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こないだNHKを見ていたら、しょこたんが出てたんですよ。
「通(つう)」

そしたらなんか焼肉の「通」の極意に迫るとかいう番組で、ちゅーか、ぼくって肉は好きだけど、焼肉としゃぶしゃぶとステーキはあんまり好きじゃないと公言して憚らない野暮な男なので、いくらしょこたんが出ているとはいえ、心中苦虫を噛み潰しながら見ていたのですが、焼肉というものや、それにこだわりを見出す人々への疑問については既に何度も飯のアレに書いたので今更どうこう言うまでもないのですが、そんなことより、最近、通とか粋とか、そういう言葉が流行ってますよね。

流行っているというか、安易に使われすぎているような気がする。
 
そもそも通って何なのか、とか、もうそういう話はよくわからないし、ぼくのそういった言葉についての情報は杉浦日向子先生の本くらいなので、「なんとなくこんな感じかなー」程度の事はわかっても、「そもそも粋ってどういう人の事?」「通と粋ってどう違うの?」なんて聞かれた日にははっきり言葉に出来ない。(まあ、そういうのを説明できる人が通とか粋なのかといえば、たぶん違う事が多いんだろうけど。)
そもそもこのサイトの文章なんて、余計なものだらけの野暮なものということは言うまでもないし、そんな書き方で通とか粋なんて説明しようがない。(まあ、だからといって池波正太郎の真似するような下町の"小生"たちが通かといえば、たぶん違って、あれは半可通の見本だと思うのだけど。)

だけど、今日はこの半可通のぼくが、現代の通について、ちょっと考えてみようと思います。(と思ったけど今回はただのメモです)


前述の番組では、mixiの焼肉コミュから連れてきたような集団が、自分たちの編み出した「こだわりの」食べ方(焼き技に名前までついている)を披露することで通のありようを示し、焼肉店主が食べ方のコツを教えることで「通への道」を提示する、そんな「通」が「通」としてまかり通っていました。

ちなみに、件の番組の説明を読むと、
探究心と遊び心で本質を見極め、オリジナルな楽しみ方を習得した「通(つう)」の極意に迫るのがこの番組。その名もズバリ、「通(つう)」。
とあります。

あんな番組見ただけじゃ、やっぱり通って何なのかよくわからないけど、現代における"通スタイル"というものがたぶんそこに現れていて、たとえばネットで見かけたような知識や、「その道のプロ」の話を丸呑みにして、その受け売りを語るだけでも、「通」ぶることができることを、証明したもののような気がします。


はたしてあのmixiから出てきたような人たち(実際はmixiじゃないようだけどそんなことどうでもいい)が本質を見極めているのか表層だけアレしているのかは知りませんし、ほんの数年やそこらの「探究心と遊び心」で極意に迫ったと言えるのかはわかりませんが、そういえば、こんな感じの「通」って、数年前、下手すりゃ数ヶ月前までは、「オタク」って呼んでいませんでしたっけ。

焼肉通でなく焼肉オタク。ちょっと言葉が古臭く感じられるのさえ気にしなければ、まだ十分に使えそうですね。

かつて、アニメやゲームなど「オタク文化」に限らず「オタク」という言葉を使って、自分がいかにそれに通じているかを語る人々がたくさんいましたよね。
格闘技オタク、ファッションオタク、恐竜オタク、サッカーオタク、紅茶オタク、などなど以下省略。

そこで出てくる「オタク」というのは、「あのオタク野郎うざい」「あのオタッキー君やばいよね」などと外側から使われるような「オタク」ではなく、「おれって野球オタクだからさー」のような、敢えて自らを称する言葉でした。

当時から心ある人にはわかっていたように、それはもちろん本来的な意味のオタクでもなんでもなく、また、オタクという言葉を拡大解釈したとしても、知識、経験、思い入れ、日常生活を侵食する割合など、どれをとってもオタクと呼ぶには足りない程度のものが、「○○オタク」として通用するものでもありました。

そこでは、焼肉がちょっと度を越して好きな人(あるいは度を越すほどでもないけど割と好きな人)であれば、焼肉オタクとして存在していたはずです。

正直、そういう「○○オタク」という言い方は好きではなかったけど、今思えば、それはとても幸せな時代だったかもしれません。


誰かが自らを「○○オタク」と称する時、そこには二つの意識があったように思います。ひとつは、多少なりともその知識や思い入れを誇り、お前ら庶民よりは先んじているのだという優越感。
そしてもうひとつは、恥ずかしながらこんなものにはまっております、といういくばくかの申し訳なさ。忸怩たる思い。

