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通院。『バベルハイムの商人』1巻・2巻、『リューシカ・リューシカ』5巻を購入。ランチは神南カレー。
23時すぎ帰宅、残り物で夜食。『ブラインドネス』視聴。
その後『オレの宇宙はまだまだ遠い』(益田ミリ)読了(積みっ放しをどうにかするシリーズ)。まさかの作者登場などはあるものの、前半はちょっとだるい(作者登場シーンはなかなかすごい)。しかし後半から妙にドライブがかかる感じで気持ちよくなる。そしてまさかの予告…!気になる。本当に気になる。

追記:さらに夜更かしして『 社会(学)を読む (現代社会学ライブラリー6) 』(若林幹夫)最後の数ページを読了。奇しくも2冊続けて本にまつわる本。
姪と遊んだ一日。帰る頃には平清盛。夕食は芝海老と鶏肉を唐揚げに。「インドの青鬼」のような名前のビールも。
「彼岸花」(小津安二郎)「シン・シティ」(フランク・ミラー)を続けて視聴。
夜更かしして「藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 2」読了。本棚整理の前に積みっ放しの本を少しずつ消化。

※Amazonから「モエモエズキューーン」到着。重妄想が随分遠い日のように感じられるが…。
新橋演舞場で歌舞伎。この日は昼の部。いろいろあって、前半は今回観劇辞退し(誰に対して?自分に対して?)、二幕目の勧進帳のみ。隣の客がとてもふくよか、いやさデブ。だが、デブ男なのでデブ女よりダメージなし。というか特に気にならない。なぜか隣の客がデブ女の場合、なぜか(本当になぜか問いつめたいくらいなので何度も「なぜか」と書いてしまうくらい)、こちらに傾いてくる気がするのはなぜか。私の恐怖感のせいで世界が歪んで見えるのか。圧迫感が精神をも圧迫して閉所恐怖的な感覚を呼び覚ますのか。
歌舞伎の後はムルギーランチ。そのまま出社。帰宅後、イカをトマトで煮て食べる。

▼さて今日の「勧進帳」は團十郎の弁慶、幸四郎の富樫。義経は昼も夜も藤十郎。

「勧進帳」は「マツコ&有吉の怒り新党」である。という話をしたいが、誰かこれを読むだろうか…。

「怒り新党」は、マツコ・有吉のかけあいと呼吸で成り立っているように見えて、夏目三久の存在感によって番組のパワーバランスがほどよく保持され成立していることは、今更言うまでもないことであろう。三者の向かうベクトルが、特にマツコ・有吉という現代芸能界の2大巨頭(ある意味において)の牽引するベクトルに夏目三久が第三の力を加えることにより、ちょうどよく保持される。

「勧進帳」も同じく(というか「勧進帳」の方が当然古いのだけど)、弁慶・富樫の掛け合いと対立、和解のドラマというだけではない、義経の存在感がなければそもそも成り立たない。
セリフの有る無しではなく、存在感の問題であろう。
仮にあれを見て「ほとんど出番なくて突っ立ってるだけだから俺でもできるっしょ」などという阿呆がいたら、頭から鵯越の逆落としである。
弁慶と富樫という二大巨頭の二人舞台になりかねないものが、義経という、「義経千本桜」や様々な伝承とはうってかわってひよわに見える、何もしていないはずの義経の存在によって、舞台全体に広がる緊張感や新しい均衡を提示する。

勧進帳は義経ありきの物語であり、怒り新党は夏目三久あっての怒り新党である。

義経は源平の合戦での隆盛から突如転落し、落ち延び、果て、しかしその物語は国中で長く語り継がれ歴史的アイドルの座に君臨することとなった。いまや滝沢秀明であり神木隆之介であり、あるいは先代菊之助(現・菊五郎)である。

夏目三久という存在が、日テレでの隆盛から一度の転落、大転落の後、現代の勧進帳たる「怒り新党」を経て、"国民"に高く評価されるという現実…もはやただの判官贔屓ではない人気は、なるほどそういうものであるか、と納得するものである。

