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わけあってウルトラシリーズの内容とか怪獣とかについてすっかり記憶がこぼれていたので、ちょっとリハビリ的な意味を込めて誰でも書けるようなものを書いてみました。

全七回くらい。(一度mixiにアップしたのを小分けにしてます←ちょっと修正しながらアレしてます)
最初の四回は昔書いたやつのまとめみたいな感じです。


○[昔の話:ゴジラ:マンモスフラワー:ウルトラQ:博士:進歩と破局:怪獣と人間:葛藤と和解]
1954年のゴジラが、水爆や、あるいは戦争のイメージを寓意的に含んだ存在としてあらわれたことを想起するまでもなく、大昔(1960年代頃)の怪獣たちの多くは、単に巨大なケダモノではなく、その時代に人間が直面しつつあった危機や破局の寓喩であることが少なくなかった。

科学的進歩が社会の進歩にそのまま結びつくと信じられた時代、しかしその科学的な進歩が、進歩と同時に、そこでは怪獣という寓喩で表現される脅威を生み出す。
たとえば公害や環境問題。都市化やそれに伴う人間関係の変化。冷戦時代、あるいは太平洋戦争の記憶が残る中で今よりはるかに現実味を帯びていた戦争や、兵器の脅威。そんな具体的なものだけではなく、漠然とした進歩に伴う破局の概念、あるいは、それに伴い大きく変動する社会状況に対する不安。それこそが怪獣のイメージには付随していた。

今にして思えば不思議なことかもしれないが、かつては怪獣があらわれたところで、それに対峙するヒーローは存在していなかった。ヒーローではなく人間が(後には怪獣同士が、だが)、怪獣と常に対峙していた。それは同時に、怪獣が寓喩的に抱える破局に対し、人間が葛藤し続けることでもあった。
そして、ウルトラマン以前、怪獣を倒し得るヒーローが登場するまでの時代は、ひょっとしたら、人間が、数々の問題に対して正面から向き合うことができた最後の時代だったかもしれない。

たとえば『ウルトラQ』制作上の第一話、マンモスフラワーの物語。
東京のど真ん中に、ビル群を突き破り毒を撒き散らす巨大な花(古代植物)が出現。
まだ科学特捜隊やウルトラ警備隊という概念すら出現していなかったその現場では、それを貴重な研究材料として保護すべしと考える「博士」と、人を襲い毒をふりまく以上早急に排除すべしとする「博士」の真摯な葛藤があった。

後のウルトラマンやそれに続くシリーズにも「博士」が登場し、物語上重要な位置に立つことも多いが、それは単に科学的説明役であったり、あるいは科学のマッドな面を提示するものではないだろうか。
しかし、まだマンモスフラワーの時点では、「博士」とそれが象徴するサイエンスは、葛藤を繰り返し、しかし人類自らの力で、進む道を模索していたのかもしれない。物語上のではない、現実に世界の科学そのものが、人類の進歩とそれを破局に導き得るマッドなものの両面を持ち、そこで一進一退の葛藤を繰り返しながら、前に進んでいた。
輝ける宇宙開発のロケットが同時に兵器開発に続くものであり、次代のエネルギー原子力が原子爆弾に連なるものであったように、ここでの二人の博士の葛藤は、怪獣を問題としながらも、しかし、60年代の輝ける科学とマッドな科学の葛藤を代弁したものであったことは、言うまでもない。

[つづく]
→[第二回]
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