意識してもしなくても、オタクを名乗る事には、相反する気持ちが表現されていたはずです。

しかし、それが今、「通」に移行をはじめているように見える現実。

最早そこに、自らの行為を後ろめたく思い、時に形式的にであれ「恥」を表明する思いは皆無。ただ自らの在り様を肯定し、誇り、優位性を信じるものになりつつあるのではないでしょうか。

とはいえ。
多くの人は既にに気が付いていることでしょうが、そんなに簡単に"通"になんてなれるものでもないわけです。○○オタクが実際にはオタクでも何でもない「ちょっと好きな人」であることが多かったように、現代の"通"も、べつにそれほど通でもない、ちょっとその気になっている人、いわば、ただの半可通ですね。
あるいは"気障"。きざね。

もうぐだぐだなので、とりあえずメモ。
▼メモ1
メトセクとかオタクの話の時にも似たようなことを書いたけど、ひょっとしたら、ネットやら何やらが普及したことで、誰もが「通」や「粋」になりやすくなった?それはもちろん本当の通なんかじゃなく、まがいもの、あるいは浅い通だとしても。

▼メモ2
これって、あるいは、最近あまり聞かなくなった、「自分探し」のなれの果て?
自らをカテゴライズしたい欲望。現代的自縄自縛とでもいうのか、そんな欲望って意外と多くの人が持っていて、勝ち組み/負け組み/負け犬/メトセク(誰も知らんけど)/アキバ系/なんちゃら族/ちょい不良/艶女/非モテ/vipper/ブロガー、と、まあ、なんか違うのも混じっている気がするけど、特に近年は、自己肯定要素を含めたカテゴライズが主流になる傾向があるようなないような。

そのひとつとしての、通というカテゴライズ。

かつてオタクというカテゴライズの場合は、ファン・マニア・オタクのような分類にこだわる人もいたような気がするのですが、通の場合は、とりあえず何でも通。というか、まあ、だいたいただのファンだけど、みんな通。人によっては粋。イキあるいはスイ。

自分をカテゴライズしようという時に、便利な言葉として通とか粋があるから使っているだけで、べつにオタクであろうと通であろうと、あるいは達人であろうと師匠であろうと、なんでもいいのかな。

だけど、言霊ではないけれど、人の在り方が言葉に規定される部分もあるわけで。
通の氾濫は、自己肯定こそをよしとする風潮を反映すると同時に、さらにそれを進めるものかもしれない。
オタクという言葉が持っていた忸怩たる感覚を忘れ、あたかも「探究心と遊び心で本質を見極め、オリジナルな楽しみ方を習得した」かのように錯覚してしまうことは、果たしてよい事なのか。良い悪いではないにしても、何か引っかかるものはないのか。
ちなみに、自己肯定を検索すると、なんだかちょっと気分が悪くなった。
http://www.google.com/search?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%82%AF%E5%AE%9A&num=50

▼メモ3
あれ、何書きたかったか忘れた。

▼メモ4
http://homepage.mac.com/kaizyu_hakase/zatsu/otakutometro.html

最初は、右傾化に関わる話かと思っていたけど、まあ、これはそこまで大げさな話でもないのかな。
ちゅーか、オタク-メトセク的なもの(誰も知らないけど)をつなぐ「浅さのライン」を見極める例かと思ったんだけど。

▼メモ5
http://www.asahi.com/culture/fashion/TKY200609110089.html↑今更ながらこれが面白すぎる。

とういうのを絡めていくつもりだったことは覚えているけど、今となっては何をどう書きたかったのかすっかり忘れてしまった…。

その他、メモった時には重要なキーワードだったけど、放置している間に何が言いたかったか忘れた言葉たち。上で無理矢理入れ込んだものあるけど。

「気障(きざ)」
通ファシズム
いき
通への道
オタク
グルメ

通の場合は画一化

マニア
コレクター
ファン

戻っただけ?

自分探しのなれの果て

カテゴライズされたい、自らカテゴライズすること
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