…という話をずっとどこかに書きたかったのでようやくここに記す。
少し寝坊、喉痛く咳止まらず。昼はうどん。夜、ツタヤに行くも何も購入せず、その足で東急地下へ。はんぺんなど購入。はんぺんはおでんに入れ食す。
雨。喉の痛み引かず微熱もあり病院へ。薬5種。「パサージュ論」(1)購入。昼は決めかねた挙げ句麻婆豆腐。薬のせいか朦朧とし、午後の記憶はほとんどなし。ジョジョ展のチケット購入後帰宅。おでんなどで夕食、「第9地区」を見る。
ずっと喉が痛い。それとは別件で通院、昼はタイ料理屋。夜から雨。
帰宅し「相棒」。おでんを作る。妙な腹痛が続く。「孤独のグルメ」は人形町。「鬼灯の冷徹」5、6読了。

★今日の湾曲
今日も「湾曲表現」という表現を見かける。あなたが言いたいのは「湾曲(わんきょく)」ではありません「婉曲(えんきょく)」です。

遠回しに伝えることは婉曲(えんきょく)と言いますよ。湾曲ならただ曲がっているだけです。
湾曲した表現というのは、「べ…べつにお兄ちゃんのことなんか好きじゃないんだからね」といったツンデレ言葉のことではないでしょうか。

婉曲(えんきょく)の婉(えん)が読めずにお椀(おわん)の「わん」と混同し、それがいつの間にか湾曲になったのかもしれませんが、やめた方がいいですよ。

「に…日本語は変化するものだからこれでいいのだ!」とかありがちなことを言っている方は、変化の在り方についてもうちょっとお考えになったほうがよろしいのではないでしょうか。
※ツンデレ言葉を「湾曲表現」と名付けて、その用法で「湾曲だ」と語るのであれば、特に異存はございません。積極的に活用しましょう。


※ただの日記を続けてみるテスト。
腹痛とともに起床。「K」(谷口ジロー・遠崎 史郎)を読了後出社。のどが痛い。「緊急のメールとかけて、産婦人科ととく。そのこころは?」と思いついた以外、特に話題はなし(シキュウご確認ください)。
アクションを購入。「鈴木先生 外典IV」のため。夜食は秋刀魚。おでんの材料も買って帰る。秋刀魚は塩焼き。まだ脂は随分のっている。「ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー」を見た。

※ただの日記を続けてみるテスト。
午前半休で昼起床、だらりと出社。特に話題もなし。
夜、書店で『 社会(学)を読む (現代社会学ライブラリー6) 』(若林幹夫)を購入。先月末に出た本ながら、3軒回ってようやく発見。
夜食に、「孤独のグルメ」で見たネギ肉炒めを作ってみる。ネギたくさん。「ストリートファイター」(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)を見る。思っていたよりまとも。

追記:前夜の就寝前に「ときめかない日記」(能町みね子)読了。買ってそのまま積んでいたが読んでしまえばあっというま。


※ただの日記を続けてみるテスト。
なんということはない日。

14時頃起床、いろいろ思うところはあったが、天気も悪いので夕食の買い物以外では外出せず。
テレビで「伊賀忍法帖」を途中から見る。その後、「東京大学物語」(Hulu)、「霊幻道士2」(Hulu)など見ながら、買っただけで積んでいた「鬼灯の冷徹」(1〜4)読了。特に1、2巻などは約1年積みっ放し。マックの変換では「鬼灯」を変換できない。
夕食に秋刀魚。「パニッシャー」(Hulu)を見る。"こういうもの"を見て正義がどうのこうのと書くのはもう10年前からやっていたので今更言うこともなし。とはいえ、最近"こういうもの"を見て正義がどうのこうのと言う手合いがたくさんいらっしゃるようで…。

本棚の整理(再編)を少しずつ進めるが気が遠くなるので中断。

※ただの日記を続けてみるテスト。
※ただの日記を続けてみるテスト。

朝,10時上映から「まどか☆マギカ」前編を鑑賞。一度出社しその後書店。「辺境ラジオ」「9条どうでしょう」橋本治の大江戸歌舞伎の本を購入。昼食はムルギー、玉子入り大盛り。会社に戻る。大した話題はなし。21時前に東急地下で弁当購入、急ぎ食す(なぜならば時間がなかったから)。その後「まどか☆マギカ」後編。隣の客が香水臭い。23時30分頃終了。

