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過去ログ掘り起こし。
ファイズの最終回のちょっと前に書いた話。
まだ木場(馬の人)が人間に絶望してスマートブレイン社長になる前に書いた話ですが、そこまで的外れではない気はします。

ところで、響鬼とかもそうだったけど、最終回のちょっと前にはいろいろ書くんだけど、最終回を見たらあんまりものを書かなくなる傾向がぼくにはある気がします。

ファイズはデビルマンであるか(『仮面ライダーファイズ』より)。

(2003/11/29)

仮面ライダー555第42話を見た後で書いた。)

乾巧(ファイズでありオルフェノク)たちの洗濯屋レベルの小さなセカイと、スマートブレインレベルのオルフェノク程度の対立にすぎなかったこれまでの物語が、前回の南(警察の偉い人・人間)の登場とともに、ついに、人類とオルフェノクという二つの異なる種の葛藤の物語へと動き始めた。

「たぶんこれから大変なことがおこる。オルフェノクと人間の間でな。まっ、当然といえば当然のことだがな」(草加雅人)


「既に戦いははじまっているのです。人間と、オルフェノクのねぇ」(南雅彦)


ところで、今のところ人類のオルフェノクに対する態度を代表しているあの施設(オルフェノク研究所)での出来事に、ある既視感を抱いた方も少なくはないのではないだろうか。

その既視感とは、『デビルマン』(アニメでなく漫画の)の生物化学研究所(悪魔研究所)に他ならない。

『デビルマン』においてはデーモンの無差別合体により各地に誕生した悪魔人間(デビルマン)が、そこで生体実験を行われ続けたように、オルフェノク研究所においても「どうせゴミのような命だ」と、オルフェノクである長田結花(鶴)が、あるいは蟹のオルフェノクが、拷問のような生体実験の対象となる。

オルフェノクを排除するべきものと断じ、弾圧への道を歩む人類。

「オルフェノクにもいろいろいる。俺達みたいに人間の心を持ったものも。…それをわかってもらうためにできるだけのことをしたい」


という木場(馬オルフェノク)の願いが叶うことはおそらくは、ない。アトムやアニマトリックスにおける心を持ったロボットが決して人間ではないように、オルフェノクという異形の者は、たとえ人間の心を持ち続けていようと、決して人間ではない。

「不動明 君は何者だ 人間か?ちがうだろ もとの人格が人間のものであっても きみはどこから見てもデーモンなんだよ きみだけじゃない ほかのデビルマンたちも 人間社会では人間として生きていけない きみがいくら人間だとさけぼうと 人間社会はきみたちを人間とはみとめない 不動明が生きられる世界はデーモンの世界だけなんだ! 人間はほろびる! 自然にね・・・・」


かつて飛鳥了(サタン)が不動明(デビルマン)に語ったそのセリフのように、たとえ巧や木場がどう思おうと、オルフェノクは人間社会とは決して相容れない存在でしかない。それを象徴しているのが、オルフェノク研究所であり南という男の存在である。
そして同様に、園田真理(ヒロイン・人間)の抱く潜在的なオルフェノクへの不安、草加(カイザ・人間)があらわにする嫌悪感も、個人レベルでのそれを示している。

しかし、

「たっくんだってオルフェノクになったぐらいだから、おれたちだっていつかなっちゃったりして」


という啓太郎(洗濯屋の小市民・人間)の疑問のように、人類すべてに、いつ自分がオルフェノクとして覚醒するかもしれない可能性が存在する。そして実際に多くの「普通の市民」がオルフェノクとしての姿を隠し生きている姿も描かれてきた。

そんな、いつオルフェノクになるかもしれない事実に人類が気付いたとき、世界はどうなるのか。
いつ自分がオルフェノクになるのかもわからない恐怖。いつ隣人が得体のしれない異形の者となるのか、あるいは既に覚醒しているのではないかという疑心暗鬼。
そんな感情を抑え、平和に共存なんてありえない。オルフェノクへの弾圧は、単なる「怪人」への恐怖を越え、狂気と言うしかないレベルにまで高まるのではないだろうか。(いつ誰が怪人になろうとあたしゃ平気だよ、分け隔てなく接して共存しちゃうよ、なんて方はしゃべり場にでも出たら喜ばれると思います)

『デビルマン』において、人類の悪魔への狂気を雷沼教授が、そして飛鳥了が煽ったように、ファイズの世界において同じような位置で大衆を煽り得るのは、南であり、村上(スマートブレイン社長)であろうか。
そして、人間の心を持ったオルフェノクの代表とでも言うべき木場は、人間の心を持った悪魔デビルマンが、「外道!きさまらこそ悪魔だ!」「これが!これが!おれが身をすてて守ろうとした人間の正体か!」、そう言い捨て人間を地獄へ落としたように、結花への仕打ちに怒り、ついに人間の警官隊に対しそのオルフェノクの力を振るった。

未だ私的レベルのセカイですら人間への怒りをあらわす木場が、いつか人類全体の総意がオルフェノク迫害に向かった時、聖人君子面をして共存への道を探すことなんて、ありえない。というか許されない。
木場に残された道は、ファイズ世界の悪魔人間・デビルマンとしてのものしかない。

「おれはわからなくなった・・・・ おれは人間のために戦ってきた だがいまの人間にまもるべき価値があるか ない! いまの人間はケダモノ以下だ」


不動明のそんなセリフをそっくりそのまま、木場が語ったとしても、何の不思議もない。
木場勇治は、ファイズにおけるデビルマンとなった。

と、ここまではデビルマンになぞらえて、ファイズを概観してみたが、では、ファイズの未来においても、人類は破滅の道を歩み、その先にオルフェノクと人の心を持つオルフェノクとのアルマゲドンがあるのみなのか。

ある意味において、それは真である。

劇場版仮面ライダーファイズの未来を思い起こしてほしい。
ほぼ駆逐され、真理たちほんの一握りのレジスタンスたちを残すのみの風前の灯となった人類と、逆に世界を支配し、街を闊歩するオルフェノクたち。
ひょっとしたらそれは、オルフェノクが直接に手を下したのではない、デビルマンに描かれた人類同様、人類が、自らの狂気とともに、自滅の道を歩んだ結果ではなかったのか。

しかし。
しかし、である。今までにも何度か述べてきたように、それは、ファイズのいない、乾巧のいない未来である。
そして現在。このテレビシリーズの現在に、乾巧は存在し、戦い続けている。

オルフェノクであると同時に、仮面ライダーである彼自身の戦い。
凡庸なヒーローならば、単に異者理解のために自分の命でも犠牲にしていればいい。
そんなヒーローであることに苦悩し、おそらくは絶望するであろう存在が木場勇治であり、そしてさらにその上を行くヒーローの姿を、乾巧は我々に示さなければならない。
これまで散々語られ続けてきた木場と巧の対立から和解までの物語がそれを可能にするだろうし、それでこそ、木場と巧という二人の男が物語の軸として存在する意味がある。

といっても、たとえば巧の戦う理由が、俺には守るべき人(真理)がいる、なんてことになったら、それはただ牧村美樹を失わなかったデビルマンの姿でしかない(実際は美樹を群衆に殺され、デビルマンは人類を見捨てる)。
既に劇場版においては、巧(オルフェノク)と真理(人間)、二人の未来は語られている以上、そんな変な話にはならんだろうという正当な期待だけ残して、この断章もひとまず終わり。まだファイズの続きもわからんし、あんまり余計なことは書けませんわ。
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