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ぼくにとってのガンダムって、まともに見始めた(これがどういう意味かはあらためて説明はしませんが)のは中二の頃放送されたVガンダムからで、当時は主人公ウッソ・エヴィンと非常に近い年齢であったこともあり、たしかウッソに対し強く感情移入していたように思います。

その後、再放送がはじまったテレビ版のガンダム(第一作)を通して見た時(高2頃)には、間違いなく、アムロやホワイトベースの側から見ていました。

ガンダムといえば、ぼくが幼い頃は何度も再放送されていたのですが、何もわからなかった幼稚園児時代に見たときには、シャアが非常に憎く、ガルマの件の後一時いなくなる時には本当に嬉しく思ったことを覚えています。前述のようにその頃は何度も再放送されていたので、シャアがまた出るのも子供なりに知っていたけど、子供なりにバカだから、時系列がよくわからず、わからないなりに不可解さを持ちながら、シャアの退陣を喜んでいたわけですが。
それからさらに時は過ぎ、まだSDガンダムのカードダスを集めていたような小4~小6の頃、シャアというのはまったくもって悪役にしか見えていませんでした。ちなみに、その小4の頃にもガンダムは再放送されていましたが、ランバ・ラルのあたりで退屈になって見ないようになっていました。
浅薄といえば浅薄ですが、この浅薄さはまだまだ続きます。

 
高2当時の話に戻ると、もうこの頃には、マスターグレードのシャア専用ゲルググを、(当時のぼくにとっては決して安くない額であるにも関わらず)買う程度には、シャアの「かっこよさ」(あるいはジオンのMSのかっこよさ)は理解できるようにはなっていました。だけど、決してシャアという男のことはわかっていなかった。
当時のぼくにとってのガンダムとは、アムロの物語であり、ホワイトベースの物語でしかなかった、と言っても過言ではありません。それに対するシャアは、単に強くてかっこいい男。悪役だとは最早思っていなかったけれど、世界の中心にいるのは、やはりアムロでした。今にして思えば、これくらいの見方が一番幸せで、楽しいものかもしれません。


だけど、最近つくづく感じるのが、シャアという男、それはクワトロでありキャスバルであるわけだけど、彼の、歯痒さ。なんだかこれが身にしみてなりません。
たぶん劇場版Zガンダム3部作というのも、その辺を刺激するものだったのだろうけど、彼の歯痒さが、痛いほど伝わってくる。もう今では、彼の歯痒さを思うと夜も眠れなくなる。
ぼく自身、もちろんシャアのような男にはなれなかったけれど、最近年をとってきて、つくづく自らに対して歯痒さを感じる事が有ります。そのせいか、べつにシャアに自分を重ね合わせるという話ではないけれど、最早ガンダムは、シャアの物語としてしか見ることが出来ません。

敢えて自身の恥を晒すと、「機動戦士ガンダム ニュータイプの条件」というのを20歳頃に書いていて、今読むと本当にひどい、オタクのひとりよがりな文章で、とても見ていられない内容です。
これを書いた数年後に、戦争の道具としてではないニュータイプについて書きながら、自らのコミュニケーションに対する欲求の希薄さもあり、不完全どころか、根本的に酷い内容なものであることはわかっていたのですが、またあらためて読んでみると、シャアに対する気持ちの薄さもかなり酷い。
今となっては、第二次ネオジオン抗争(「逆襲のシャア」)時代の彼のことを「独善的な選民思想にとりつかれ、ニーチェ的超人として立ち上がった」なんて、とても書けません。さらに「そこで示したシャアの行動こそ、ガンダムファンには魅力的なテーゼと映っている」だなんて。たしかに、ニーチェ的超人に見えるシャアを魅力的に思うファンは、今でも世代を問わずたくさんいるわけで、これを書いた当時のぼくも、たぶんそう見えるシャアに魅力を感じていたのかもしれないけれど。
一年戦争でザビ家を滅ぼし、あるいはクワトロ時代のダカール演説やネオジオン総帥としてのその姿はたしかに魅力的だ。だけど、今にしてようやくわかる。シャアってのは、それだけの男じゃない。かっこいいのは仕方ないけれど、英雄ではない。そこだけ見ていても何もわからない。そう考えると、Z劇場版3部作でダカール演説が入らなかったのは、見たときには不満だったけど、非常に適切だったのかもしれませんね。さすがです。

しかしそれにしても、ぼくは取り返しのつかないことを書いてしまった。本当に、シャアが一貫して持ちつづけている歯痒さが、これっぽっちもわかっていない。
そのことが、ガンダムという作品に対する感想すら、まったく違うものになる原因になっています。

何かの作品を見るときに、その評価や感想というのは、もちろん個々の主観に基づくものであり、それによって大きく差が出るものだけど、しかし自分ひとりの抱いた感想でさえ、ほんの数年の間に、ガンダムという作品、あるいはシャアというキャラクター一人を見るだけで、これほどまでに変化し、そしてかつての自分の感覚をこれほどまでに否定してしまうものになるだなんて。


そういえば、小4当時の再放送では、退屈すぎてそこで見るのをやめたランバ・ラル。
もちろん今ではそんなことはないのだけど、でも、まだぼくはランバ・ラルの真の魅力に気付いていない気がします。かっこよさとか、男のなんちゃらとかじゃない、彼の存在の意味。
あるいはこれから十年二十年と時が過ぎれば、ひょっとしたら、シャアなんて若さが目立つだけの一キャラクターにしか見えなくなり、ぼくにとってのガンダムは、ランバ・ラルを中心とした作品になることもあるのでしょうか。


…そんなことよりDVDを今買うべきかどうか、非常に悩んでいる今日この頃です。

今日は珍しくアフィリエイトをアレしてますよ。
どうせ誰もアレしないのは知ってますが、なんかブログっぽい。
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