトラマン(ウルトラマンアグル)と、ひたすら根源的破滅招来体によって回転させられる万華鏡のような構造をしていた。ゆえに万華鏡が次々と回転し、世界が破滅へ進んでいく結果のまさに根源的な破滅を司る存在として、根源的破滅招来体が設定され、同時にその破滅の回避、という設定をウルトラマンは有していた。

 『ウルトラマンガイア』は最終回を迎えても結局根源的破滅招来体とは何者であったのか語られることはなく、ネット上などで様々な憶測が乱れ飛んだが、以上の視点から見れば、1966年ウルトラマンが登場して以来根本的に打ち壊されることなく回転しつづけてきた万華鏡を司っていた破局の概念そのものであったと言えるのではないだろうか。

 しかし、人間ウルトラマンによって根源的破滅が打ち破られたところで終了したガイアの物語が、その後の世界について語ることはなかった。既存の物語構造=万華鏡が打ち壊されたウルトラマンの世界でこれからどのような物語が展開され得るのか、それは同時に我々の世界における未来の可能性でもある。




<参考文献>

浅井健次郎編訳 久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1』筑摩書房、1995
監修・円谷プロダクション『続 ウルトラマン大百科』勁文社、1979
同 『小学館入門百科シリーズ96・決定版ウルトラ兄弟』小学館、1979
同 『ウルトラマンGENERATION』モビーディック、1999
同 『タロウタロウタロウウルトラマンT(タロウ)』辰巳出版、1999
『別冊宝島 映画宝島vol.2 怪獣学・入門!』JICC、1992
『キネ旬ムック 動画王vol.6』キネマ旬報社、1998
『全怪獣怪人《上》』勁文社、1990
『好奇心ブック57号 帰ってきた怪獣魂』双葉社、2000
村井さだゆき「村井さだゆきの夢のかたまり」『月刊ニュータイプ』1999年11月号、角川書店
開田裕治、他『ガメラが来た4』同人誌、1999
假面特攻隊『假面特攻隊2000年号』同人誌、1999
帰ってきたウルトラマンFCスタビライザー『RETURN27』同人誌、1999
同 『RETURN EXTRA』同人誌、1999
大泉パラダイス『コノホシノヒカリ1&2』同人誌、1999
同 『コノホシノヒカリ3』同人誌、1999
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