上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
過去ログ掘り起こし。
アトムのアニメの感想です。

鉄腕アトムにおけるスカンクの役割。

(2003/07/26)

(まずは『鉄腕アトム』#15「人工知能を守れ!」の感想。)

人工知能を持ったロボットに反対派の中心人物が、スカンク(レギュラー悪役・人間)とともに、サカボット(ロボットの人工知能をパーにするロボット[人工知能なし])によりロボットの人工知能を消し去り、街は混乱。
それに対しがんばってアトムは戦うけど、仲良くなった人間の女の子とスカンクの心までサカボットに吸い込まれ、アトム自らもその感情をサカボット内部に送り込む。決戦は、デジモンのデジタルワールドみたいな世界での、意識のぶつかりあい。

集積回路の集合体であるロボットが、いかに感情を表現したところで、それはプログラミングの結果に過ぎない、というのは当然我々も思うところだけど、どうやらアトム世界でのロボットの感情は、デジモン(見ていない人にはわからないか)みたいな形で存在することになっている、っぽい。いわばロボットの魂とでもいうべきものが、そこにあることになる。
人間にしたって、タンパク質やらのかたまりの中での電気信号とかそういうのが、感情なんだから、ロボットが感情も持ったって、そりゃ文句はいえない。しかもロボットと人間の「心」が、同じ仕組みで吸い出され得るのならなおさら。

何はともあれ、この時間帯に、データの集まりが「デジモン」という多様な意志を持った生命体として存在し得たデジモンシリーズの後をうけてアトムが放送されているのは、まさに正しい。むしろ、デジモンの続編といっても過言ではない(いやちょっと過言)。
それは、アトムにはじまった日本のアニメが、様々な過程を経て、デジモンを踏み台に再びアトムに辿り着いたことを象徴するできごとなのかもしれない。自分でも何言ってるのかわからない。


また、7/24の更新(注:ぼくたちのヒーロー第三章)で、アトムの世界でのことも書いたけど、今回の話みたいな、ロボット(人工知能)に対し危機意識を感じ警鐘を鳴らす一派、ってのがこのシリーズにはよく出てきて、そういう人間との葛藤とか、えーと、まあそのへんは7/24のやつを参照ってことで。

ただ、その葛藤に関する「罪」が、今回はサカボットを持ってきたスカンクにすべて押しつけられた気がする。
スカンクがこの人類とロボットの葛藤を背負い(たとえばオルフェノクと戦うことの罪を自ら背負うことを覚悟して立った仮面ライダー555のように)、未来を切り開くというのなら、それもまたよし。って、んなこたない。
スカンクは、単にその葛藤の中で生じる罪業を押しつけられただけにすぎず、むしろそのことにより、この世界で発生する両者の葛藤の根源が、見えなくなってしまう。あるいは、ただの勧善懲悪モノであるかのように思ってしまう人だって、少なくはないはず。

とはいえ、彼がその罪業を背負わなければ、人間として、我々自身の中にあるその根源とでもいうべきものと下手すれば正面から向き合わなければならなくなる。もちろん、ロボット云々という意味だけでなく、この日常の中での我々の振るまいに還元されるような次元で。

そういう意味で、スカンクとは日曜の朝を心健やかに過ごすための「必要悪」なのかもしれない。
そう、あの番組を支えるのは、アトムでもお茶の水博士でもなく、スカンクにほかならないのだ。


(2003/08/02)

(次は『鉄腕アトム』#16「闇のロボットハンター」の感想。)

ロボットハンターとロボット警官の話。
ロボットハンターはスカンクに使役されロボット狩りを行い、スカンクはそのロボットたちの集積回路を用いて、武器をつくる。
ロボットと武器が同じ集積回路ということにもまあ、いろいろあるんですが、それはさておき。

感情を持ったロボットとしての道を説くアトムに、ロボットハンター・ガフ(有線サイコミュつきの赤い彗星)はこう叫ぶ。
「ロボットとして生きたことのないお前にいったいなにがわかるというんだ」

「ロボット」には、与えられた目的を果たすことしかできない。自由などない。
そんなロボットの生き様に、アトムはどう関与すべきなのか。
人間でもなければ「ロボット」でもない。そんなアトムの苦悩…の前に、スカンク(人間・悪役)がまたも、やってくれる。
アトムやロボットハンター、ロボット警官をまとめて電磁シールドと水攻めで壊そうと目論むスカンク。物語は一転して、ロボットたちが一丸となり、狩られたロボットを救出しつつ脱出するお話になり、やはりスカンク一人に物語上の悪が集束してしまう。