帰りの電車で「謎解きはディナーの後で」読了。執事が現場で八面六臂の大活躍をするような形式を想像していたが、全体的に事件現場編→推理編…というより、簡単な推理クイズ→それを嬉々として解くミステリーファン(の分身のような執事)という、これはこれで(最初は物足りなかったものの)わかりやすく回を重ねると痛快にはなる。だからといって続きや同じ作者の他の本が読みたくなるわけではないけれど。
お嬢様の「お金持ちっぽさ」がわかりやすい記号ばかりで(狙ってそういうことになっているんだろうけど)片腹痛し。

昨夜は川島海荷のキョンシードラマを視聴。内容は大したことないが、子供の頃は「かまれると怖い」存在だったキョンシーに、今見てみるとむしろ「先祖をちゃんと祀らないと何らかの形で祟る」という(おそらく人類に普遍的な)考えがあるとわかる。…というのは「霊幻道士」を見て思ったことで、海荷キョンシーにはそういった要素はまったくない。

しかし"礼"を軽んじたり誤った結果やってくるキョンシーを鎮めるのが儒者ではなく道士というのは興味深い。
"さしこ"こと指原莉乃さんのHKT48移籍に関して思ったことを先週土曜日(6/16)にツイッター(@3116)にちょっと書いたものを、あらためてまとめてみた(べつに指原莉乃さんにはこれっぽっちも興味はなかったのですが、どうしてもいろいろと考えてしまうほど、秋元康"先生"というのは実に興味深いのですという話)。

【1】全身全霊でオッサンの言葉を解釈するということ

AKB48指原莉乃の移籍を、単に「HKTに左遷っしょ!指原道真ww」と言うのは簡単だし、逆に「HKTのテコ入れっしょww」と結論を出すのも簡単かもしれない(たしかにHKTの求心力が弱いのは事実)。「解雇できねーから落とし所がそこだったっしょww」とか言うと、なんか"大人のジジョーをわかるオレ"っぽい。

しかし、既視感のある一つの答えを出して納得するだけではなく
「え…HKT?どゆこと?」
と、いったん(自分が納得できそうな)回答を出すことを保留し、全力で頭と心を動かしながら
「このオッサンは何を考えているんだっけ…」
と無数の解釈を試算した方(それがファンとは限らない。私もファンではない)も多いのではないだろうか。

(「え、ただの左遷やろ、何いってんだばか」と思った方とはここでお別れです)

「これってひょっとしたら最初から秋元康"先生"の策だったのではないか(実際はただの思いつきでも)」
「思いつきならまだいいけど、もしかして、文春のセックス報道の時点で策略が動いていたのでは(これについてはちょっとだけ後述)」
といった勘繰りを自発的にしてしまった方、あるいは指原の一件にとどまらない、AKBフランチャイズ計画の未来を幻視し、気が遠くなるような思いをした方もいるのでは?

そうやって、つい全身全霊で勘繰るようなことをさせられてしまう、そういう思考を可能にしたのがこれまでの"AKB状況"の結果であり、秋元康という"先生"の恐ろしさでもある。

繰り返しになるが、ただの"窮余の策"(実際、6万票オーバーの人気4位をクビにするという選択はありえないとして)かもしれないものでも
「実はそれだけではないのでは」
「もともと移籍の予定があったのでは」
「いや、どうも裏にはいろいろあるらしいよ」
など様々な角度から勘繰られてしまう。

しかしそれは、素人の無用な勘繰りなどではなく、秋元康"先生"にとっても、きっと望むところであり、むしろ我々は"勘繰らされている"のではないかとまで勘繰ることができてしまう。

ひょっとしたら、AKB48という社会現象が持つ可能性や振れ幅の大きさは、秋元康という一人物の実力というよりも、その不確定要素だらけの「わけのわからない、とっぴにも思える言動」を、全身全霊で解釈しようとする個々人の脳のゆらぎにあるのかもしれない。

そして、一瞬でも「ただひとつの既視感のある結論」以外の可能性を思った時点で、秋元康"先生"には誰も敵わない(実際はただの気まぐれな小太りのオッサンだったとしても)。

