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過去ログ掘り起こし。

何を言っているのかよくわからないので(今もそうだけど昔は特にひどかった、というかわざとそうしてた気もする)あらためて書くと、タイムレンジャーのレッドが開いた空手教室に通う少年が、そのレッド直伝の力を以て不良グループのリーダーになり、悪行(恐喝)を重ねる、という話について、「恐喝なんて扱ったらダメよ」というヒステリーおばさんの投稿が朝日新聞にあり、それを思い出して書いた日記でした。

で、ヒーローって、すごく強い力を持って、テレビの中ではいつだってその力は"悪"を倒すために使われているから気づかないけど、その力もちょっと裏返せば悪になり得る。
その事実に対し、ヒーローは、あるいは、現実を生きるぼくらは、どう対峙すればいいのか、それについて考える機会を与えてくれた傑作エピソードだったと思うんですが(たぶん。もう話忘れたので自身ない…)、まあ、わかりづらかったんでしょうね。おばさんは恐喝という単語レベルでヒステリーを起こし、伝統的ヒーローファン(好きな言葉:「大人の鑑賞に耐え得る」)は、たしかに中学生日記的に見えなくもない(実際は全然違う)ストーリーに「あ…あんなのは中学生日記の青春ドラマなりよ」とか慌てて言い訳してがんばってた(気がする)。

まあ、でもヒーローと悪の力のルーツが同じなんてのは、実は昔々からあったことですよね。今思ったけど。

タイムレンジャー17話くらいより
物語とは?正義とは?大人とは?

(2001/10/03)

『タイムレンジャー』の17話くらいに、こういう話があった。

レッドがやっている空手教室に通う一人の少年。実は彼は学校で恐喝のターゲットであったが、不良グループへの復讐のため、空手をはじめていた。
そんなことは知らず、真剣に空手を教え込むレッド。
が、ある日、その動機を知ったレッドは彼を一喝。
しかし、自分の前に現れた不良グループのリーダーを殴り、倒してしまった少年は、それまでいかにもいい人だった女教師(じつは敵の女幹部)に導かれ、不良グループのリーダーとして、徹底的に恐喝をしていく。
そのことを知ったレッドは、彼の前に現れ「本当に力が正義と信じるなら、その力で俺を倒してみろ!」と言い、実際殴られる。

で、まあ後は少年が悔い改め、タイムレンジャーが敵を倒して終わるんですけど、この話を巡って、色々と、ちょっとどうかと思うことがありました。

まずは、朝日新聞のテレビ欄の下にある「はがき通信」。ここに投稿した一人の主婦は、タイムレンジャーのその話への感想として、恐喝なんていうリアルタイム(当時名古屋かどこかで、中学生だか高校生がひとりの少年から何千万も恐喝して奪い取っていた事件が明るみに出ていた)でネガティブなネタを扱うことを子供への悪影響と全否定していました。
もちろん単に暴力沙汰を描くだけなら、そういう感想もまっとうなものでしょう。
しかし、ここに描かれていた暴力がいかなるものであったか、それについて、少し考えてみれば、この批判がいかにおかしなものなのか、よく見えてくる気がします。

たとえば、恐喝グループのリーダーへとのしあがっていく少年の力、それは本来、正義のヒーローとして闘うレッド直伝の、つまり、本質的には正義の拳と同質のものでした。
その拳が、恐喝の道具となり、最終的には、レッド本人に牙をむく。
ここには、日頃から正義を標榜し、徹底的に悪の怪人を倒し続けるヒーローの力の持つ矛盾を語ろうとする意志があることは、最早言うまでもありません。
もちろん、明確な答えなど出るはずもありませんが。
しかし、それに気付かされる物語づくりから、視聴者がなにかを感じることができた話であり、そこから、自分なりにであれ正義とその力についての考察を深めていくことこそ、重要であったのではないでしょうか。
というより、それだけの力をもった構造を有していました。
それを、近視眼的に最近あった恐喝の話題と結び付け、こんなネガティブな話を…などという親が親なら、その子供も、きっと一生その構造に気付くことはないでしょう。
ヒーローごっこの名のもと、その力を余すことなく振るい、人を傷つけることの矛盾をしらぬまま子供を成長させる親が、そこには存在していました。

そして、いい年してそのことに気付き得なかった人々がさらに存在します。
それは、ネット上で戦隊モノの感想を語り合う、恐らくは、自称マニアの人々で。
彼等に言わせれば、あの話は『中学生日記』であったらしい。
もちろん戦隊モノで青春群像を描こうとして、一昔前の『中学生日記』ぽくなった話が存在しないわけではありません。
しかしこの話が、そういったものと一線を画すものであることは、今更いうまでもないことです。
結局、そこに気付き得ず、「いい年して特撮など見ている」という後ろめたさからか、頭の悪い感想しか語れない輩は、「おとなのかんしょうにたえうる」なんてばかなことを言わなければ、たとえばクウガを見られなかった。
「おとなの云々」など言わずとも、いくらでも、大人の想像を超えた構造が、そこには存在しているのに。

で、現在の戦隊にそういった意志を語ろうとする気概があるかどうか。
『ガオレンジャー』の初期には、まずヒーローと敵の構造、オルグがいかに悪であるかを描こうという話がありましたが、それもただの正当化に過ぎず(だけど、自称マニアはそういうわかりやすいのには過剰に反応を示しがち)…。

まあ、結局そこに何を見いだすかはあなた(ってだれだ?だれかみてるのか?)次第なのですが。
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