「あいつなら、ロボットの未来を変えられるかもしれない」

ロボットハンターガフは、どう心変わりしたのかそう言い残して去るが(アトムたちを救うため、電気ビリビリの中につっこむという英雄的自己犠牲を果たしたせいでいかれた?)、実際にアトムがロボットの未来を変えるためにそれなりに解決しなければならない問題は、今回のように、ガフやロボット警官とのすれ違いの中だけでも山積みなのはいうまでもない。

といっても、もちろんロボットの中での葛藤だけではない、人間の側にこそ問題の根源はあるのだが。しかし、前回(7/26)も書いたように人間の側の罪業は、すべてスカンクが背負ってくれているといっても過言ではない。

幸福な我々人間は、ただスカンク一人の罪を憎めばよい。そしてまた、スカンク一人にその罪業があらわれる限り、ロボットと人間の調和はありえないのかもしれない。


-----(ちょっと独白)-----

ぶっちゃけ、ぼくは原作のアトム、ほとんど読んだことありません。物心つくまでに断片的に触れたくらいです(ちなみにここでいう物心は、ぼくにとっては中二以降、オタク心とでもいうような意味です。あ、でもオタクじゃないですよ)。そもそも手塚漫画に触れる機会が、ほとんどなかった。『ロック冒険記』とか『キャプテンKEN』なんかは最近読んだけど、そういうわけで、手塚的思想みたいなもの、全然知らないし、だから、まあのんきにこういうことも書いていたんですけど、いろいろ見てたら、こないだ異者理解のとこで書いたようなこと、とっくの昔に手塚治虫本人がおっしゃってるんですね。全然知らなかったよ(参照:アトムの哀しみ)。

さらに別冊宝島かなにかで出ているアトムのムック見ていたら、最初のアニメのエピソードにしたって、かなりすごいんですよね。人間とロボットの葛藤とか、あれが日本で最初のアニメだなんて。それ以降のアニメ史ってなんだったんだ。

ここ最近のアトム祭り的な風潮の中でのアトムって、手塚自身が迷惑していると記したような、「未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです」という、まさにそんなイメージが謳われ続けている観があります。

ほとんどアトムを知ることなくそのイメージを植え付けられてしまったぼくも、そういう作品だとばかり思っていた。読まずぎらいとでも言うような感じで、読まなかった。

まあ、実際ロック冒険記だとかそういう昔の漫画もすごいお話なわけで、とっととアトムも読んどきゃよかったんだけど。

話の方向性が見えなくなってきた。

まあ、そういうわけで、今まで書いた、あるいはこれから書くであろうアトム関連の話ですが、海千山千の皆様から見れば、何を今更あたりまえのこと言ってんだ、と思われるかもしれません。が、手塚童貞とでもいうべき身のぼくなので、生温かい瞳で見ていただければ、ちょっとうれしいです。

-----(ちょっと独白終わり)-----


「アトムは完全ではないぜ。なぜなら、悪い心を持たねえからな」
スカンクの有名なそのセリフの通り、アトムは決して完全ではない。そして物語の上でそれを補完しているのがスカンクなのかもしれないが、そうやってスカンク一人が罪を背負い続ける限り、人類の側に葛藤も、そこから生じるかもしれない調和も、ありえない。
それでもアトムは、自ら悩み、傷つきながら、その見えない葛藤に立ち向かい続ける。手塚が記したこの言葉のように。
「しかし、それでもなお、やはり、ぼくは人間がいとおしい。 生きる物すべてがいとおしい。ぼくたちは間違った道に踏みこんできたのかもしれないが、あの罪のないたくさんの子どもたちを思うとき、とても人類の未来をあきらめて放棄することはできません」(これも上で紹介したところから引用)


えーと、ロボットハンターのセリフのあたりから発展させてアトムの立ち位置のこととか書こうとも思っていたんですが、大体手塚自身が言っていることに含まれる気がするので、もう一度それを紹介して(ここ)、この項一応終了。
関連記事
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://kaizyugakusei.blog35.fc2.com/tb.php/58-9149d05c
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。