(何を見ても「ただひとつの既視感のある結論」しか出ない人はここでお別れです。結構いるんですよね)

ただのオッサンなら「何言ってんだこのボンクラは」で終わることが、"先生"のとっぴな思いつきであれば、一面的には「ただのオッサンの言うこと」・「ただの偶然とスキャンダルとその場しのぎ」であっても、「何か私にはわからないけどきっと意味があるんだろう」と、全身全霊で解釈してしまう。

「総選挙」も「シャッフル」も「フランチャイズ」も「アイスの実(CG合成)(探偵モノ)」も…いや、そもそものはじまり「秋葉原に会いにいけるアイドル」「48人(今はもっといるけど)」という時点から、それが全てただのオッサンの思いつきだとしても、そんな"先生"の掌から抜け出せない小猿たちには、実はその後の説明や理由付けなんか必要ない。

ただ、オッサンが一言わけのわからないこと(今回の例では「指原はHKTに明日から移籍」)を言った瞬間に、全身全霊で、既存のパターンに落としこむことを保留し、それを解釈する運動がはじまるのである。たぶん。

それは、秋元康という人物がすごいわけではない。(すごいのはすごいけど)ただ、秋元氏の、いや、秋元"先生"が"えらい"ことを知り全身全霊で解釈する"生徒"が偏在することが、結果的に「すごい何か」になってしまう。

これは

私の「先生はえらい」論は、「えらい先生とはこれこれこういうものである」というような認知的なものではありません(そんなことを言っても何も始まりません)。
あるいは「いいから黙って先生の言うことを聞きなさい」というような政治的なものでもありません(そんなことを言っても誰も聞いちゃくれません)。
そうではなくて、「先生」というのは定義上「えらい」ものである。あなたが「えらい」と思う人、それが「先生」であるという必勝不敗の同語反復を断固主張するところの書物なのであります。
(内田樹「先生はえらい」著者コメントより)

で言うところの"先生"の話である。

もし、つんく♂と秋元康の違いを挙げることが許されるのであれば、秋元康は「先生」であり、つんく♂は「つんくさん」だったこと。そこに見るべきものがあるのではないだろうか(といったことは、まだ断言できませんけど!)。

そして、AKB周辺のいろんな出来事は、そういうわけのわからない"先生"の思いつきだか何だか、本当にわけのわからない言葉を、全身全霊で解釈して、正解かどうかすらわからないものを実現させてきた人たちが可能にしたんでしょうね(でしょうね、とか言っちゃった)。

たまに解釈がいきすぎて「パンツ見せるのはやりすぎ」など言われたりする人もいるようですが。

【2】草食系・非リア充の待ち姿勢でもセックスできるアイドル

もうひとつ驚きなのは(こっちも大事)、実はAKBって「会いにいけるアイドル」どころか、「ファンでもがんばればセックスできるアイドル」である可能性を否定せずに残したこと。

「絶対にそんなことはできない」と最初から諦めてしまうピュアなファンに対し「そうそう、できませんよ恋愛禁止だから」などと言うのではなく、また、もちろん「お金を払えばできます」なんて野暮なことを言うのでもない(そもそも、お金を払ってのセックスなんてファンは求めていない)。

ただ、恋愛とその先にあるものとして「ファンでもセックスできるアイドル」である可能性の芽を摘まなかった。
(その形で残した、ということが今回の大事なポイント。たぶん)

だって、週刊文春の記事の通りなら、ファンががんばって握手会に通い詰めたりSNSで好きだと公言していれば(ソーシャルとかバイラルとかそういうアレをしていれば)、メンバーの方から来てくれるかもしれないんですよ。

家に呼んでくれたり、ふたりでがんばって初めてのセックスに至ったり、「諦めれん」「ここまで好きになったのはじめて」「これからも好きです」とか言ってくれるんですよ。いじらしいにも程がある。

つまり、いつだって「相手が好きになるの待ち」な「性欲より恋愛欲」の草食系・非リア充のぼくらのやり方で(だって、繰り返しますが、文春によればAKBの方から来てくれるんですよ?)、アイドルと最低でも"お友達"(指原生謝罪コメントより)、きっとおそらくはセックスまで、進める可能性があるという衝撃の事実。

ファンと結婚した元アイドルはいても、全力で受け身の草食非リア充向けに恋愛を提供してくれるアイドルなんて聞いたことがない。

大事なことなので、もう一度書く。

今回の文春記事の暴露男は(それが全て事実なら、AKBなど関係なく恥知らずな人間としてのクズであるという説には同意しますが)、何も彼の方からアイドル・指原にぐいぐい押し込んだわけではない。握手会の隙をついて口説いたわけでも、コネやカネで忍び寄ったわけでもない。
ただ、ファンとしての非リア充草食系な活動をしていただけで、AKBのメンバーとセックスすることができた(と、記事は伝えている)。

これは色恋営業どころの話ではない。その芽をつぶさずに、秋元"先生"は残した。

選挙で3位のゆきりんとだって、"お友達"になれるかもしれない。選挙で圏外の岩田華怜ちゃんと、今のうちなら、なんだか結構なことになるかもしれない。

…これではAKBのCDを買うのをやめるどころではない。応援をやめるどころではない。
「もっと買わなきゃ!」「もっと多方面で応援しなきゃ!」という話になる。
(私はAKBのシングルを買っていませんし、握手会に行ったこともありませんが、まゆゆやゆきりんや岩田華怜ちゃんとお友達になれるならたくさん買ってもいいかも…)

こんなことになってしまうと、「さしこがファンとセックス」というのは、それはもう事実だとして(いくら秋元先生が「本人はしてないって言ってますよー」と言ったところで、余計に「やってんだろ!やってんだろ!」という話にしかならない)、しかしそれが、まったく悪い方に働かない("処女厨"のさしこファンは発狂したとしても)。

現に、週明けのモーニングショーに登場した指原握手会に集ったヲタたちのキラキラしていたこと!彼らの手には、握手券だけじゃない、「セックスできる確率」が、確実に握り締められていた。それが本人の資質(というか外見)によって変動するものだとしても…いや、それだからこそ尚更に(誰だって自己評価は高いんです)。

よくあるアイドル熱愛報道後の狂騒曲にあるような「CDを割る」だの「写真集を焼く」だの、そんなバカなことをしている暇はない。
「うかうかしていたら他のファンがさしことヤッちゃうぞ。握手会へGO!GO!GO!そしてさわやかにオレの存在をアピール!テレビのインタビューでもしっかりさしこの擁護コメントを残すんだぜぇ!いぇ~いさしこ見てるー?」
とハッスルするのが正しい指原ファンのあり方なのである。


▼さて、そんなわけで。
こんなことになってしまうと、もはや文春がほぼ唯一AKBアンチ情報を流せる大メディア(後追いのサイゾーもだけど)であることすら利用した秋元先生の権謀術数ではないのか、と思うことだってできてしまう。
(この勘繰り、いや解釈のゆらぎもまた…)

少なくとも、今後どんな破滅的な記事が載って、それが1億人の目に止まったとしても、きっと秋元"先生"はその上を行く。と、そう思わせた時点で秋元康の戦略的優位は確実であり、もうしばらくAKB神話は続いていくのだろう。


■うろ覚え参考文献:『先生はえらい』(内田樹 ちくまプリマー新書)

※20121113追記:ある種のワードだとGoogleの検索結果でこれと似たような記事が並んで出て来ますが、実はそちらにも私が関わっているので、偶然でも引用でもインスパイアでもありません。基本的に同一内容です。
2012.02.28 2/28
更新できるかテスト。
こないだ、上野の森美術館のチベット展(http://www.seichi-tibet.jp/)に行ってきた(チベット展はもう終了しました)。

内容はひとまず置いておくとして、終わった後のショップがひどい。
朝から歯医者に行ったら(歯石取り)、恒例の「あれ、何か柔らかいものが当たっていませんか?」なアレが今日はやけに接触面が広範囲で、下乳の感触をずっと感じていました。しかも、今にして思えばわりと生に近い感触…?
◎11/28土曜は劇場版『マクロスF』をみてきた。
◎11/29日曜は劇場版『東のエデン』をみてきた。
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